越智家に初めて来た日のことは今でも鮮明に覚えている。
後から知ったのだが、僕は正子さんの友人から譲られた子犬だったらしい。
正子さんの運転する車に乗って越智家にやってきた。僕のいるゲージをリビングのカーペットの上に置くと、正子さんは友人に電話を掛けに行った。
「えぇ、今帰ってきました。今回は大切なワンちゃんの子犬をお譲り頂いてありがとうございました。・・・いえ、こちらこそ本当に。娘も主人も楽しみにしていますの。大事に育てますね。実(みのり)さんもここ数ヶ月はワンちゃんの出産準備でお疲れでしょう?どうぞゆっくり休んで下さいね。・・・えぇ、それじゃあまた。ごめん下さい」
正子さんは受話器を置くと、僕がいるゲージの前にやってきてしゃがんだ。
「こんにちは。まだ緊張しているわよね。扉を開けておくから、気持ちが落ち着いたら出てきてくれるかしら」
そう言って、ゲージの扉を開ける。初めての場所に対する緊張と不安でなかなか足を踏み出せなかった。そんな僕を正子さんは少し遠くから座椅子に座って辛抱強く見守ってくれている。
その時、玄関のドアがガチャッと開く音がした。
「ただいま〜!お母さん!レムは?レムはもう帰って来てるの?」
パタパタと足音をさせながら、小学生くらいの女の子がリビングに入ってきた。
「おかえり。さっき帰って来た所よ。でもレムはまだ緊張しているみたいだから優しくしてあげてね」
「うん!分かった!」
女の子はそーっと僕のいる方に歩いてくると、カーペットにペタリと座ってこっちを見ている。
何となく歓迎されている雰囲気を悟ったので、恐る恐るゲージから出てみた。すると女の子は嬉しそうに表情を明るくした。
「初めましてレム!私は侑芽。今日からここが君のお家だよ。よろしくね」
とびっきりの笑顔でそう言って、優しく背中を撫でてくれた。
これが僕と侑芽ちゃんの最初の出会いだった。
越智家のみんなは僕をとても可愛がってくれて、家族として大事にしてくれた。
僕の誕生日には部屋を飾りつけて、スペシャルなフードでお祝いしてくれた。それも毎年だ。
特に侑芽ちゃんとは一緒に過ごす時間が長かったので、仲良しになった。言葉は通じないはずなのに、なぜか僕たちはお互いの考えていることが分かっていたように思う。
でも、たまに思うことがあった。今も楽しいけれど、もしも僕が人間の姿になって侑芽ちゃんと遊ぶことができたらどんな感じだろうと。きっとすごく楽しいはずだと、夜な夜な考えることがあった。
そんなある夜。いつものようにリビングのクッションの上で眠ると、夢を見た。
そこは古民家風の一軒家で、僕はそこの玄関の前に立っていた。ドアは開きっぱなしだ。
中に入ってみようと歩き出すと、何だかいつもと感覚が違う。夢だからかな?と思って奥に進む。その家のリビングはホール状の吹き抜けになっていた。
そしてそこのソファに、大好きなご主人様の姿があった。
「あれ、あなた・・・。やっぱり、レムだ!レムでしょ?」
「侑芽ちゃん、どうしてここに・・・」
そこまで言って驚いた。なぜか人間の言葉が話せている。
「うわ〜すごい!夢の中で遊ぶのには慣れているけど、まさか本当にレムが人間になった姿が見られるなんて!」
「人間?」
まさかと思い、部屋にあった姿見で自分を見る。そこには侑芽と同じ年頃くらいの少年が映っていた。フワフワの茶色がかった髪、クリッとした目。手も足も、全部が紛れもなく人間だった。
「びっくりした。僕が人間の姿になっているなんて」
「えへへ。ここは私が見ている夢の世界だからね。何でもアリなんだよ。最近、レムが人間だったらどんな感じかなぁ〜って想像することが多かったから夢に現れたんだろうね。嬉しいなぁ。レムと話せるなんて」
「僕も嬉しいよ。僕も侑芽ちゃんとお話ししたいと思っていたから」
「ありがとう!まぁ、これは私が見ているだけの夢だから、実際のレムと話せているわけではないけれど・・・。でも良いよね!嬉しいのに変わりないもん!」
それを聞いて疑問に思った。侑芽ちゃんはここは自分が見ているだけの夢の世界だから現実世界の僕と違い、ここにいる僕は自分が作り出した空想だと思っているみたいだ。
でも僕にはこの通り意志がある。どういうことだと少し考えて答えが分かった。
僕の夢と侑芽ちゃんの夢がリンクしているのだ。お互いの願いが共通だったから世界が繋がったのだと思う。
それを伝えようと思ったけど、やっぱりやめることにした。この世界の中で伝えた所で侑芽ちゃんは夢だと思っているし、現実世界の僕は人間の言葉を話せないので証明のしようが無い。
まぁでも良い。何はともあれ、まさに夢にまで見た人間の姿で侑芽ちゃんと遊ぶことができているのだ。それだけで十分だった。
「レム。今はね、私ファンタジーにハマっているからここは魔法の国なんだよ。
さぁ、このローブを着て。一緒に魔法学校に行こう!」
「うん!行こう、侑芽ちゃん」
2人で黒いローブを纏うと、玄関のドアから勢いよく駆け出した。
##########
そんなこんなで、時たま侑芽ちゃんと夢中町(これがあの古民家がある場所の名前らしい)に集まっては、一緒に遊んでいた。侑芽ちゃんが中学生になってミステリーにハマると、あの家は探偵事務所になっていた。
夢の中だけでなく、現実世界でも相変わらず侑芽ちゃんは僕と遊んでくれた。
そして、越智家のみんな以外にも僕と遊んでくれる人がいる。
「こんにちはー。お邪魔します」
「いらっしゃい、のんちゃん。荷物その辺りに置いといて良いよ」
「おぉ、サンキュー。・・・レム。久しぶりだな。お邪魔させてもらうよ」
僕にそう声を掛けたのは侑芽ちゃんの幼馴染で同級生の望夢君だ。僕が子犬の頃からよく遊んでくれている。優しい良い子だ。
そして多分だけど、ある時期から侑芽ちゃんは望夢君に対して特別な感情を抱いていると思う。本人が自覚しているかは分からないけど。
望夢君が荷物を下ろしていると、侑芽ちゃんがスマホを見ながら「え!」と声を出した。
「ん?侑芽、どうかしたか?」
「それが、今お母さんからメッセージが来たんだけど、のんちゃん用のお菓子を買いにスーパーに来たら、財布を家に忘れて来ちゃったんだって」
侑芽ちゃんが困り顔でスマホから顔をあげる。
「マジか。届けてあげたら?」
「うん・・・。ごめんね、すぐ戻るから!レムのことお願いしてて良い?」
「大丈夫。行って来な」
「ありがとう。冷蔵庫の飲み物適当に飲んでて良いからね。それじゃ、ちょっと行ってくるね」
侑芽ちゃんが上着と財布を掴んでバタバタと出かける。
僕と2人きりになった望夢君は、こっちに来て僕の頭を撫でてくれた。
「よし、レムなにして遊ぶ?それか日向ぼっこでもするか?」
窓から差し込んでくる日差しの誘惑に耐えられず、僕はゴロンと横になってしまった。
「あはは。まぁのんびり待ってような。
・・・なぁ、じゃあ暇つぶしに俺の相談に乗ってくれよ」
望夢君は僕の横にある布団に座ると、窓の方を見ながら話し始めた。
「もうレムにはバレてると思うけど、俺、ずっと前から侑芽のことが好きなんだよね。俺なりに頑張ってアプローチしてるつもりなんだけど、全然効果なしでさ」
望夢君は独り言のようにポツポツと話す。
侑芽ちゃんが想っているように、彼もまた侑芽ちゃんに対して特別な感情を抱いているのは、お察しの通りもちろん前から気付いていた。肝心の当人同士が気付いていないだけで。
「侑芽はどんなタイプが好きなんだろうな?どうしたら好きになってもらえるんだろう。レムは侑芽の家族なんだし、何か知らないか?」
(そのままの気持ちを言ったら良いですよ。でも、注意してくださいね。望夢君なら大丈夫だと思いますが、侑芽ちゃんを悲しませるような事がないように。それだけは警告しておきますよ)
この気持ちを込めて、望夢に視線を送る。すると伝わったのかどうなのか、望夢は苦笑しながら、頭をかいた。
「さすが越智家の頼もしい番犬だな。レムには敵わないよ。相談乗ってくれてありがとう。覚えておくよ」
やっぱりこの子も侑芽ちゃん同じ、相手の気持ちを汲み取るのが上手だ。
2人ともそれが恋愛に活かせたら良いのだが。
そこまで思った所で、侑芽ちゃんと正子さんが表の門を開けた音が聞こえた。
##########
それからも、2人の関係性は焦ったいままだった。夢中町でそれとなく侑芽ちゃんに望夢君が好きなのか聞いてみたが、ものすごく否定されてしまった。不自然すぎる拒否反応に、それでは逆に肯定してしまっているのでは。と思った。
ところがそんなある日。大事件が起こった。
バレンタインデーという女の子が男の子にチョコレートをあげるイベントがあることは僕も知っている。侑芽ちゃんが毎年お父さんに渡しているし、僕にも美味しいおやつを買ってきてくれるからだ。
そして直接見たことはないけれど、多分望夢君にも渡している。数日前から楽しそうな表情で雑誌のバレンタイン特集記事を見ながら、あれも良いこれも良いと選んでいるのだ。
バレンタインデー当日の夜6時ごろに、家の前で話している2人の声が聞こえてきた。「持って来てくれる?」「ちょっと待っててね」という会話が聞こえると、侑芽ちゃんが家に入って来てキッチンの冷蔵庫を開けた。そして再び出ていった。
今年もチョコレートを渡せたのだろう。でも多分気持ちまでは渡せていない。「友達として」そう偽って渡したのだろう。でも侑芽ちゃんが良いのなら仕方ない。今はまだ伝えられないのだろう。きっと自然と言える日が来るはずだ。僕はそう思っていた。
しかし、そのあと帰宅した侑芽ちゃんは明らかに様子がおかしかった。まず表情が暗い。あからさまに落ち込んだ素振りは見せていないが、何をしていても心ここにあらずな感じだ。
心配して見ていると、それが伝わったのか、侑芽ちゃんは寝る前に僕の所に来てくれた。
「レム、聞いてくれるかな。実は今日ね、のんちゃんが隣のクラスの女の子にチョコを渡されているのを偶然見ちゃったの」
侑芽ちゃんは複雑そうな表情で僕の背中を撫でてくれる。
「そしたら、なんか動揺しちゃって。一応私ものんちゃんにもチョコ渡したけど、あれは義理だし・・・。いや、何言ってるんだろうね。私とのんちゃんは付き合ってないし、そもそも私はのんちゃんの事を友達として好きなだけだし」
何とか動揺を誤魔化そうとしているけれど、その表情晴れない。
「ダメだ。全然論理的じゃない。矛盾だらけだよ。ねぇ、レム。私どうしたら良いのかな?」
力無くそう呟く侑芽ちゃんに僕は何も言えず、膝に鼻をスリスリするしかなかった。
そこから何日経っても、侑芽ちゃんの元気は完全には元に戻らなかった。
表面上はいつも通り振る舞っているけれど、僕にはお見通しだ。それに正子さんたちも勘付いていると思う。時折り心配そうな顔で侑芽ちゃんを見ているからだ。
そうこうしている内に、バレンタインデーからとうとう1ヶ月が経った。
このままではいけない。越智家のみんながいつもの元気がない。そして何より、恐らく侑芽ちゃんはこのまま気持ちを押し込めるつもりだ。それではダメだ。それだと望夢君の気持ちも報われない。
(こうなったら少々強引ですが、夢中町で話をするしか方法はないようですね)
しかしこの1ヶ月の間に、夢中町へは1度も行けていない。多分侑芽ちゃんの心に余裕がないせいだろう。
だったら侑芽ちゃんの方から夢中町に来てもらえば良い。いつもは侑芽ちゃんの夢に僕が行っている形だけど、今回は僕の夢に来てもらおう。
こういった不思議な力は、本来人間よりも動物の方が優れている。僕の方が侑芽ちゃんより上手くあの世界をコントロール出来るはずだ。
そう決意し、僕は音を立てないように2階に上がる。幸い侑芽ちゃんの部屋のドアが開いていたのでスムーズに入ることができた。
「あれ・・・。どうしたのレム、珍しいね。今日はここで一緒に寝ようか」
侑芽ちゃんが布団の中で身じろぎしながら言う。結構前におやすみの挨拶をしたのに、やっぱり今日も眠れていないみたいだ。
僕はベットのすぐ下のクッションの上で丸くなる。
(侑芽ちゃん、大丈夫。大丈夫ですよ。侑芽ちゃんならきっと乗り越えられます)
そう思って、自分の作り出す夢中町へ行くべく、眠りに落ちた。
##########
目を開けると、いつもの探偵事務所前に来ていた。急いで表札を確認すると『レム探偵事務所』になっている。
「どうやら上手く行ったようですね。あとは侑芽ちゃんが来てくれると良いのですが・・・」
とりあえず、中に入って侑芽ちゃんが来る準備をする。今回は僕が探偵で侑芽ちゃんが依頼人。今までずっと隣で侑芽ちゃんの探偵術を見てきた。きっと僕にも出来るはずだ。
まずは依頼人用に飲み物の用意をしておく。リラックスして話しやすくする為にだ。これも侑芽ちゃんから教わった。
ミルクをお鍋に注いでIH(僕は火がダメなので)で温めていると、事務所の外から足音が聞こえてきた。次に玄関のドアが開く音が聞こえて、侑芽ちゃんが入ってきた。いつもと違う僕の雰囲気に、少し不思議そうな表情をしているものの、どうやらここが僕の夢の中だとはまだ気付いていない様子だ。
いつ気付くかなと様子を伺ってみたが、あまりの再現性の高さに一向に気付かないみたいなので、教えてあげることにした。
自分が依頼人になっている事に驚いたようだが、割とすんなり受け入れてソファに座ってくれる。でも、肝心の依頼内容はなかなか話してくれない。やはり一筋縄ではいかないようだ。元々、侑芽ちゃんは自分の気持ちを話すのが苦手な傾向にある。だからこそ、理路整然と自分の推理を述べて真相を見抜く探偵に憧れているのだと思う。
しかし今回ばかりは僕も引くわけにはいかない。苦手だとは思うけど、侑芽ちゃんの為にも気持ちを話してもらえるように促す。
僕がバレンタインの日の事に触れると明らかに狼狽した。やはりこれが原因だった。目線を彷徨わせる侑芽ちゃんを落ち着かせるべく、隣に座る。
「侑芽ちゃん。前にも言いましたが、夢でも現実でも僕は侑芽ちゃんが悲しい思いをするのは嫌なんです。そりゃ、どうしようもない事もあります。でも今回の事件は解決できる事だと思います。どうか侑芽ちゃんの思っていることをそのまま聞かせて下さい」
そう声をかける。これは別に喋ってもらうための言葉ではなく、僕の本心だ。
望夢君は侑芽ちゃんと同じ気持ちだ。侑芽ちゃんさえ自分の気持ちに正直になれば、この事件はきっと解決する。
すると、侑芽ちゃんは少しずつ、気持ちを話してくれた。長いこと心の奥に押し込めていた感情が見え隠れしている。
『依頼人はね。最初から全部は話してくれないの。でも、決してそこで焦っちゃダメ。本当は話したいと思っているはずだから、きっかけを待つの。そしてここだってチャンスが来たら確信を突く。それが大切なんだって、この前読んだ小説に書いてあったんだ』
他ならぬ侑芽ちゃんに教えてもらった「落としの」テクニックを思い出す。
ここがチャンスだと判断して確信を突く。
「侑芽ちゃんも本当は気付いているはずですよ。いや、正確には気付かない振りをして来たんですよね。もうずっと前から・・・。その気持ちをどうして望夢君に伝えないんですか?」
畳み掛けるように言葉を重ねる。すると、
「だって」
その言葉を皮切りに、侑芽ちゃんは望夢君への本当の気持ちを伝えてくれた。
それはあまりにも純粋な、僕からしたら眩しいくらいの初々しい感情だった。
頑張って話してくれた感謝の意味を込めて、侑芽ちゃんの頭を撫でる。
いつも侑芽ちゃんが僕にしてくれるその行動は、撫でる側もこんなに穏やかな気持ちになると言うことを初めて知った。
そして、解決まではあと一歩だ。望夢君と両思いであることを知ってもらって、想いを伝えてもらうのだ。
これもなかなか大変だった。侑芽ちゃんは望夢君は友達としてとしか思っていないと言って譲らないのだ。そこで嘘も方便。ホラを吹かせてもらった。
「本当にそう思っていますか?ご存知の通り、ここは侑芽ちゃんが作り出している夢の世界です。ここの住民である僕の言葉は、言わば侑芽ちゃんの深層心理だと言えるんですよ。
侑芽ちゃん、あなたは人の気持ちに敏感な聡い子です。僕はそれをよく知っています。望夢君の言葉や態度から、その可能性を考えた事は本当に無いですか?」
「僕の言葉はこの世界を作り出している侑芽ちゃんの深層心理」だなんて、夢中町そっくりの世界を作り出して侑芽ちゃんを連れてきておきながら、どの口が言うのか。いつだって、最初から僕の言葉だけはどの世界でも僕自身の言葉だと言うのに。
でも、侑芽ちゃんにも思うところはあったらしい。図らずも侑芽ちゃんの気持ちを当てることが出来た。
その甲斐あってか、侑芽ちゃんはとうとう決意してくれた
「・・・分かった。目が覚めたらのんちゃんに気持ちを伝えに行くよ。もうこうなったら当たって砕けろだからね!」
本当は不安でいっぱいのはずだ。でもシャンとしようと背筋を伸ばすその姿を見て、思わず侑芽ちゃんの頭に置いていた手を下ろした。なんだかすごく聡明な大人の女性に見えたから。
侑芽ちゃんが現実世界に帰ろうとした時に、今日僕が1番伝えたかった言葉を言った。
「何かあったらまたここに来て下さい。もし来れなくなったら向こうにいる僕に話してくれても構いません。何があっても、僕は侑芽ちゃんの味方です。それは夢でも現実でも変わりません。どうかそれだけは忘れないで下さいね」
いつも思っている。たとえ世界中が侑芽ちゃんの敵になっても、僕だけは味方でいると誓える。優しい侑芽ちゃんのことだから実際にはそんな事ないだろうけど、でも本心だ。
僕の言葉に、侑芽ちゃんは泣きそうな笑顔でお礼を言うと、霧の中に飛び込んで現実世界へと帰っていった。
残された僕は、現実の僕が起床するのを待つ。
その間、侑芽ちゃんと最初に会った時のことを思い出していた。
最初はお互い子供だったけど、僕は侑芽ちゃんを追い抜いて先に大人になった。でも、その間に侑芽ちゃんも一歩ずつ大人への階段を登っていたのだ。
「・・・侑芽ちゃん。大きくなりましたね」
思わずそう呟くと、霧に囲まれて意識が遠のいていった。
##########
現実世界の戻ってきたのは分かっていたけれど、慣れない探偵をしたせいか疲れてしまい、しばらくまどろんでいた。
頭の上では侑芽ちゃんが起床する為に、身動きしている音が聞こえる。
すると僕に囁くような声で
「レム。私もね、いつもレムの味方だよ。ありがとう。大好きだよ」
と言ってくれた。嬉しいけれど、まだ完全に覚醒していないので返事ができず、尻尾を精一杯動かした。そして幸せな気持ちを噛み締めて、また寝てしまった。
9時頃に再び起きた時には、侑芽ちゃんは忙しそうに動き回っていた。
「お母さん、サイン会の時間何時からって言ってたっけ?」
「午前の部は11時からよ。そんなに慌てなくても大丈夫」
「ううん、その前に隣町に言って買い物するから」
「あらそう。気を付けてね」
「はーい!」
正子さんに返事をすると、侑芽ちゃんはスマホを見ながら「えーっと、あのチョコのお店の最寄り駅名前なんだっけ・・・」と呟いている。
そしてそのまま出かけると、お昼頃にまた戻ってきた。手にはバレンタインの日にも持っていた紙袋を下げている。
そして3時前にもう1度出かける準備をしている。表情から察するに、今度は望夢君に会いに行くのだと分かった。
家を出る直前、侑芽ちゃんは僕の所に来て声をかけた。
「じゃあレム、行ってきます。レムのくれた勇気、無駄にしないからね。応援してて」
そう言い終わると、確かな足取りで玄関を出ていった。
(頑張って。侑芽ちゃん。望夢君、頼みましたよ)
僕はそう思いながら、窓のカーテンの隙間から表を歩く侑芽ちゃんを見送った。
それから約1時間後。
家の門から侑芽ちゃんの足音が聞こえてきた。そして足音が1人分ではなく2人分であることに、僕は心から安心した。
「ただいまー!レム、帰ったよ!」
侑芽ちゃんが笑顔で僕の方へ駆けてくる。その後ろには望夢君の姿があった。
「レム、お邪魔しているよ。久しぶりだな」
「のんちゃん。適当に座ってて。このサイン本だけ汚れないように部屋に置いてくるから。今日は朝から電車に乗ったりして忙しかったから、ずっとカバンに入れたままになってたの」
侑芽ちゃんがポシェットから本を出す。
「電車って・・・。もしかしてさっきくれたチョコ、今日の朝買いに行ったのか?」
「そうだよ。昨日の夜、急に思い立ったから」
「へぇ。何でまた急に?」
望夢君の疑問に、侑芽ちゃんはイタズラっぽい顔を向ける。
「ひみつ!ね、レム」
そう言って僕に向かってウィンクをする。呆気に取られている望夢君を残して、鼻唄混じりに2階へと上がって行った。
ポツンと立ち尽くしていた望夢君だったが、ふと何かを思いついたように僕のところに来てしゃがみ込んだ。
「なぁ、レム。実は報告があるんだ。その・・・侑芽が告白してくれたんだよ。それで俺も自分の気持ち伝えたんだ。すごく嬉しかったけど、なんで急にって不思議だったんだ。今までそんな素振りなかったのに。
でも、もしかしてレムが背中押してくれたのか?さっきそんな感じだっただろ?」
そうだよ。と返事をしたけれど望夢君の耳には、ワフンッとしか聞こえていないはずだ。
それなのに、望夢君は僕の背中を撫でながら、軽く頭を下げた。
「やっぱりな。そうだと思ったんだよ。侑芽と気持ちが通じているなんて、やっぱり家族ってすごいな。ありがとう」
そうやって言ってくれるけど、こうして僕の気持ちが分かってくれる望夢君も、僕にとってはずっと前から家族だ。
その気持ちを込めて、さっきより少し大きめの声で、ワン!と言った。
「Side:R」fin.
後から知ったのだが、僕は正子さんの友人から譲られた子犬だったらしい。
正子さんの運転する車に乗って越智家にやってきた。僕のいるゲージをリビングのカーペットの上に置くと、正子さんは友人に電話を掛けに行った。
「えぇ、今帰ってきました。今回は大切なワンちゃんの子犬をお譲り頂いてありがとうございました。・・・いえ、こちらこそ本当に。娘も主人も楽しみにしていますの。大事に育てますね。実(みのり)さんもここ数ヶ月はワンちゃんの出産準備でお疲れでしょう?どうぞゆっくり休んで下さいね。・・・えぇ、それじゃあまた。ごめん下さい」
正子さんは受話器を置くと、僕がいるゲージの前にやってきてしゃがんだ。
「こんにちは。まだ緊張しているわよね。扉を開けておくから、気持ちが落ち着いたら出てきてくれるかしら」
そう言って、ゲージの扉を開ける。初めての場所に対する緊張と不安でなかなか足を踏み出せなかった。そんな僕を正子さんは少し遠くから座椅子に座って辛抱強く見守ってくれている。
その時、玄関のドアがガチャッと開く音がした。
「ただいま〜!お母さん!レムは?レムはもう帰って来てるの?」
パタパタと足音をさせながら、小学生くらいの女の子がリビングに入ってきた。
「おかえり。さっき帰って来た所よ。でもレムはまだ緊張しているみたいだから優しくしてあげてね」
「うん!分かった!」
女の子はそーっと僕のいる方に歩いてくると、カーペットにペタリと座ってこっちを見ている。
何となく歓迎されている雰囲気を悟ったので、恐る恐るゲージから出てみた。すると女の子は嬉しそうに表情を明るくした。
「初めましてレム!私は侑芽。今日からここが君のお家だよ。よろしくね」
とびっきりの笑顔でそう言って、優しく背中を撫でてくれた。
これが僕と侑芽ちゃんの最初の出会いだった。
越智家のみんなは僕をとても可愛がってくれて、家族として大事にしてくれた。
僕の誕生日には部屋を飾りつけて、スペシャルなフードでお祝いしてくれた。それも毎年だ。
特に侑芽ちゃんとは一緒に過ごす時間が長かったので、仲良しになった。言葉は通じないはずなのに、なぜか僕たちはお互いの考えていることが分かっていたように思う。
でも、たまに思うことがあった。今も楽しいけれど、もしも僕が人間の姿になって侑芽ちゃんと遊ぶことができたらどんな感じだろうと。きっとすごく楽しいはずだと、夜な夜な考えることがあった。
そんなある夜。いつものようにリビングのクッションの上で眠ると、夢を見た。
そこは古民家風の一軒家で、僕はそこの玄関の前に立っていた。ドアは開きっぱなしだ。
中に入ってみようと歩き出すと、何だかいつもと感覚が違う。夢だからかな?と思って奥に進む。その家のリビングはホール状の吹き抜けになっていた。
そしてそこのソファに、大好きなご主人様の姿があった。
「あれ、あなた・・・。やっぱり、レムだ!レムでしょ?」
「侑芽ちゃん、どうしてここに・・・」
そこまで言って驚いた。なぜか人間の言葉が話せている。
「うわ〜すごい!夢の中で遊ぶのには慣れているけど、まさか本当にレムが人間になった姿が見られるなんて!」
「人間?」
まさかと思い、部屋にあった姿見で自分を見る。そこには侑芽と同じ年頃くらいの少年が映っていた。フワフワの茶色がかった髪、クリッとした目。手も足も、全部が紛れもなく人間だった。
「びっくりした。僕が人間の姿になっているなんて」
「えへへ。ここは私が見ている夢の世界だからね。何でもアリなんだよ。最近、レムが人間だったらどんな感じかなぁ〜って想像することが多かったから夢に現れたんだろうね。嬉しいなぁ。レムと話せるなんて」
「僕も嬉しいよ。僕も侑芽ちゃんとお話ししたいと思っていたから」
「ありがとう!まぁ、これは私が見ているだけの夢だから、実際のレムと話せているわけではないけれど・・・。でも良いよね!嬉しいのに変わりないもん!」
それを聞いて疑問に思った。侑芽ちゃんはここは自分が見ているだけの夢の世界だから現実世界の僕と違い、ここにいる僕は自分が作り出した空想だと思っているみたいだ。
でも僕にはこの通り意志がある。どういうことだと少し考えて答えが分かった。
僕の夢と侑芽ちゃんの夢がリンクしているのだ。お互いの願いが共通だったから世界が繋がったのだと思う。
それを伝えようと思ったけど、やっぱりやめることにした。この世界の中で伝えた所で侑芽ちゃんは夢だと思っているし、現実世界の僕は人間の言葉を話せないので証明のしようが無い。
まぁでも良い。何はともあれ、まさに夢にまで見た人間の姿で侑芽ちゃんと遊ぶことができているのだ。それだけで十分だった。
「レム。今はね、私ファンタジーにハマっているからここは魔法の国なんだよ。
さぁ、このローブを着て。一緒に魔法学校に行こう!」
「うん!行こう、侑芽ちゃん」
2人で黒いローブを纏うと、玄関のドアから勢いよく駆け出した。
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そんなこんなで、時たま侑芽ちゃんと夢中町(これがあの古民家がある場所の名前らしい)に集まっては、一緒に遊んでいた。侑芽ちゃんが中学生になってミステリーにハマると、あの家は探偵事務所になっていた。
夢の中だけでなく、現実世界でも相変わらず侑芽ちゃんは僕と遊んでくれた。
そして、越智家のみんな以外にも僕と遊んでくれる人がいる。
「こんにちはー。お邪魔します」
「いらっしゃい、のんちゃん。荷物その辺りに置いといて良いよ」
「おぉ、サンキュー。・・・レム。久しぶりだな。お邪魔させてもらうよ」
僕にそう声を掛けたのは侑芽ちゃんの幼馴染で同級生の望夢君だ。僕が子犬の頃からよく遊んでくれている。優しい良い子だ。
そして多分だけど、ある時期から侑芽ちゃんは望夢君に対して特別な感情を抱いていると思う。本人が自覚しているかは分からないけど。
望夢君が荷物を下ろしていると、侑芽ちゃんがスマホを見ながら「え!」と声を出した。
「ん?侑芽、どうかしたか?」
「それが、今お母さんからメッセージが来たんだけど、のんちゃん用のお菓子を買いにスーパーに来たら、財布を家に忘れて来ちゃったんだって」
侑芽ちゃんが困り顔でスマホから顔をあげる。
「マジか。届けてあげたら?」
「うん・・・。ごめんね、すぐ戻るから!レムのことお願いしてて良い?」
「大丈夫。行って来な」
「ありがとう。冷蔵庫の飲み物適当に飲んでて良いからね。それじゃ、ちょっと行ってくるね」
侑芽ちゃんが上着と財布を掴んでバタバタと出かける。
僕と2人きりになった望夢君は、こっちに来て僕の頭を撫でてくれた。
「よし、レムなにして遊ぶ?それか日向ぼっこでもするか?」
窓から差し込んでくる日差しの誘惑に耐えられず、僕はゴロンと横になってしまった。
「あはは。まぁのんびり待ってような。
・・・なぁ、じゃあ暇つぶしに俺の相談に乗ってくれよ」
望夢君は僕の横にある布団に座ると、窓の方を見ながら話し始めた。
「もうレムにはバレてると思うけど、俺、ずっと前から侑芽のことが好きなんだよね。俺なりに頑張ってアプローチしてるつもりなんだけど、全然効果なしでさ」
望夢君は独り言のようにポツポツと話す。
侑芽ちゃんが想っているように、彼もまた侑芽ちゃんに対して特別な感情を抱いているのは、お察しの通りもちろん前から気付いていた。肝心の当人同士が気付いていないだけで。
「侑芽はどんなタイプが好きなんだろうな?どうしたら好きになってもらえるんだろう。レムは侑芽の家族なんだし、何か知らないか?」
(そのままの気持ちを言ったら良いですよ。でも、注意してくださいね。望夢君なら大丈夫だと思いますが、侑芽ちゃんを悲しませるような事がないように。それだけは警告しておきますよ)
この気持ちを込めて、望夢に視線を送る。すると伝わったのかどうなのか、望夢は苦笑しながら、頭をかいた。
「さすが越智家の頼もしい番犬だな。レムには敵わないよ。相談乗ってくれてありがとう。覚えておくよ」
やっぱりこの子も侑芽ちゃん同じ、相手の気持ちを汲み取るのが上手だ。
2人ともそれが恋愛に活かせたら良いのだが。
そこまで思った所で、侑芽ちゃんと正子さんが表の門を開けた音が聞こえた。
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それからも、2人の関係性は焦ったいままだった。夢中町でそれとなく侑芽ちゃんに望夢君が好きなのか聞いてみたが、ものすごく否定されてしまった。不自然すぎる拒否反応に、それでは逆に肯定してしまっているのでは。と思った。
ところがそんなある日。大事件が起こった。
バレンタインデーという女の子が男の子にチョコレートをあげるイベントがあることは僕も知っている。侑芽ちゃんが毎年お父さんに渡しているし、僕にも美味しいおやつを買ってきてくれるからだ。
そして直接見たことはないけれど、多分望夢君にも渡している。数日前から楽しそうな表情で雑誌のバレンタイン特集記事を見ながら、あれも良いこれも良いと選んでいるのだ。
バレンタインデー当日の夜6時ごろに、家の前で話している2人の声が聞こえてきた。「持って来てくれる?」「ちょっと待っててね」という会話が聞こえると、侑芽ちゃんが家に入って来てキッチンの冷蔵庫を開けた。そして再び出ていった。
今年もチョコレートを渡せたのだろう。でも多分気持ちまでは渡せていない。「友達として」そう偽って渡したのだろう。でも侑芽ちゃんが良いのなら仕方ない。今はまだ伝えられないのだろう。きっと自然と言える日が来るはずだ。僕はそう思っていた。
しかし、そのあと帰宅した侑芽ちゃんは明らかに様子がおかしかった。まず表情が暗い。あからさまに落ち込んだ素振りは見せていないが、何をしていても心ここにあらずな感じだ。
心配して見ていると、それが伝わったのか、侑芽ちゃんは寝る前に僕の所に来てくれた。
「レム、聞いてくれるかな。実は今日ね、のんちゃんが隣のクラスの女の子にチョコを渡されているのを偶然見ちゃったの」
侑芽ちゃんは複雑そうな表情で僕の背中を撫でてくれる。
「そしたら、なんか動揺しちゃって。一応私ものんちゃんにもチョコ渡したけど、あれは義理だし・・・。いや、何言ってるんだろうね。私とのんちゃんは付き合ってないし、そもそも私はのんちゃんの事を友達として好きなだけだし」
何とか動揺を誤魔化そうとしているけれど、その表情晴れない。
「ダメだ。全然論理的じゃない。矛盾だらけだよ。ねぇ、レム。私どうしたら良いのかな?」
力無くそう呟く侑芽ちゃんに僕は何も言えず、膝に鼻をスリスリするしかなかった。
そこから何日経っても、侑芽ちゃんの元気は完全には元に戻らなかった。
表面上はいつも通り振る舞っているけれど、僕にはお見通しだ。それに正子さんたちも勘付いていると思う。時折り心配そうな顔で侑芽ちゃんを見ているからだ。
そうこうしている内に、バレンタインデーからとうとう1ヶ月が経った。
このままではいけない。越智家のみんながいつもの元気がない。そして何より、恐らく侑芽ちゃんはこのまま気持ちを押し込めるつもりだ。それではダメだ。それだと望夢君の気持ちも報われない。
(こうなったら少々強引ですが、夢中町で話をするしか方法はないようですね)
しかしこの1ヶ月の間に、夢中町へは1度も行けていない。多分侑芽ちゃんの心に余裕がないせいだろう。
だったら侑芽ちゃんの方から夢中町に来てもらえば良い。いつもは侑芽ちゃんの夢に僕が行っている形だけど、今回は僕の夢に来てもらおう。
こういった不思議な力は、本来人間よりも動物の方が優れている。僕の方が侑芽ちゃんより上手くあの世界をコントロール出来るはずだ。
そう決意し、僕は音を立てないように2階に上がる。幸い侑芽ちゃんの部屋のドアが開いていたのでスムーズに入ることができた。
「あれ・・・。どうしたのレム、珍しいね。今日はここで一緒に寝ようか」
侑芽ちゃんが布団の中で身じろぎしながら言う。結構前におやすみの挨拶をしたのに、やっぱり今日も眠れていないみたいだ。
僕はベットのすぐ下のクッションの上で丸くなる。
(侑芽ちゃん、大丈夫。大丈夫ですよ。侑芽ちゃんならきっと乗り越えられます)
そう思って、自分の作り出す夢中町へ行くべく、眠りに落ちた。
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目を開けると、いつもの探偵事務所前に来ていた。急いで表札を確認すると『レム探偵事務所』になっている。
「どうやら上手く行ったようですね。あとは侑芽ちゃんが来てくれると良いのですが・・・」
とりあえず、中に入って侑芽ちゃんが来る準備をする。今回は僕が探偵で侑芽ちゃんが依頼人。今までずっと隣で侑芽ちゃんの探偵術を見てきた。きっと僕にも出来るはずだ。
まずは依頼人用に飲み物の用意をしておく。リラックスして話しやすくする為にだ。これも侑芽ちゃんから教わった。
ミルクをお鍋に注いでIH(僕は火がダメなので)で温めていると、事務所の外から足音が聞こえてきた。次に玄関のドアが開く音が聞こえて、侑芽ちゃんが入ってきた。いつもと違う僕の雰囲気に、少し不思議そうな表情をしているものの、どうやらここが僕の夢の中だとはまだ気付いていない様子だ。
いつ気付くかなと様子を伺ってみたが、あまりの再現性の高さに一向に気付かないみたいなので、教えてあげることにした。
自分が依頼人になっている事に驚いたようだが、割とすんなり受け入れてソファに座ってくれる。でも、肝心の依頼内容はなかなか話してくれない。やはり一筋縄ではいかないようだ。元々、侑芽ちゃんは自分の気持ちを話すのが苦手な傾向にある。だからこそ、理路整然と自分の推理を述べて真相を見抜く探偵に憧れているのだと思う。
しかし今回ばかりは僕も引くわけにはいかない。苦手だとは思うけど、侑芽ちゃんの為にも気持ちを話してもらえるように促す。
僕がバレンタインの日の事に触れると明らかに狼狽した。やはりこれが原因だった。目線を彷徨わせる侑芽ちゃんを落ち着かせるべく、隣に座る。
「侑芽ちゃん。前にも言いましたが、夢でも現実でも僕は侑芽ちゃんが悲しい思いをするのは嫌なんです。そりゃ、どうしようもない事もあります。でも今回の事件は解決できる事だと思います。どうか侑芽ちゃんの思っていることをそのまま聞かせて下さい」
そう声をかける。これは別に喋ってもらうための言葉ではなく、僕の本心だ。
望夢君は侑芽ちゃんと同じ気持ちだ。侑芽ちゃんさえ自分の気持ちに正直になれば、この事件はきっと解決する。
すると、侑芽ちゃんは少しずつ、気持ちを話してくれた。長いこと心の奥に押し込めていた感情が見え隠れしている。
『依頼人はね。最初から全部は話してくれないの。でも、決してそこで焦っちゃダメ。本当は話したいと思っているはずだから、きっかけを待つの。そしてここだってチャンスが来たら確信を突く。それが大切なんだって、この前読んだ小説に書いてあったんだ』
他ならぬ侑芽ちゃんに教えてもらった「落としの」テクニックを思い出す。
ここがチャンスだと判断して確信を突く。
「侑芽ちゃんも本当は気付いているはずですよ。いや、正確には気付かない振りをして来たんですよね。もうずっと前から・・・。その気持ちをどうして望夢君に伝えないんですか?」
畳み掛けるように言葉を重ねる。すると、
「だって」
その言葉を皮切りに、侑芽ちゃんは望夢君への本当の気持ちを伝えてくれた。
それはあまりにも純粋な、僕からしたら眩しいくらいの初々しい感情だった。
頑張って話してくれた感謝の意味を込めて、侑芽ちゃんの頭を撫でる。
いつも侑芽ちゃんが僕にしてくれるその行動は、撫でる側もこんなに穏やかな気持ちになると言うことを初めて知った。
そして、解決まではあと一歩だ。望夢君と両思いであることを知ってもらって、想いを伝えてもらうのだ。
これもなかなか大変だった。侑芽ちゃんは望夢君は友達としてとしか思っていないと言って譲らないのだ。そこで嘘も方便。ホラを吹かせてもらった。
「本当にそう思っていますか?ご存知の通り、ここは侑芽ちゃんが作り出している夢の世界です。ここの住民である僕の言葉は、言わば侑芽ちゃんの深層心理だと言えるんですよ。
侑芽ちゃん、あなたは人の気持ちに敏感な聡い子です。僕はそれをよく知っています。望夢君の言葉や態度から、その可能性を考えた事は本当に無いですか?」
「僕の言葉はこの世界を作り出している侑芽ちゃんの深層心理」だなんて、夢中町そっくりの世界を作り出して侑芽ちゃんを連れてきておきながら、どの口が言うのか。いつだって、最初から僕の言葉だけはどの世界でも僕自身の言葉だと言うのに。
でも、侑芽ちゃんにも思うところはあったらしい。図らずも侑芽ちゃんの気持ちを当てることが出来た。
その甲斐あってか、侑芽ちゃんはとうとう決意してくれた
「・・・分かった。目が覚めたらのんちゃんに気持ちを伝えに行くよ。もうこうなったら当たって砕けろだからね!」
本当は不安でいっぱいのはずだ。でもシャンとしようと背筋を伸ばすその姿を見て、思わず侑芽ちゃんの頭に置いていた手を下ろした。なんだかすごく聡明な大人の女性に見えたから。
侑芽ちゃんが現実世界に帰ろうとした時に、今日僕が1番伝えたかった言葉を言った。
「何かあったらまたここに来て下さい。もし来れなくなったら向こうにいる僕に話してくれても構いません。何があっても、僕は侑芽ちゃんの味方です。それは夢でも現実でも変わりません。どうかそれだけは忘れないで下さいね」
いつも思っている。たとえ世界中が侑芽ちゃんの敵になっても、僕だけは味方でいると誓える。優しい侑芽ちゃんのことだから実際にはそんな事ないだろうけど、でも本心だ。
僕の言葉に、侑芽ちゃんは泣きそうな笑顔でお礼を言うと、霧の中に飛び込んで現実世界へと帰っていった。
残された僕は、現実の僕が起床するのを待つ。
その間、侑芽ちゃんと最初に会った時のことを思い出していた。
最初はお互い子供だったけど、僕は侑芽ちゃんを追い抜いて先に大人になった。でも、その間に侑芽ちゃんも一歩ずつ大人への階段を登っていたのだ。
「・・・侑芽ちゃん。大きくなりましたね」
思わずそう呟くと、霧に囲まれて意識が遠のいていった。
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現実世界の戻ってきたのは分かっていたけれど、慣れない探偵をしたせいか疲れてしまい、しばらくまどろんでいた。
頭の上では侑芽ちゃんが起床する為に、身動きしている音が聞こえる。
すると僕に囁くような声で
「レム。私もね、いつもレムの味方だよ。ありがとう。大好きだよ」
と言ってくれた。嬉しいけれど、まだ完全に覚醒していないので返事ができず、尻尾を精一杯動かした。そして幸せな気持ちを噛み締めて、また寝てしまった。
9時頃に再び起きた時には、侑芽ちゃんは忙しそうに動き回っていた。
「お母さん、サイン会の時間何時からって言ってたっけ?」
「午前の部は11時からよ。そんなに慌てなくても大丈夫」
「ううん、その前に隣町に言って買い物するから」
「あらそう。気を付けてね」
「はーい!」
正子さんに返事をすると、侑芽ちゃんはスマホを見ながら「えーっと、あのチョコのお店の最寄り駅名前なんだっけ・・・」と呟いている。
そしてそのまま出かけると、お昼頃にまた戻ってきた。手にはバレンタインの日にも持っていた紙袋を下げている。
そして3時前にもう1度出かける準備をしている。表情から察するに、今度は望夢君に会いに行くのだと分かった。
家を出る直前、侑芽ちゃんは僕の所に来て声をかけた。
「じゃあレム、行ってきます。レムのくれた勇気、無駄にしないからね。応援してて」
そう言い終わると、確かな足取りで玄関を出ていった。
(頑張って。侑芽ちゃん。望夢君、頼みましたよ)
僕はそう思いながら、窓のカーテンの隙間から表を歩く侑芽ちゃんを見送った。
それから約1時間後。
家の門から侑芽ちゃんの足音が聞こえてきた。そして足音が1人分ではなく2人分であることに、僕は心から安心した。
「ただいまー!レム、帰ったよ!」
侑芽ちゃんが笑顔で僕の方へ駆けてくる。その後ろには望夢君の姿があった。
「レム、お邪魔しているよ。久しぶりだな」
「のんちゃん。適当に座ってて。このサイン本だけ汚れないように部屋に置いてくるから。今日は朝から電車に乗ったりして忙しかったから、ずっとカバンに入れたままになってたの」
侑芽ちゃんがポシェットから本を出す。
「電車って・・・。もしかしてさっきくれたチョコ、今日の朝買いに行ったのか?」
「そうだよ。昨日の夜、急に思い立ったから」
「へぇ。何でまた急に?」
望夢君の疑問に、侑芽ちゃんはイタズラっぽい顔を向ける。
「ひみつ!ね、レム」
そう言って僕に向かってウィンクをする。呆気に取られている望夢君を残して、鼻唄混じりに2階へと上がって行った。
ポツンと立ち尽くしていた望夢君だったが、ふと何かを思いついたように僕のところに来てしゃがみ込んだ。
「なぁ、レム。実は報告があるんだ。その・・・侑芽が告白してくれたんだよ。それで俺も自分の気持ち伝えたんだ。すごく嬉しかったけど、なんで急にって不思議だったんだ。今までそんな素振りなかったのに。
でも、もしかしてレムが背中押してくれたのか?さっきそんな感じだっただろ?」
そうだよ。と返事をしたけれど望夢君の耳には、ワフンッとしか聞こえていないはずだ。
それなのに、望夢君は僕の背中を撫でながら、軽く頭を下げた。
「やっぱりな。そうだと思ったんだよ。侑芽と気持ちが通じているなんて、やっぱり家族ってすごいな。ありがとう」
そうやって言ってくれるけど、こうして僕の気持ちが分かってくれる望夢君も、僕にとってはずっと前から家族だ。
その気持ちを込めて、さっきより少し大きめの声で、ワン!と言った。
「Side:R」fin.


