「ルロウ」

 中庭に到着すると、すぐにルロウの姿を発見する。
 彼は煙管を咥えながらぼんやりと空を見上げており、シャノンの声が聞こえるとゆっくり振り返った。

「……どうした、あいつらとは話し終えたか?」
「そう、ですね。ひとまずは。ルロウに話があって、途中で抜けてきたんですが」
「おれに?」
「あの……」

 ルロウを前にして、シャノンは口ごもってしまう。
 こうして真正面に立ってから気づく、これまでとは全く違う視点、景色。

(なんだろう。今までより顔が近くに感じて、気恥しいというか、照れるというか……)

 体が成長して、戸惑いながらもシャノンは大人になった気でいた。
 そもそも体が小さかっただけで中身は元から15歳。子供ではなかったはずだ。

 それでも、目の前で静かに佇むルロウを見つめると、自分がずっと幼く感じてしまう。

(というより、ルロウが実年齢より大人っぽいんだよね。これまではそんなふうに考えて意識したことなかったけど、ルロウは顔付きも体付きも、立派な男の、人――)

 考えていれば、ルロウと視線が交わった。
 いつも通り感情が気薄で何を考えているのか分からない――だけど、真紅の眼は、シャノンを映して優しく和らいでいる。

 いつからルロウは、そのような目を向けてくるようになったのだろう。

「ルロウは、どうしてわたしを婚約者にと言ってくれるのですか?」

 話そうとしていたことを横に置いて、シャノンは気になったことを口にした。
 ルロウは意外そうに顔を傾けたあと、まるで陽の光に当たったように目を細める。


「いつか、おまえはおれを、特別だといったな」

 確かに言った。
 ルロウがあまりにも聖女、聖女とうるさいから、「聖女なんてどうでもよくて、特別なあなたの苦しむところを見たくない」のだと。

 シャノンにはそれが、なんだか遠い昔のことのように感じる。

「おまえの云う、特別とはなんだ」
「それは……」
「色恋に当てはめるのなら、それは好きという感情の一つなのかもしれない。だが、おまえに当てはめるにはどうにも陳腐でならん」

 ルロウは天を仰ぎ、射し込む光の線に目を向け、流れるようにシャノンを見る。

「シャノン。おれは、おまえがまぶしい」

 淡々と、丁寧に。
 語るルロウの声に、胸が一際高鳴る。

「どこに居たとしても変わらない。どこにいようとおまえはまぶしく、おれとは正反対の人間で――特別だ。だからだろうな、欲しくてたまらない。たとえ引きずり下ろすとしても、おれとは相容れない場所にいたおまえが欲しい。婚約はそのための手段だ」

 こんなおれは異常か、と。
 卑下したように薄ら笑うルロウから、シャノンは目が離せなかった。
 シャノンをまぶしいと言う、そんなルロウのことを誰よりもまぶしい人だと思っていたのは、他でもないシャノンだったからだ。

 
(ああ、なんだ。きっとわたしは、最初から――)


 おそらく、万人に理解される想いではないのかもしれない。
 それでもいいと思った。

 なによりもルロウが、自分と似たような感覚でいてくれているから。シャノンが聞きたい答えはもう聞けた。だから伝えられる。

「わたしも、ルロウがまぶしいです。見世物小屋で初めて会ったときから、ルロウはずっとまぶしくて、特別でした」

 光はすべての救いではないと、身をもって知ったシャノンに射し込んだ闇は、どんな光よりもまぶしいものだった。

 いつまでも鮮烈で、あの出逢いをシャノンは忘れないだろう。
 洗脳や偶像視を差し引いて、もしかするとあれは、シャノンの一目惚れだったのかもしれない。

「わたし、婚約者になります。この先もそばにいたいから」


 ――全地よ、暁光のもと、よろこびの声をあげよ。

 始祖大聖女は夜明けに誕生し、陽の光の祝福を受けて世界に受け入れられたという伝承から、暁光は聖女と切っても切り離せないものだった。

 けれどシャノンは、あの頃と違う。
 
 クア教国の聖女ではなくなったシャノンには、縋る光はなくて、自分の居場所を自由に選ぶことができる。

 そして強く思う。
 シャノンの当たり前だった場所から、一歩踏み出す先の世界は、自分を救ってくれたまぶしい闇のところでありたいと。


「ヴァレンティーノでは、正式な婚約者となる者に贈る言葉がある」
「どんな言葉ですか?」
「――」

 闇夜の一族ヴァレンティーノらしい文言だと、シャノンは笑った。



 闇をまとい、闇使いとして、闇夜を生きるヴァレンティーノ。
 明け方の光を否定することは、正反対の世界で生きていくことを暗示し、その者を快くこちら側へ迎え入れるときに使う言葉だという。


「ルシュヴァ・ナール・フォルトゥルフ」

 それはユストピアがまだ一つの大陸国家だった頃、使われていた古い言葉。

 直訳すると、暁光の世から消えて死ね、らしい。
 



【END】