スタッフに連れられて入ったのは、劇場の地下にある控え室。
 廊下にはキャストたちがぞろぞろといて、なかなかの密度だ。
 先程まで役に入り込んでいた俳優たちも、今は素の表情が垣間見える。なんだか不思議な感じがする。
「お疲れ様でーす」
 すれ違うキャストやスタッフに挨拶をしながら、沙羅はずんずん迷いなく進んでいく。
 ほら、やっぱり。
 全然緊張なんかしてない。緊張どころか、鼻歌まで歌っているし。
 沙羅はとある控え室の前で立ち止まった。つられて私も止まる。
「沙羅、ここ?」
「そう、ここ」
 控え室に貼られたキャストの名前を見る。
絢瀬(あやせ)波音(なお)様』
「え……」
 張り紙の名前に、目を見張る。
(絢瀬、波音って)
 そこに書かれていたのは、私がよく知る人の名前だった。
(えっ? えっ!?)
「波音ー! 私、入るよー?」
 沙羅がノックをしながら、扉越しに声をかける。すぐに中から「どうぞー」と返事が返ってきた。
 がちゃっと扉が開いて、隙間から覗いたひとりの男性と目が合う。
 大きな切れ長の瞳は、カラコンで深い青色に染まっている。すっと通った涼やかな鼻梁に、薄い紅色の艶っぽい唇はきれいな三日月形。
 女性のように美しい人がそこにいる。
「や。桜。久しぶり。どうだった? 俺の演技」
「うそ、波音……?」
 絢瀬波音。目の前にいたのは、高校時代の同級生である絢瀬波音だった。
「まさか、こんなところで会えるなんて思わなかったよ」
 波音の声は、さっきまで舞台上で聞いていた声と同じ。厳密に言えば、役になりきっていたときとは少し違うけど。
 一瞬言葉に詰まってから、我に返った私はばっと波音に駆け寄った。
「波音!? 本当に波音!?」
「そうだよ。久しぶりだね、桜」
 波音は私の勢いに驚きながらも、苦笑混じりに頷く。
「うそ。波音まで俳優さんになってたの!?」
「そっか、桜は俺が俳優になったこと知らなかったのか。これでも結構有名になったと思ってたんだけどなぁ。高校時代あんなに仲が良かった桜に知られてないなんて、なんかショック」
 波音はしょぼんと肩を落としている。が、これはうそ。演技だ。彼はよく、こんなふうにうそをついて私をからかって遊んでいた。
「ごめん。私、テレビとか映画とかちょっと疎くて」
 くすっと波音が笑う。
「怒ってないよ。むしろ、そのほうが桜らしい」
「……わぁ。本当に波音だ」
 笑い方も、笑うと目尻に走る皺も、あの頃となにも変わらない。
 急に自分が高校生に戻ったような不思議な感覚に陥る。
「桜、大人っぽくなったね」と、波音が柔らかく笑う。
「そういう波音は、あんまり変わらない」
(いや、少し変わったけど……というか、かなりかっこよくなったけど……)
 でも、目の前にいる波音はやっぱり波音だ。
 雰囲気も、笑い方も同じ。
 高校時代と変わらない笑顔に、私はどうしようもなくほっとする。
(なんだかこの感じ、すごく懐かしい……)
 高校時代を思い出して、目頭が熱くなる。
「でも驚いたなぁ……さっきまで見てた舞台の主役が私たちの同級生だったなんて」
「やっぱり気付いてなかったんだね」
「違和感は感じたんだけど……なんとなく見覚えがあるなって」
「なんとなくかよ」
 波音がぷっと吹き出して文句を言う。
「だって化粧が濃いから! 波音が化粧したとこなんて見たことないもん、分からないよ!」
 思わず頬をふくらませて言い返すと、波音はさらに言い返してきた。
「悪かったな、厚塗りで」
「そ、そういことじゃないってば!」
「そういうことじゃないの~?」
 波音が意地悪な顔をする。
「な、ないよ!」
(うわぁ。この顔も懐かしい)
 波音とはよくからかわれて口喧嘩をしていたっけ。結局は波音が折れて、不貞腐れた私の機嫌をお菓子とかアイスで釣って直していた気がする。