沙羅から連絡があった翌日の夜、実家に『失恋カレシ』の千秋楽公演のチケットが届いた。
(来いってこと……?)
 チケットを手に、途方に暮れる。
「今さら、どんな顔して波音会えばいいのか分かんないよ……」
 合わせる顔なんてない。けれど、チケットを見てしまったら、どうしようもなく波音に会いたくなってしまうではないか。
(……沙羅ってば鬼畜なんだから。……ん?)
 封筒には、チケットともうひとつ沙羅からの手紙が入っていた。取り出し、中身を確認する。
『おバカな桜に一個アドバイス。波音の好きな人のこと、もう一度よく考えてみて』
(……どういうこと?)
 眉を寄せて考えていると、本棚に高校の卒業アルバムが見えた。抜き取り、中を見る。
 高校時代のあどけない表情の波音と自分を見ながら、私は波音と過ごした一ヶ月を思い返した。

 ――ある日の夕方。リビングのソファでうたた寝をする波音。
 あれは、買い物から帰った夕方のことだった。帰宅したら既に波音が仕事から帰っていて驚いた。
 波音が自室以外で寝るのは珍しかったから、新鮮で思わずまじまじと観察してしまったのを覚えている。 
 窓から差し込んだ西陽が、波音の綺麗な寝顔を照らしていた。
 まつ毛がすっと長くて、唇も……。無意識のうちに、その寝顔に手を伸ばしていると――。
 ハッとする。私の手首を波音の手が掴んでいた。
 驚いて波音を見ると、目が合う。
『寝込みを襲うのは契約違反じゃないかな?』
『お、襲ってたわけじゃ……というか、起きてたなら言ってよ』
『ははっ。ごめん』
 慌てて手を引っ込めると、波音もむくりと起き上がった。
 前髪をかきあげながら、私に笑みを向ける。
『おかえり、桜』
『……ただいま』

 何気ない会話を思い出しては、胸がちりちりとする。
(あのとき、本当はいつから起きてたんだろう……)
 あのおかえりが、ただいまが、今は遠い。

『――ねぇ桜~お腹減った。俺今日の晩御飯はハンバーグが食べたいなぁ』
 甘えるように言う波音。
『分かった。じゃあとりあえず着替えてくるね 』
 よそ行きの服を着ていた私は、一旦着替えようと立ち上がる。と、また腕を引かれ、波音の指先がぐっと私の唇をなぞった。
『!』
 波音は口紅を落とすように私の唇を指の腹で拭った。
『桜、今日の化粧すごく可愛いけど、どこ行ってたの?』
『えっ?』
 突然ぐいっと手を引かれ、みつめられる。
 視線を合わせたまま答えられずにいると、波音は困ったように微笑んで、手を離した。私は思わず離れていく指先を見つめた。
『……ごめん。プライベートは詮索しないんだったっけ――』

(……あのときは、ただ沙羅とランチに行っただけだよってご飯のときに言ったら、波音、ものすごくホッとしてたっけ……)
 くすっと笑みが漏れる。
 そして、あれ、と思った。
(……なんで?)
 あのとき波音は、なんでホッとした様子だったのだろう。
「…………」
 仕事中とか、だれかがそばにいると絶対に甘えてくることなんてないのに、ふたりきりになると急に甘えん坊になる波音。
(最初は戸惑ったけど、正直悪くなかったな……)
 私にだけ心を開いてくれている感じがして。