翌日。以前住んでいた街にある喫茶店に入ると、スーツ姿の真宙くんが角の席に座っていた。
 格好を見るに、仕事を抜け出してきたのだろうか。今は夏休みだから、教員は比較的休みを取りやすい時期ではある。
「ごめん。おまたせ」
「いや。急に呼び出して悪かった」
「ううん。全然」
 言いながら向かいに座る。真宙くんは店員にアイスコーヒーをふたつ注文した。
「……桜、少し痩せた?」
「えっ」
 目が合うなり、真宙くんは私の頬に触れた。びくりと肩が揺れる。
「……そ、そう、かな。そんなことないよ」
(前の体重に戻ってきたと思ったのに)
「俺のせい……だよな」
 申し訳なさそうな顔をする真宙くんに、私は内心困惑しながらも首を横に振る。
「違うよ! 全然、真宙くんはなにも悪くないから」
「……今、どこでなにしてるんだ?」
「……えっと……」
 まさかそんなことを聞かれるとは思わず、言葉につまる。
 沈黙が落ちたテーブルに、からりと涼やかな音が落ちた。
 店員がアイスコーヒーを持ってきた。
 真宙くんが続ける。
「なぁ桜、戻ってこないか?」
「え……」
 戻る。どこに?
「一方的だっていうのは分かってる。身勝手にふっておいて、仕事まで奪っておいて、虫のいい話だってことも分かってる。でも……もし桜が許してくれるなら、今まで桜には尽くしてもらうばかりでなにも返せていなかったから、できることならやり直したいんだ」
「だって……真宙くんには山崎さんが」
 私と別れてすぐ、真宙くんは私たちの同期と付き合っていたはずだ。
「別れたよ。桜が仕事辞めてすぐ」
「え……どうして?」
 真宙くんは一度私から目を逸らし、口を引き結んだ。
「こう言ったら、桜を傷つけるかもしれないんだけど……」
 真宙くんは一度言葉を切って、小さく息を吐いてから話し始めた。
「俺、今まで人を好きになったことがなかったんだ。だからずっと、恋愛には興味なかった。同じ気持ちを返してやれないから。大学に入って、何人かと遊び程度で付き合ってたときも、好きとかそういう気持ちは分からなくて……三回目に桜に告白されたとき、もしかして桜と付き合ったら、愛情が湧くんじゃないかって思って付き合ってみたけど、やっぱりダメで。これ以上一緒にいたら、桜を傷付けると思って別れた」
「そう……だったんだ」
 今さらになって別れの理由を聞かされ、複雑な気持ちになる。
「でも……桜と別れて、違う人と付き合ってようやく気付いた。桜の料理の味とか、寝起きに甘えん坊になるところとか、桜の匂いとか……違う人と過ごせば過ごすほど、全部いちいち思い出して、比べて……たぶん俺、とっくに桜のこと好きになってたんだと思う」
 真宙くんの真剣な眼差しに、目が逸らせなくなる。
「好きだ、桜。俺、今度こそ桜を愛したい」
 六年間、ほしくてほしくてたまらなかった言葉を、ついこの間まで焦がれてやまなかった人に言われる。
『好きだ』
 頭の中をぐるぐると巡る。
 口を開いては、息だけが漏れる。言葉なんて出てこない。なにも考えられない。
 どうして、今。どうして……。
 汗をかいたアイスコーヒーのグラスをぼんやりと見つめる。
「……返事は急がなくていいよ。ただ、今日は謝りたかっただけだから」
「う、うん」
「また、連絡してもいいか?」
「……うん」
 グラスの中の氷がからりと音を立てた。