私は東京の閑静な住宅地の生まれで、父と母はどうして子供を作ったのか不思議なほどの仕事人間だった。

寂しくなくはなかったが、何不自由のない生活を送っていたし、親が忙しくしているのが私にとっては当たり前だった。

何より、私は間違いなく両親の子供であった。

母が気が向いた時に読んでくれる童話全集を自分で読みたくて、私の面倒を見てくれていた家政婦さんにねだって平仮名と片仮名を習得したのは、3歳の時だった。

それからは、本を読み潰す日々。幼稚園の帰りに図書館に寄るのが何よりも楽しみだった。読める本を増やすために、漢字の勉強を始めた。

その様子を見た両親は、私に算数を習わせた。算数はただ覚えるだけの漢字よりも楽しくて、本を読むのと同じくらい大好きになった。

小学校は正直ちょっともの足りなく感じて、家に帰ってから自分で勉強をして欲を満たしていた。

ひたすら勉強し続けていた私は、中学受験をして、自宅から通える中高一貫の名門女子校に通うことになった。そこでもただひたすら勉強をし続けて、勉強が私の青春の全てだった。

大学は研究職に就きやすそうという理由で医学部に進学したが、臨床が面白くなり、そのまま付属の病院で働くことにした。

一番難しくて楽しそうと感じた脳神経外科を選び、助教授に目をかけてもらえた私は、順調にキャリアを積んでいた。

勉強ばかりだった私の生活に、ほんの少し変化が訪れたのだ。もの凄くありがちではあるが、助教授の私への指導は医学以外のことにまで及んだ。

高校までは女子校で、大学に入ってからも狂ったように勉強をしていた私にとって、恋愛は、本の中の出来事だった。

自慢ではないが見ためは決して悪くない。むしろ何も手をかけていないにも関わらず、美人といわれる部類に入ると思われる。

その助教授は、医学の知識を惜しみなく私に注いでくれて、その時の私にとって、彼は神様のような存在となっていた。その神様が、女性としての私をご所望になったのだ。

今思えば、ただのおじさんでしかないその助教授に、私は言われるがまま全てを捧げた。

恋愛をしている気分を少なからず味わっていたのは確かだ。幸せじゃなかったか、と言われればそんなことはない、確かに幸せだったと思う。だって、彼はずっと変わらず、私に医学の知識を注いでくれていたから。

そんな関係が数年続いて、何かが色々と麻痺し始めていた。

彼が私に医学のことを教えてくれるのが嬉しくて、それだけで他はどうでも良かったから、周りが私達をどう見てるかなんて気にならなかったし、彼が結婚していることも全く気にしていなかった。気にしなくてはいけなかったのに。

私は、彼の奥さんから訴えられて、あっけなく病院をクビになってしまった。

研修を終えて5年、脳神経外科の専門医認定まであと少しというところまで来ていた。