「前にも説明しましたが、収納魔法は所謂空間魔法の一番メジャーなもので、魔力で時空を切り裂き、そこから空間を生成して、物の自由な出し入れを可能にします。時間魔法を併用すれば腐食や劣化を防ぐこともできますが、、まずは空間魔法からですよね」

そんな感じの小説を読んだことのある私は、理解はできなくても、ギリギリ想像はできた。でもジョニデは、完全に理解が追い付いていない様子だ。

「この世界には重力の概念がないみたいだから、相対性理論はおろか、物理の基礎からいかないと理解できない可能性を感じるよ?」

「物理の基礎、、え?どこから?ニュートンから説明しろってことですか?」

「うーん、、でもジョニデの顔を見て?時空が既にピンときてない」

「え?でも待って?そんなこと言ったら、全ての魔法が科学で説明されないと使えないことになりますよね?」

それもそうだな、、じゃあやっぱりイメージを魔法に変換していくしかないのかな?

魔法は元来、何もないところから必要な物を創造する、超ご都合主義的問題解決ツールだもんね。そりゃ、科学も進歩せんですわ。

この世界の魔法は、人智を超えた物に偏りをみせている。この世界の人々は、元の世界で人間が科学を追求したことによって得た便利さを求めず、今ある物を使い、必要最低限の中で生活をして満足しているのだ。

魔法には科学を超える無限の可能性があるにも関わらず、私が思うほど研究が進んでいない理由は、多分そこにある。

この世界は、目に見えず理解が及ばない物の全てを、神の御業としてありがたがることで思考をストップさせているのだろう。その最たる物が癒しの魔法であり、私という聖女の存在だ。

『聖女なしには世界が成り立たない、唯一無二の存在』

聖女という絶対的な存在は『多くを望むな』という神からの脅しのような物なのかもしれない。

そう考えると、生活に困らない程度の魔法が存在しているのも、人間が無駄に知恵を持たないようにするためなのでは?と感じてしまう。

だとしたら、なんてつまらない世界なのだろう。

コペルニクスもガリレオも、ニュートンだって創造主としての神を信じていたというし、私も神の存在は否定しない。ただ、、

「この世界を作った神が存在するとしたら、、そいつは絶対文系だな」

思考が収納魔法から大きく外れ、その結果至った結論をあきら君に伝えたが、はしょり過ぎてキョトンとされてしまった。

いつの間にかジョニデは訓練室から消えていたし、残念ながら今日の収納魔法講座は終了だな。