「海斗はいるか?」

午後の仕事が始まると社長室に突然、初老の男性が入ってきた。
背が高く、がっちりした体形で顔立ちが整っている。
海斗さんの父親で神野フーズ会長、神野忠だ。

「親父!? どうした?」

海斗さんも驚いてパソコンから顔を上げる。
今まで会長が社長室に出入りすることはほぼなかった。一昨年、体調を崩してから経営は全て海斗さんに任されていたからだ。
相談役として会長職にはついているから先日の横領事件でも、役員会、株主総会には顔を出してはいたが、ほとんどは海斗さんが指示だししている。
私も顔を合わせれば挨拶をしたくらいだった。
その会長がソファーに座ったので、慌ててお茶を入れに行く。
急にどうしたんだろう。また何かあったのだろうか。

「親父、どうしたんだよ。急に」

海斗さんも会長の訪問に驚きを隠せないでいた。
会長は口角を上げて息子である海斗さんを見る。

「お前、この前の横領事件はどう思っている?」
「え? それはもちろん俺の管理不足だとは思っているけど……」
「うむ、そうだな」

会長は腕を組んでうんうんと頷いている。
海斗さんはそんな会長を軽く睨んだ。

「そもそも、竹田の横領は親父の代から行っていたことだ。親父がもっと早く気が付いて対処していれば……」
「そこは悪かったと思っているよ」
「……絶対思っていないだろう」

会長の軽い口調に、海斗さんは疲れたようにはーっとため息をついてソファーに寄りかかった。

「で? 何しに来たんだよ。俺も暇じゃないんだけど」
「そう言うな。お前にお見合い話を持ってきたんだから」
「なんだ、そんなこと……、今なんて言った?」

一瞬流しそうになった会長の言葉に、海斗さんが体を起こす。
ちょうどお茶を出していた私も、思わずこぼしそうになった。

「お見合い?」
「そうだ。海斗、お前にはお見合いをしてもらうぞ」

にんまり笑う会長に海斗さんが手で待ったをかける。

「ちょっと待て。俺はお見合いなんてしないぞ」
「なんでだ?」

そう聞かれて、一瞬言葉に詰まって私をチラッとみる。
そして、はっきりと言った。

「恋人がいるからだ」
「……この子か」

会長は私を振り返り、じっと見てから呟いた。
海斗さんの視線で、私だと気が付いたのだろう。

「そうだ。大園と付き合っている。だからお見合いなどできない」
「大園さんはどこかのご令嬢なのかな?」

会長は優しく問いかけるが、探りを入れるような目線にたじろぐ。

「いえ……、普通の家庭です」

消え入りそうな呟きに、会長は頷いた。

「そうか。では残念ながら、別れてもらおう」
「親父!」

会長の言葉に海斗さんが鋭く制止する。
私は自分から血の気が引くのが分かった。

「いい加減にしろよ。俺は別れない」
「海斗、お前は自分の立場をわかっているのか? この神野フーズを背負ってこの先何十年とやっていくんだ」
「わかっているよ」
「では、その神野フーズにふさわしい嫁が必要だということもわかるだろう」

‘ふさわしい嫁’
その言葉は私の心にナイフのように刺さった。
会長の言いたいことはわかる。
世界的企業にまで成長した神野フーズには、一般家庭の女ではなく、神野フーズに釣り合うような良家の令嬢などがふさわしいと。

「必要ない。この会社は俺が運営しているんだ。嫁なんて関係ないだろう」
「お前は何もわかっていないな。これを見ろ」

会長はテーブルに台紙を広げた。中には写真が入っており、色白で小柄な可愛い女性が移っている。お見合い写真だ。

「彼女は横川真理愛さん。歳は23歳だからお前とちょうど10歳違うな。彼女はあの横川ホールディングズの次女だ」
「横川ホールディングズって……、あの?」
「あぁ、財閥の流れをくむ世界的企業だ」

そんな凄いところのお嬢さんとお見合いなんて……。
確かに私とは家柄も何もかもが違う。

「先日の横領事件が世間であまり大ごとにならなかったのは、この横川ホールディングズが支援してくれたからだ」

会長の言葉に海斗さんが額を抑えて俯く。

「なんで勝手なことを……っ」
「私が支援を申し出たんじゃない。私と横川は旧知の中でね。うちの状況を知って、あちらが勝手に……と言っては聞こえが悪いが、手を貸してくれたんだ」
「その条件がお見合いだっていうのか?」

海斗さんの怒りを含めた声に、会長は首を振る。

「お見合いは話の流れだ」
「ふざけるな! 支援とお見合いは関係ないじゃねーか。そもそも勝手なことするなよ!」

海斗さんの口調が荒く、きついものになる。
しかし会長は顔色一つ変えない。

「お前は本当に何もわかっていない。私が言いたいのは、婚家も我が家にふさわしい相手の方がゆくゆくは利用価値があるということだ」
「利用価値で結婚なんかしない」

海斗さんのきっぱりとしたいい方に、会長はやれやれと首を振る。

「海斗。会社を第一に考えろ。お前には何万人という社員の人生がかかっている。それを考えたとき、何が一番最善なのかが分かるはずだ」

会長は「よいしょ」と席を立って、入口へ向かう。
私は震えそうな手を抑え、扉を開けた。
会長は足を止めて私を見下ろした。

「大園さん。君なら私の言いたいことが分かるよね?」
「……会長、私は……」
「また、ゆっくり話そう」

会長は微笑んで部屋を出て行った。
パタンと扉が閉まる音が部屋に響く。

「あんな奴の言うことなんて気にしなくていいからな」

海斗さんはため息をつきながら立ち上がる。
気にしなくていいだなんて言われても……。

「海斗さん……、でも……」

どうしたらいいんだろう。
言葉にならない不安に唇をかむと、海斗さんが私を抱きしめてきた。

「心配するな。俺は花澄と別れるつもりは微塵もない」
「でも会長が……」
「親父のことは俺が何とかする。大丈夫だから、な?」
「はい……」

安心させるようにギュッと抱きしめられる。