最近のスーパーでは魚の下処理をサービスで行ってくれる店も多い。手間を省けるし、生ごみについて考える必要もないし、魚を食べるハードルを下げてくれるのでありがたいことではある。
が、プロに処理してもらった魚は、あまりにもきれいすぎる。
きれいに内臓を処理して、水で洗い流してもらってぴかぴかの状態の三枚おろしで「お待たせしました」と渡される魚は、ありがたいのだけれど、本当の魚の味とちょっと違う。
特にいわしで感じる。
いわしの好きな食べ方はいくつかあるけれど、内臓を除いて塩をふってオリーブオイルで焼いてレモンを絞るといういたってシンプルな、ポルトガル風の食べ方が好きだ。これとポルトガルの赤ワインで楽しむのがすごく合う。
そしてこれは、すべて自分でやらなければいけない。
うっかり「内臓を処理してください」なんてプロに頼もうものなら、内臓のほろ苦さやいわしの濃い鯵が除かれた、きれいな味のいわしが出てきてしまう。そんなきれいないわしは、本当のいわしではない、と思う。ポルトガルのまろやな渋味がおいしい赤ワインに合わないのだ。他の料理でも同じことがいえる。あまりにきれいないわしでは味気ない。
ほろ苦くて、クセがあって、濃い。これぞ本当のいわし。そしてそれに出会う瞬間のそれは、下手でも面倒でも、自分でやる意味を感じる瞬間だ。