彰と紗椰の交際は順調だった。休日にデートを重ねていた二人だったが、やがて紗椰が彰の部屋に泊まることがお決まりのパターンとなっていった。
 この頃になると、彰は紗椰の行動を不思議に思うようになった。

 紗椰は、食事の前に必ずお手洗いを済ませる。それ自体は不思議な行動ではないし、人によっては食後に、という場合もある。紗椰はデートのときはいつもそうだったが、彰もそうすることもあったから、最初は特に気にすることはなかった。 
 だが、紗椰が彰の部屋に寝泊まりするようになってからは、そういった行動は徐々に疑問へと変わった。彰の家でご飯を食べることもあったが、そのときも必ず紗椰はお手洗いに行く。その度に、彰は「まだかな?」と思う。 
 食前だけではない。就寝前にも必ずお手洗いを済ませる。そして朝は大体決まった時間に起きて、またお手洗いに行く。時間がずれることもあるが、それらは「必ず」行われる。

 気にしなければ何でもないことだった。そもそも、人がお手洗いに行くタイミングを一々気にする方が失礼であるし、それによって何か問題があるわけでもない。 
 それは彰にとっては些細な疑問であり、どうでもいいことでもあった。自分と他人の行動は違うということを、再確認しただけのことだった。

 それよりも、彰には願望があった。少しでも紗椰と一緒にいたいから休日は彰の部屋に泊まってもらっていたが、それすらも物足りなくなった。 
 彰には、紗椰が必要だった。片時も離れたくはなかった。些細な疑問など、紗椰への想いが強くなるほど薄れていった。

 交際を始めてから一年と少し経った頃、彰は紗椰を誘った。

「一緒に暮らさへん?」

 紗椰が自分を好いてくれていると思っていた彰だったが、同棲となると色々とハードルがあることも分かっていた。だからこの誘いは一度は断られる可能性があることも、予想はしていた。 
 紗椰は目を丸くし、ほんの少しだけ呼吸を止めたようだった。だがすぐに下を向いて、そのまま彰と目を合わさずに答えた。

「ごめん、それはできひん」

 予想していたのに、彰の心は深く、深く沈んだ。紗椰の声は、これまでに彰が聞いたどの声よりも暗いものだ。

「そっか⋯⋯」

 彰は一緒に暮らせない理由を紗椰に聞けず、紗椰もそれ以上、何も言わなかった。 
 彰は紗椰のことが分からなくなった。多少の自惚れはあったとしても、紗椰のこれまでの振る舞いから、自分が嫌われているとはどうしても思えなかった。もし本当に嫌われていたとしたら、それに気付かなかった自分をどこまでも軽蔑してしまう。

 二人の間に、黒々とした影が渦を巻いた。その渦から、逃げることはできなかった。