次に思い出したのは、クア教国で追っ手から逃げ出したときのことだ。

 馬車を降りて近くの運河に飛び込んだシャノンは、奇跡的に岸までたどり着いた。近くにはぽつんと民家があり、周辺の寂れた様子を見るに、国境沿いまで流れてきたのが分かった。

 空腹で立ち上がることができなかったシャノンは、近くに転がり落ちていた赤い実に手を伸ばした。意識が朦朧としており当時は赤い実に見えたそれは――赤黒いクロバナの種だった。


 それでも飢えを凌ぐことで頭がいっぱいだったシャノンは、それがクロバナの種であることに気づかないまま食べてしまう。

 途端に襲ったのは想像を絶する痛みだった。シャノンは悲鳴すらあげられないままもがき苦しみ、生死をさまよった。
 いくら聖女といえど、クロバナの毒素を体に含むのは自殺行為である。シャノンは三日三晩その痛みに耐え続け、そして、生還した。


 理屈を紐解くほどシャノンは毒素について詳しいわけではない。けれど、単なる想像ではあるが、この時からシャノンの体には毒素の抗体ができていたのかもしれない。

 その証拠に、辺境までシャノンを捕まえようとやってきた追っ手の目をかいくぐり、意識を朦朧とさせながら聳えるクロバナの蔦の前に立ったシャノンは、手をかざすだけで長年誰もが果たせずにいたことを、国と国を阻んでいた蔦の中を通り抜けることができたのだった。


『いいか。ああなりたくないなら、反抗せず言うことを聞け。力を使え、でないとお前も――』

 次は、見世物小屋での記憶だ。
 自覚はなかったが、この数年の記憶も所々欠落していた部分があったらしい。

 目の前には、齢十二ほどの少女がいた。

 その頃のシャノンと同じ年頃。シャノンは檻の中から少女の姿を見つめている。少女は、歪な笑みを浮かべる肥太った男に手を引かれて見世物小屋を出ていった。