「わたし、小さいころからずっとピアノをやっていて、コンクールにもたくさん出たんです。でも、賞を取ることばかりに目が向くとピアノが楽しくなくなってしまったことがあって」
「そのときピアノをやめようと思わなかったんですか?」
今の俺みたいに。
やめたいって思わなかったのだろうか。
「一時期はやめようかと思いました。でも、わたし、ミュージカル映画が好きで、それを毎日のように見てたんです。そしたら、やっぱり音楽って楽しいな、ピアノもう一度弾きたいなって思うようになったんです」
ピアノの話をしているゆずは、とてもまぶしかった。
好きなことを仕事にしているって、いいなって純粋に思った。
「わたしにはコンクールがあってなかったんだと思います。こうして、細々とピアノの良さを知ってもらえたら、それだけでうれしいなって思って、ピアノの先生をしてます」
今思えば、それは本当にゆずらしい考えだと思う。
本当に音楽が、ピアノが好きで、それを人に広めていける仕事。
俺も、いつか———こんなふうに、何かに夢中になれるものができるだろうか。
「あの、ピアノ弾いて行かれますか?」
「いや……帰ります」