数度のコール音のあと、桜の少し慌てたような声が聞こえた。
『もしもし?』
 桜の声は、陽だまりのようなあたたかみがある。
『どうしたの?』
 ぎゅっと抱き締めたくなる不思議な声だった。なにもかもがさらさらとした緑谷さんとは対照的な声だ。
(……あぁ、癒されるなぁ。会いたい……)
 晩御飯は作らなくていい、と伝えると、スマホの向こうの桜は少ししょんぼりしていた。
「…………」
(……もしかして、俺が誰かと食べに行くと思ってる?)
 そういえば、そもそもディナーに行こうと誘っていなかったことを思い出す。
「今晩はふたりで出かけたいんだ」
 そう付け足すと、桜の声は少し戸惑うような、けれどちょっと安心したような、なんとも言えない色が滲んで。
(もしかして、もしかして桜も少しは俺のこと……)
 意識し始めてくれたのだろうか。もしそうなら、嬉し過ぎる。
 ふと、ソファで項垂れていた桜の横顔がフラッシュした。
 この前は真宙からの通知を待っているようだったから、まだ真宙のことを引きずっているのだなと思っていたけれど……。
 胸がそわそわする。
 桜に勘繰られたくなくて、慌てて嘘をついて通話を切った。切ってから、ふぅっと息をつく。
(顔が熱い……)
「桜ちゃんとの電話終わった?」
「うわっ!?」
 ぬっとすぐ耳元に気配を感じて飛び上がる。ぎょっとして振り向くと、口角を上げた七木がいた。
「びっくりした……」
「なんかにやけてたけど、とうとう告白でもされた?」
「は? んなわけないだろ。ただ少し桜も俺のこと意識し始めてくれたかなって気がしただけ」
「おっ、よかったじゃん。それじゃあそろそろ告白したら?」
「えっ!? いや、でもまだ俺のこと好きかどうかは」
「バカ。告白してもっと意識させるんだろ」
「はっ!?」
「告白すれば、桜ちゃんは絢瀬の行動すべてを気にするようになる。敏感になったところを甘やかし作戦で集中攻撃するんだよ」
「な、なるほど……」
(こいつ、プロだ……)


 ***


「はーい、集合。続き始めるぞー」
 稽古部屋に戻ると、ちょうど休憩が終わったところだった。
 稽古が再開した。
「じゃあ、第四場。ハルカとカレシが言い合うところからな。通しでいくぞ」
「はい」
 それぞれ立ち位置につき、役に入る。
「どうしてこんな……酷いわ」
 ヒロインになり切った緑谷さんがセリフを言う。
「俺はただ、ハルカさんのためを思って……」
「分かっているわ。でも私にはあなたじゃダメなの。あの人じゃないと、どうしてもダメなのよ」
「どうして? 俺はこんなにあなたのことを……」
 背を向けて去っていくハルカを追いかけ、腕を掴む。
「待って。行かないでよ……」
「……ごめんなさい」
 手が離れる。
「…………」
 稽古をしながら思う。
 いよいよ明日はゲネプロ。
 舞台の初日は三日後に迫っている。舞台が始まったら、桜との契約も終わる。桜を留めておく理由がなくなってしまう。
(……そうしたら、桜は出ていっちゃうのかな……)
 まだ就職は見つけていないみたいだけど、真面目な桜のことだ。自分の役目が終わったとなれば、桜は付き合ってもいない男の家に住み続けることをよしとはしない。ケジメをつけようとするだろう。
(でも俺は……桜と離れたくない……)
「……っ、待って!」
 後ろから、ハルカを抱き締める。
「いやだ。ハルカさんがいなくなるなんてやだ……! ハルカさんがいないと俺、生きていけないよ……」
 桜がいなくなる。そう考えるだけで、胸がきゅっと苦しくなる。息ができなくなる。
「好きだよ、ハルカさん……」
 ハルカを抱き締めながら、覚悟を決める。
(……告白、するしかない)