そして、舞台『失恋カレシ』千秋楽公演当日。
 私は沙羅にだけ事情を話し、波音には内緒で会場へ行った。
 黙って来たのは、まだ波音に会うわけにはいかなかったからだ。波音とは、すべての問題が解決してからちゃんと会って、想いを伝えるつもりでいる。
『間もなく開演いたします』
 開演のブザーが鳴る。
 照明が落ち、会場が静まり返る。
 舞台は近未来の日本。
 ずっと片想いしていた人にふられ、死のうとしていたヒロイン・ハルカのスマホに届いた一通の広告通知。
 それは――。
『失恋カレシ……あなたの失恋、癒します……? なにこれ』
 ハルカは興味本位で失恋カレシの依頼をして、カケルと運命の出会いをする。
『あなたが、失恋カレシ?』
『はい。ハルカさんの失恋の傷が癒えるまで、僕があなたの恋人になります』
 舞台上に波音が登場すると、小さな歓声が上がった。
(波音だ……)
 ずいぶん久しぶりな気がしてしまう。
 まだたった一週間しか離れていないのに。
 ふたりは『失恋の傷が癒えるまで』という期間限定の同棲を始める。
『ハルカさん、ご飯はちゃんと食べないとダメですよ。僕があーんしてあげましょうか』
『い、いい! ご飯くらい自分で食べれるわよ!』
 自由気ままなカケルの言動に、次第に失恋の傷は薄れ、ハルカはカケルに惹かれていく。
 しかしハルカは自分の想いを打ち明けないまま、カケルとの別れを決める。
『ハルカさん。僕……』
『さようなら、カケルくん』
 両片想いのまま離ればなれになったふたり。
 しかしふたりは、お互いの存在を忘れることができないまま時が過ぎ……。
 ハルカはカケルを忘れようと傷心旅行にいく。行きの飛行機の中で、隣の席に座った男性がカケルだった。
 再び運命の再会をしたハルカとカケル。仕事上の関係でなくなったことを理由にカケルはハルカに告白をして、ふたりは仲良く旅行に向かうのだった。
 舞台は甘くて切なくて、途中何度も涙腺が崩壊した。
 そして、カーテンコール。
『本日は、ご来場まことにありがとうございました!』
 舞台は大歓声の中、無事幕を閉じた。
(……いい……すごく良かった) 
 途中、何度か波音と視線があった気がしたけれど……たぶん気のせいだ。今日舞台を見に行くということは波音には言っていないし、座席の場所を知っているのも、チケットをくれた沙羅だけ。
 ステージからもかなり距離があったし、見えるわけがない。
 舞台が終わり、観客たちが席を立つ。私も流れにならって立ち上がった、そのときだった。
 会場に、アナウンスが流れた。
『会場にお越しの柊木桜さま。本日、お忘れものを預かっております。お忘れものは運営に保管してありますので、お近くのスタッフまでお声がけ下さいますよう、お願いいたします』
「……え」
(……忘れもの?)
 なにか落としただろうか。
 バッグを漁って持ち物を確認するけれど、財布もスマホもある。
 聞き間違いか、同姓同名かもしれない。でも、自分でも気づかないうちになにかをうっかり落としている可能性もある。一応確認に行ってみようと、出口のそばにいた男性スタッフに声をかけた。
 スタッフは私を連れて、バックステージに案内してくれた。この場所へ入るのは、波音と再会したとき以来だ。スタッフはとある扉の前で立ち止まった。
『絢瀬波音』
 波音の控え室だ。
「……あ、あの、忘れものは運営で保管してるって……」
 戸惑いがちにスタッフを見る。スタッフは目が合うと、申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ありません。実は、絢瀬さんにアナウンスを聞いて声をかけてきた女性がいたら、控え室まで連れてくるよう言われていて。では」
 スタッフは一礼すると、その場を去っていった。
 波音と控え室の前で取り残され、困惑する。
(……え、これって、中に入れってこと?)
 どうしようかと困惑していると、扉が開いた。
「……あ」
 部屋から出てこようとした波音と目が合う。波音は私を見て驚き、一瞬動きを止めた。ふだんはかけていない眼鏡をかけている。そのラフな姿は家にいるときの波音のようで、どきりとする。
「さく、ら……」
 名前を呼ばれ、さらに頭が真っ白になった。
「久しぶり」
「あ……うん」
 波音を前に、舌が痺れたような感覚になる。 
「あの、私……忘れものしたらしくて、運営さんに――」
 言い終わる前に腕を引かれ、部屋に連れ込まれた。