――波音と失恋カレシの契約が成立して、早二週間が経った。
 初日からどうなることかと思っていたこの再就職。
 既に私の心臓は破裂寸前です。
「桜~、今夜の晩御飯はなにかな?」
「えっと今日は揚げ出し豆腐とセロリとツナの和え物……って、わっ……!?」
 波音は後ろから私のお腹に手を回しながら、料理中の私の手元を覗いてくる。
 くすぐったいし、相変わらず距離が近い。
「それからメインがビーフシチューなんだけど……それより波音、近……」
「美味そう。俺も手伝うよ。なにか切る? サラダでも作る?」
「だ、大丈夫だよ。大丈夫だから、波音は座って待ってて」
(この間その言葉に甘えたら、人参とキャベツがひどいことになったし、このままじゃどきどきして全然料理に集中できない)
 お仕事同棲一週間が経って、波音が劇的に家事が下手だということが発覚した。
「でも、カレシなんだし」と波音は口を尖らせる。
「それなら、美味しく食べてくれればいいよ」
 それに、波音には住む場所とお給料までもらっちゃっている。これ以上甘えるわけにはいかないから、せめて家事くらいはしっかりやらないと。
「そう……? じゃあまたあーんさせてね?」
 波音はまだ不満そうにしながらも、ちゃっかり高難易度な交換条件を出してきた。
「うぇ、う、うん……」
「やった。それじゃあ大人しく待ってるね!」
「……うん」
(……なにこの状況)
 ただの恋人同士より甘い気がする。
 私はビーフシチューを掻き混ぜながら、自身の置かれた状況をふっと振り返る。
 私と波音は今、恋人同士として同じ家で過ごしている。とはいっても、これはあくまでお仕事だからキス以上のことはない。……たまに唇以外の場所にイタズラでされたりするけれど。
 そしてそのお仕事というのも少し特殊で――波音の新しい舞台の練習相手になるというもの。
 おかげで真宙くんのことを思い出す日は日に日に減って、失恋のショックからは立ち直れている。すなわち波音の演技は完全にハマっていて、契約通りではあるのだけど……。
(正直、複雑だな……)
 ちなみにこのことを知っているのは、親友の沙羅だけ。
 親にも言ってない。というか、とても言えない。
 どの道契約が終わったら普通の友達に戻るわけだし……。
 ちく、と胸に痛みが走った。
 痛む胸に気付かないふりをして、私は煮詰まったビーフシチューを平たいお皿によそり、テーブルに持っていく。