そう言って手に視線を落とす彼。お願いだからあの事件のことは思い出さないでほしい。こっちも恥ずかしくなるから。

 さっきまで赤くなっていたリヒャルドは、今度は青くなりながら頭を抱えた。忙しい人だ。リヒャルドは基本人懐っこい性格で、他人との距離感が近くスキンシップが多い。会えばベタベタ触ってくるし、組み技を悪ふざけで仕掛けてくることも。もちろん、そのときはコテンパンにやり返すが、それは男女の触れ合いで許容できる範疇を超えていた。

 リヒャルドは直角に腰を折り曲げて叫んだ。

「悪かった! 知らなかったとはいえ、未婚の令嬢にとんでもない無礼を働いた! 死んで償う!」
「ま、待った待った! 早まらないでください」

 杖を出し、死の魔法を詠唱し始める彼を必死に止める。

「お気になさらないでください。悪いのは、騙していた私の方ですから。むしろ、すみません」

 それからオリアーナは、リヒャルドにこれまでの経緯を打ち明けた。レイモンドが伏せっていることを聞くと、彼は切なげに顔を歪めた。

「どうして俺にそれを話した? ……身代わりなんてトップシークレットだろ?」
「リヒャルド王子に頼みたいことがあるからです。弟を救うために、私に力を貸していただけませんか」
「ああ。俺にできることならなんでもする。あいつは、俺の親友だ」
「ありがとう。あなたならそう言ってくれると思っていました」

 リヒャルドは詳細を聞くよりも先に二つ返事で了承してくれた。オリアーナから具体的な内容を聞いた彼が反芻する。

「つまり、精霊と意思疎通する練習に付き合えばいいんだな? 分かった」

 魔力核の移植を行う大前提として、オリアーナが精霊と意思疎通をはかり、依頼することができなければならない。施術の日は、ユフィーリアが神気が最も高まる日を選んでくれた。およそ一ヶ月後である。そこに備え、オリアーナは修行に励む。

 具体的な修行計画は、神殿が考えてくれた。毎日早朝の最も空気が清らかな時間に、神殿の敷地にある神木の根元で瞑想し、精霊たちに様々な依頼をして課題をこなすというもの。エトヴィンからは、修行の際、万が一何かあったとき対応するために、最低一人は実力のある魔法士を伴うようにと言われている。

 オリアーナはすでに、その保護役をジュリエットとセナに頼んでいた。そしてもう一人、精霊を見ることができ、始祖五家と同格の魔法使いであるリヒャルドが決まった。

「んで? 俺は週初めの二日担当でいーんだな?」
「はい」
「了解。レイモンドにもよろしく伝えてくれ。それじゃまたな。オリアーナ嬢」

 リヒャルドは小さく笑って立ち上がった。オリアーナの元を去る前に、こちらを振り返って言う。

「言い方は悪いがあんなろくでなし、別れられて正解だったと思うぜ」
「はは……」
「これでセナも心置きなくお前を口説けるようになるしな」
「セナが? どうして?」

 なぜセナがオリアーナを口説かなければならないのだろう。こてんと首を傾げる。

「どうしてって、そんなの決まって――まさかお前、気づいてないのか」
「え……?」
「割と有名な話なんだけどな。まぁいいさ。俺から言えるのは、セナはいい男だってことだけだ! 俺の次にな」
「はぁ……」

 脈絡がなくて意味が分からなかったが、リヒャルドはそれだけ言い残して行ってしまった。