自分に運がないと感じるようになったのは、いつ頃からだっただろうか。

誰に似たのか勉強だけはやたらとできた俺は、国内でも指折りの名門校に合格した。

公立の高校でいいと渋る両親を説得してその名門校に進学した俺は、周りについて行くため3年間必死で勉強したのだが、国立大学二次試験の5日前に交通事故にあうという不運に見舞われた。

手足とあばらを骨折、頭部を強く打ち意識障害もあったため、試験を受けるどころではなくなった。

頭部損傷による後遺症に加え、きついリハビリもあり、心身共にボロボロだった俺は、浪人して国立大学を受け直すのを諦め、滑り止めの私立大学に進学を決めた。事故にあったのが私立の受験が終わったあとだったのは、不幸中の幸いだったのか。

その後も後遺症に悩まされ、大学を卒業するのもギリギリという状態だった。

当然、就職にも苦労した。

国内最高峰の大学を目指して勉強していた俺の滑り止めは、所謂有名大学だったが、まだ完全に氷河期を抜けきれていない時期だったため、成績も人当たりも悪い俺では、なかなか内定が出なかったのだ。

当時雇用が増えていたIT系の企業にようやく就職が決まったものの、そこはテンプレ通りのブラック企業というやつだった。

適正があったようで仕事はそつなくこなせたが、過酷な労働環境で体が悲鳴をあげ続けていた。

古傷による神経痛、後遺症による無気力感、朝から朝まで続く仕事、やっとベッドに入っても眠れない。鎮痛薬と胃薬と睡眠薬が手離せず、栄養ドリンクで体を動かす日々。

このままじゃいけないと思いつつ、抵抗する力が残っていなかった。

色々なことが麻痺していき、痛みにも慣れ、もう何も感じないと思い始めていた頃、強烈な頭痛に襲われた。

ああ、俺はまだ生きていたんだな。

薄れていく意識の中で、なんとなくそんなことを考えていた。

確かその日は、俺の30歳の誕生日だったはず。

走馬灯がよぎることもない、実にくだらない人生だった。