改めて波音に連れられて入ったのは、渋谷にある高級バーだ。
 会員制で、客席はすべて個室になっているという珍しい造りのバーだった。
「わぁ……」
 個室に入ると、中央にある暗い照明の真下に大きな水槽があった。青い水の世界を泳ぐ熱帯魚たちは涼やかで優雅。
 かすかに流れるクラシック音楽と、壁に飾られたグラスの光沢が高級感を漂わせている。
「すごいね。ここ……」
(まさに芸能人御用達って感じ……どうしよう。めちゃくちゃ高そう)
 内心ビビる。
「ここなら人目も気にせず飲めるでしょ」
「たしかに人目は気にならないけど……」
 お財布のほうがものすごく気になる。なにせ私は現在無職だ。
「なに飲む?」
 メニューを見せてもらい、ずらりと並んだカクテル名を見て覚悟する。どれもかなり高い。でも、せっかくの波音との再会だ。
(……今日くらい、飲んでもいいよね)
「じゃあ、パナシェにしようかな」
 波音にメニューを返しながら言う。
「さっき飲んでるときも思ったけど、ビール好きなんだな?」
「うん。波音は?」
「じゃあ俺はミントジュレップかな」
 ミントジュレップはウイスキーベースのカクテルだ。
「あ、それ美味しいよね! 私も好き!」
「ウイスキーも好きなの?」
 波音が驚いた顔をする。
「うん! 飲むのは大体ビールかウイスキーかな。ワインは後味がちょっと苦手で」
「分かる。喉に残る感じね」
「そうそう」
(沙羅以外の人とお酒の話ができるなんて……)
 楽しい。
 真宙くんの前では一度もアルコールを飲んだことはない。可愛くないと思われるのが嫌で、職場の飲み会でも無理してずっとノンアルの甘いものを選んでいた。
 けれど、今回は波音が相手だからか、素直に好きなものを好きと言える。

 しばらくしてカクテルが届くと、私たちは控えめにグラスを合わせて乾杯した。
 ひとくち飲んで、固まる。
「え、美味しい」
 爽やかで、グイグイいけそう。
「あれ、飲んだことなかったの?」
「あ、いや……あったけど、こんなに美味しかった記憶はなかったから」
 波音が微笑む。
「ここ、美味しいよね。俺のお気に入りの店なんだ」
 さすが高級店だ。
「連れてきてくれてありがとう。私じゃこんなお店、一生入る機会がないよ」
「……ん」
 波音は不意に目をすっと細めた。
「……どうしたの?」
「……いや、なんか桜とお酒の話とか新鮮だなって思って。最後に会ったのは高校卒業するときだったから、お互い未成年だったし」
「……そうだね。あれからもう六年も経つんだ」
 あれから、六年。長いようで、あっという間だった。いろいろあったけれど。
「波音はすごいね……」
 隣に座る爽やかな佇まいに、改めて感動する。
「ん? なに、急に」
「ちゃんと夢を叶えて、俳優になって。今も第一線で頑張ってる。沙羅もどんどん人気出てて、ふたりともすごい」
「そんなことないよ」
(こんなに人気者でも、性格は全然あの頃と変わっていないし。私だけ、ダメだなぁ……)
 俯いていると、波音がさらりとした声で言った。
「それを言うなら、桜もすごいじゃん」
「え?」
 顔を上げる。
「沙羅から聞いてるよ。真宙と付き合ってんだろ? 桜、高校時代からずっと真宙に片想いしてたもんな。報われたな!」
 屈託のないその笑顔と言葉は、思いのほか私の心臓にずしりと刺さった。
「…………」
(……そっか。波音は私が真宙くんと別れたことまでは知らないんだ……)
「うん……そうだね」
 曖昧に笑う。
「……桜? どうした?」
 波音が不思議そうに私の顔を覗き込む。
「ううん。なんでもないよ」
 慌てて笑顔をつくろって誤魔化したけれど、この仮面はそう長くは持ちそうにない。
(……ダメだ。泣きそう)
 今はまだ、真宙くんのことを笑顔で話せる心境ではない。
「……ごめん。私やっぱり今日は帰ろうかな。沙羅とも飲んじゃってたから、ちょっと酔ったみたいで。本当にごめんね」
 バッグから財布を取り出していると、不意に手を掴まれた。
「……待って」
 波音がぎゅっと私の手を引く。……引き止めるように。
「……ごめん」
「え?」