院長夫婦が病室を出て直ぐハッチがやって来た



「お待たせ」


「おはようございます」


「はよ、これ退院祝い」


背中側から現れたのは小さなブーケだった


「ありがとうございます」


全体的に淡いピンクでまとめられたブーケは可愛い
ハッチがこれを買ってきてくれたと思うだけで頬が緩んだ


「荷物それだけか?」


「はい。これだけです」


目が合った途端に鼓動がフル稼働で、緩んだ頬が熱くなる


それに一々反応しては、突っ込まれた時に益々真っ赤になるのは目に見えているから


いつも通りの対応を心がける


「じゃあ行くか」


「はい」


一週間経ったとはいえ
身体につく醜い痣と左腕のギプスはしばらく残る


足首の腫れに湿布とサポーターをつけて
小百合さんに頂いたサンダルを履いているから隠しようもない怪我人である


紳士なハッチは荷物を持った上に私の右手を取って


「転んだらまた入院だぞ」


脅しも忘れない


「段差に気をつけろ」


「はい」


狭い歩幅の私に合わせてくれる優しさに甘えながら
時間をかけて夜間通用口から出た


「あれ」


ハッチが指差すのは目の前に止まっている黒いスポーツカー


・・・っ


綺麗な流線型の車に心臓が嫌な音を立てた


理由は分からないけど
急に強く打つ鼓動はいつもと違っていて


・・・・・・苦しい


「どうした?」


立ち止まって顔を覗き込むハッチに


「・・・ううん。大丈夫です」


首を振って促されるまま助手席に乗り込んだ


「・・・っ」


強く香るハッチの匂いと
窓から見える景色


運転席に乗り込んでくるハッチの姿


鈍い頭の痛みに重なるように映像が流れ込んできた


「ほら、かけとけ」
膝にかけてくれたのは私のブランケット


「動かすぞ」


車が静かに走り始めると
逃げるように窓に顔を向けた





流れる景色が


いつかの景色と重なる



図書館



ブランケット



付箋紙



中央図書館



ケーキ



忘れていたこれまでが
鮮明な映像で埋められていく



あぁ、なんで

今、なんだろう



バスから見えたこの車


肩を抱かれた女性




呼び止められた日


『永飛を返して』と懇願する瞳


振り上げられた手


回転する景色と激しい痛み



最後の景色は


ハッチの大切な人の微笑みだった






「花恋」



気がつけば車は止まっていた


「花恋」


どうしても右側を見ることができない


ハッチは誤解だと言った


でも


本当に誤解だろうか



苦しい胸を服の上から押さえる



その手にポタポタと涙が落ちてきて、右手で顔を覆った


「花恋。悪かった」


壊れ物に触れるみたいに
そっと、そっと撫でてくれるハッチの手


「そのままでいいから聞いて欲しい」


低くて甘い声に


またひとつ涙が落ちた