休み時間に隣の教室の前を通りかかったら、廊下側の窓越しに侑芽が友達と喋っているのが聞こえた。
「でね、この推理小説が映画化するんだけど、公開日が来週なの。もう待ちきれないよ」
「へぇ〜良かったじゃん!私も一緒に行きたい所だけど、恋愛ものしか分からないからなぁ。ごめんね」
「あ、それは気にしないで。みっちゃんがミステリー読まないのは知ってるから。1人で満喫してくるよ。テスト期間後のお楽しみなんだ〜」
その会話を聞いて、廊下の窓から声をかける。
「その小説なら俺も読んだことあるし、行く?」
侑芽と友達が振り返る。友達は侑芽と同じ図書委員の女子だった。俺の顔を見るなり、何かを含んだような温かい眼差しを向けてきた。
「え!のんっ・・・宇筒君読んだことあるの?」
「うん。結構面白かったよな」
「そうなんだ。それなら一緒に行こう!」
「オッケー。じゃあ時間とかはまた決めよう。それじゃ」
それだけ言うと侑芽の教室を後にする。後ろから「侑芽、感想聞かせてね。映画だけじゃなくて、色々と!」「え?色々って?」と言う会話が聞こえてくる。さすが恋愛ものを愛読しているだけある。あの子にはなんかもうバレていそうだ。
放課後、生物部の部室である理科室に入ると、真っ直ぐに親友の座る席に突撃した。他の部員はまだ来ていない。今がチャンスだ。
「有斗(あると)、確か推理小説好きだって言ってたよな?来週公開するっていう映画の原作本、持っているか?」
去年同じクラスになってからの親友である千里有斗(せんりあると)は読んでいた植物図鑑から顔をあげた。
「どうしたんだよ急に。その小説なら持ってるけど、それがどうかしたか?」
「頼む!貸してくれ!そして返せる時期は未定だ。できればそこも了承してくれ」
「あぁ、僕はもう読んだから貸せるし、返すのは別にいつでも良いけど・・・。望夢はノンフィクションしか読まないって言ってなかったっけ?」
「そうなんだけど、急遽読まなきゃいけない事態が発生した」
俺の表情と口ぶりから事情を察したらしい。有斗はニヤリと笑うと、図鑑を閉じてメタルフレームのメガネを押し上げた。
「なるほど。越智さんだな?その小説を自分も読んだから、一緒に映画を観に行こうと誘った。どうせそんな所だろう?」
「出た!名探偵有斗さん!お察しの通りです!」
「こんなの名探偵じゃなくても分かる。仕方ない、明日その本を部室で渡してやるよ」
有斗にだけは侑芽への気持ちについて打ち明けている。有斗は口が堅くて信用できる男だからだ。どのくらい硬いかというと、クロカタゾウムシの体くらい硬い、と言って良いだろう。(昆虫好きの人ならきっと分かってくれるはずだ)
「悪いな、マジで助かった。自分で買おうかと思ったんだけど、予算が足りそうになくて・・・」
侑芽を映画に誘った後に、自分の部屋のクローゼットを思い返してみた。そしたら最近は山や公園ばかり行っていたせいか、機能性重視の動きやすい服しかないことに気が付いた。街へ行く用の服を買いに行こうと思っているので、お小遣いはそれで使い果たしてしまうだろう。
「良いよ。気にするな。その代わり、そろそろ進展させてほしいもんだな。まだ越智さんは脈なしな感じなのか?」
痛い所を突かれて、ウッと言葉に詰まる。
「まぁ・・・な。俺なりに頑張っているつもりなんだけど・・・」
「もう、いっそ告白してみても良いんじゃないのか?僕からみても2人は仲良いし、越智さんも少なからず好意を持ってくれていると思うけど」
「いや、それは自信ないよ。友達としてしか思われてないだろうし・・・。それに何より、告白して侑芽を困らせるのが心配なんだよなぁ。断ったら俺が傷付くと思ってめちゃくちゃ悩みそうだし」
望夢が告白に二の足を踏むのはこれが原因だ。自分が振られるだけならまだ良い。相当ショックを受けるだろうがなんとか耐えられると思う。でも侑芽の事はそうはいかない。割と鈍感なタイプの自分と違い、侑芽はいつも、相手がどう思っているか。こう言ったらなんて感じるか。そういうことを考えるタイプなので、悩ませてしまうのが目に見えているのだ。自分の告白で困らせたくない。だから慎重にアプローチして脈ありになるのを待っているのだ。
そんな俺の言葉に、有斗は息を吐いてやれやれと首を振った。
「優しいね、望夢は。でも優しすぎたら何も変わらないよ。時には強気に攻めないといけない時もあると思うよ」
「さすが、入学直後から彼女がいる人の言葉は違うな」
「ありがとう。褒め言葉として受け取っておくよ」
2人で笑い合ったところで、他の部員がドヤドヤと入って来たので話は終了になった。
##########
侑芽との映画は中間テスト最終日の翌日の土曜日になった。
テスト最終日の放課後は部活があったので、有斗に借りていた原作の小説を返す。
難しそうなミステリーだし読み切れるか不安だったが、思ったよりも読みやすく、引き込まれる展開だったので割とすぐに読み終わった。ヒットした理由がわかる。
有斗に礼を言って、明日侑芽と映画を観に行くことを伝えると「グッドラック」と言って親指を立ててきた。
部活の後、家に帰ってくると着替えだけして自転車の鍵を手に取る。明日着る服を買いに行くのだ。
「あれ?のんちゃん、出掛けるの?」
夕飯の支度をしていた母さんが不思議そうな顔をして玄関に見に来た。
「うん。ちょっと駅の方に行ってくる。6時までには帰るから」
「そう。・・・そういえば明日だったわよね?侑芽ちゃんと映画に行くの」
目的を見透かされたのかと思い、ギクッと肩が跳ね上がる。
「そ、そうだけど?それがどうかした?」
母さんは何かを察したような表情で、口角をあげた。
「いや?何でもないわよ。お昼はウチの店で食べるんでしょ?」
「うん。一応その予定だけど・・・」
「久しぶりに侑芽ちゃんに会えるの、母さん楽しみだわ。さ、行ってらっしゃい。車に気を付けてね」
「あぁ、うん。行ってきます」
何となくギクシャクした動きで家を出る。
自転車に乗って駅前のショッピングモール目指してペダルを漕ぐ。
さっきも言った通り、侑芽への気持ちについては有斗以外には言っていない。
しかし、俺が顔に出るタイプなのか何なのか、母さんには多分バレている。
そしてもう1人。というかもう1頭。俺の気持ちに気付いている者がいる。
侑芽の愛犬であるレムだ。レムとは子犬の時から侑芽の家に遊びに行った時には顔を合わせていたので、結構長い付き合いだ。
そんなレムは、侑芽が席を外して俺と2人きりになった際、何か言いたげな目で見つめてくる。それは「早く気持ちを伝えたら良いのに」とも取れるし「でもご主人を悲しませるような事はしないように」と釘を刺してきているようにも取れる。この気持ちを認めてもらうには、ある意味1番手強い相手の様に思えた。
(レム、大丈夫だ。俺だって侑芽を傷付けたくなんかない。だから応援してくれよ)
そう思いながら駐輪場に自転車を停め、目的地の店舗に向かった。
##########
「で、どうだった?越智さんとのデートは」
映画に行った翌日の日曜日。有斗と一緒にファーストフード店で昼ご飯を食べながら話を聞いてもらう。
「デートって言って良いのか分かんないけど・・・。楽しかったよ。映画観た後に俺ん家で昼食べて、喋って、侑芽を家まで送って、帰ってきた」
「健全だね〜。まぁ越智さん相手にはそれくらいが良いかな。しかしまぁ、最近はちょっと状況が変わってきているからなぁ」
有斗が意味深なことを言うので、フライドポテトを食べていた手が止まる。
「な、何のことだよそれ」
俺と侑芽は去年同じクラスだったが今年は別のクラスで、有斗と侑芽は現在同じクラスだ。何か知っているのかもしれない。
「いやな、最近うちのクラスの男子の中で越智さんが密かに人気なんだよ。優しいし、親切だし。まだ告白した奴はいないっぽいけど、時間の問題かもなぁ〜」
「マ、ジかそれ」
心の中に焦りが生じる。自分が好きになるくらいだから、他に侑芽を好きになる奴が現れるとは思っていたが、とうとう現実になってしまうとは。
もしも今後、侑芽に告白するやつが現れたとして、そいつが俺なんかよりもっと良い奴だったら?そして侑芽もそいつを好きになったら?それで付き合ったりしたら?
現状ただの友達に過ぎない俺は何も出来ない。そうなってから慌てて告白したって後の祭りだ。侑芽は振り向いてくれないだろう。
俺がぐるぐると思考を巡らせていることに気付いたのか、有斗はパンッと手を叩いた。
「望夢落ち着け。とりあえず今の所は慌てなくても大丈夫だ。でもあんまり悠長に構えていたら、それこそ横から取られるかもしれないぞ」
「・・・分かった」
有斗からの忠告をありがたく受け取り、肝に銘じた。
##########
その後も侑芽とはなんの進展もないまま、季節は冬になっていた。
一応たまに遊んだりはしていた。俺が誘うこともあるし、侑芽の方から一緒に森林公園に行こうと誘ってくれたこともあった。
(あと、侑芽との進展とは関係ないが、侑芽がたまに何か物思いに耽る瞬間があるのが気になる。この前の映画のあとにウチの店でアイスティーを飲んでいた時もそうだし、新しくなった駅のエレベーターに乗った時など。本当にふとした時に何やら考え事をしているのだ。一瞬なのでわざわざ深くは聞かないが、地味に気になる。今度聞いてみよう)
そして今年もこの時期がやってきた。2月14日。バレンタインデーだ。
ありがたいことに、侑芽は毎年俺にチョコレートをくれる。もちろん義理だが、それでもいい。好きな子から毎年もらえるなんて、それだけで充分だった。
当日の朝、登校中に侑芽と会った時に今年も用意してくれていると聞いて、ガッツポーズしそうになるのを気力で抑える。くれるだろうなとは思っていても、まさかこっちから話を振るわけにはいかない。あくまで「全然気にしていませんよ?でもくれると言うならありがとう」のスタンスを保っている。有斗には絶対に見られたくない姿だ。
そうして1日の授業をそわそわしながら受け終わり、放課後になった。部室に行こうと教室を出る。
すると、廊下の角に来た所で、後ろから「あの、宇筒君」と呼び止められた。
振り返ると、同じクラスの女の子が伏し目がちに立っていた。
「ん?どうしたの?」
あまり話したことがない子だったので不思議に思う。
その子は言うか言うまいか迷うように目線を彷徨わせていたが、1度目を閉じて再び開くと意を決したように俺と目を合わせた。
「き、今日の部活終わりに、時間ある?話したいことがあるから体育館裏の花壇のところに来て欲しいんだけど・・・」
「え?あぁ、うん。5時半くらいでも良いなら大丈夫だけど・・・。話ってどんな?」
「そ、れは、その時に話すね。じゃあありがとう。また後で」
そう言うと、踵を返して走っていってしまった。
俺は恋愛系にはとにかく鈍感だ。有斗にも嬉しくないお墨付きをもらっている。
しかし、そんな俺でも今のが何を意味しているのか、察せない程ではない。
(いや、この俺がまさかな。よくある、誰々に渡しといて下さいってやつかな。去年のは事はありがたい奇跡みたいなことなわけで・・・。そんな何回も起こらないよな)
俺が言っている去年の事とは、秋ごろにラブレターをもらった時の事だ。
下駄箱に入っていたそれは隣のクラスの子からで、思いの丈が丁寧に書いてあった。こんな俺を好きになってくれるなんて凄く嬉しかったし、ありがたいとも思った。でも、申し訳ない事に、この気持ちに応えることはできない。
迷った挙句、手紙には書かずに直接伝えた。とても嬉しいけれど、俺には好きな子がいるから気持ちには応えられないと。
その子はとても良い子で、残念がってはいたが返事をくれてありがとうと言ってくれた。あれから今日まで噂が流れていないと言うことは、変に言いふらしたりもしていないようだ。
でも、こんな奇跡みたいなことはそうそうないはず。だからあまり深くは考えないようにして部室へと向かった。
##########
昨日のライトトラップで観察できた結果をデータにあらかたまとめ終わると、外は暗くなり始めていた。まだ絶対下校には時間があるが、昨日も遅かったので今日のところは解散することになった。
部室を閉める当番が俺だったので、頼みごとをしに有斗のところに行った。
「悪い、有斗。俺今からちょっと用事があるから、部室開けたまま待っててくれるか?今日荷物重いからここに置いて行きたいんだけど、部室を開けたままずっと無人にしたら先生に怒られるからさ」
「あぁ、僕もまだやりたいことがあるから良いよ。
・・・ハハーン。これは越智さんだな?今年も義理チョコをなんてことない顔をして受け取る気だな。当たりだろ?」
有斗が悪い顔をしながら見てくる。
「いや、侑芽と待ち合わせはしているけど、それとはまた別件。じゃあちょっと行ってくる」
足早に体育館裏の花壇へ向かう。誰もいないその場所で待っていると、さっき声を掛けてきた子が走ってきた。
「ごめんね。呼び出しといて遅れちゃって」
「全然。俺も今さっき来た所だし」
女の子は呼吸を整えると、スクールバックの中から綺麗に包装されたチョコの箱を出した。
「あの、迷惑かもなんだけど、これをその・・・」
渡しといて欲しい。と続くと思っていた言葉は、俺がありえないと打ち消した考えを肯定するものに変わった。
「宇筒君に受け取って欲しいの!私、宇筒君のことが好きなんです!」
「えぇ!?」
まさかの2回起きた奇跡に驚きの声が出てしまった。女の子は不安と期待のこもった眼差しを向けている。よく見ると、チョコを持つ手が細かく震えていた。
最初は驚きの気持ちしかなかったが、その様子を見ていると、ありがたいという感謝の気持ちと、尊敬の念が湧いてきた。
一体どれほどの勇気を振り絞って言ってくれたのか。この子だけじゃない。去年ラブレターをくれたあの子も、真っ直ぐ自分の気持ちを相手に伝えている。
あれこれ理由を付けて侑芽に告白出来ていない自分とは大違いだ。本当に凄いと思う。
そしてだからこそ、俺も伝えてくれたこの気持ちに真っ直ぐ向き合わないといけない。
「・・・ありがとう。でもごめん。俺、好きな子がいるからその気持ちには応えられないんだ」
「そっか・・・」
女の子は残念そうに下を向いたが、気持ちを奮い立たせるように笑顔で顔を上げた。
「返事をくれてありがとう。おかげでスッキリしたよ。ごめんね、驚かせちゃって」
「いや、ほんとありがとう。嬉しかった」
「良かった。あ、このチョコ良かったらもらって!あの変な意味じゃなくて、普通にめっちゃ美味しいところのやつだから!形崩れしにくいから持って帰りやすいし。実は私、甘いものが苦手で自分では食べられないんだよね」
チョコだけちゃっかりもらってしまって良いものか悩んだが、甘いものが食べられないのなら無駄になってはいけないと思い、ありがたく受け取ることにした。
その時、頭上で窓を閉める音がしたような気がしたが、気のせいだったかもしれない。
部室に戻る前に図書室へ行ってみると、すでに施錠されていた。
侑芽も図書委員の仕事が終わったようなので、帰り支度をすることにする。
部室に入る時に、チョコの箱を有斗に見られないように背中に隠したまま入る。だが、予想に反して誰もいなかった。
トイレにでも行ったんだろうと気にぜずチョコの箱をリュックに入れる。そのタイミングで有斗が帰ってきた。
「あ、望夢。良かった、戻って来てたんだな」
「うん。ごめんな待たせて。あとの戸締りは俺がやっとくわ」
しかし、有斗は帰ろうとはせず、何か考えるような表情でいる。
「実はな、さっきトイレに行ったあと、昇降口で越智さんに会ったんだ。で、望夢に伝言を頼まれた。急用が出来たから先に帰るって」
「えっ急用?」
「そう。内容までは言わなかったが、なんか暗い顔をしていたぞ。もうすぐ望夢は来るって教えたけど、それも振り切って急いで帰って行った」
ザワザワと気持ちが波打つ。今まで侑芽がこんな風に急に帰るような事は無かった。まさか何かあったのか。
心配が思考を支配した所で、リュックを掴んで部室の鍵を有斗に押し付けた。
「悪い、有斗!次の当番変わるから戸締りしといて!」
「了解。今さっきだから走ればきっと追い付くぞ」
ありがとう!と叫んで部室を出る。
急いで昇降口に向かい、スニーカーに履き替えると上履きを下駄箱に放り込んだ。
そのまま校門を出て、スマホの電源を入れる。起動時間がやけに長く感じる。繋がった途端に侑芽に電話をしてみるが、出ない。
仕方ないのでそこからは全力で走った。体力はある方だと自負しているが、昨日のライトトラップの荷物を背負ったままなので結構キツい。
ゼェハァ言いながら駅まで来ると、ようやく見慣れた後ろ姿が見えた。
「ゆ・・・、侑芽!なぁ侑芽ってば!」
肩を叩いて声を掛けると、侑芽は驚いて振り返った。
「え!?のんちゃん!?なんで・・・走ってきたの?」
「はぁ、はぁ。そう・・・。どうしたんだよ急用って。スマホも繋がんないし、なんかあったのか?」
「ごめん。電源入れるの忘れてたみたい・・・」
「あ、そうか・・・。とりあえず駅に入ろう。急用なんだろ?早く行こう」
とりあえず詳しい事情は後で聞くとして、侑芽と一緒に急いで改札口に向かった。
結果的に、心配する様な事は無かった。好きな作家のサイン会の日を今日だと勘違いしていたらしい。(有斗が心配していたらいけないので、駅で電車を待っている間にメッセージを送っておいた)
無駄に全力疾走してしまったが、勝手に心配したのは俺だし、何も無かったのならそれに越したことはない。それに走っている時は忘れていたが、これで無事にチョコはもらえそうだ。
ワクワクした気持ちを抑えつつ、努めていつも通り接する。しかし、侑芽の家の前にきた時に、とうとう我慢出来ずに催促してしまった。人に見せられないニヤけた顔をしている自覚があるので、マフラーで隠す。こうして俺は無事に侑芽からの義理チョコを受け取った。
##########
しかし、バレンタインの後から侑芽の様子がいつもとちょっと違っていた。遊びに誘っても「委員会が忙しくて」や「家族の用事があって」などの理由で連続で断られている。それだけならまだ良いのだが、学校で会っても一瞬目を逸らすのだ。その後はいつも通り喋っているのだが、なんとなく違和感がある。何かしてしまったかと思い返したが、ピンと来るものがない。
悩み事かと思ったが、表面上は普通にしているので聞き出すことも憚られる。どうしたもんかと悩んだが、とりあえずホワイトデーに良いものをあげて喜んでもらおうと思い立った。
今年はもう目星を付けている。侑芽と観に行ったミステリー映画の中に出てきた、ケーキ屋のマドレーヌだ。あの店は実際にあるらしく、電車に乗れば30分ほどで着けそうだ。でも1つだけ問題がある。
このケーキ屋は女子ウケ抜群のすごく可愛い店なのだ。中学生男子1人で行くには心許ない。誰か一緒に行って欲しい。もちろん頼めるのは1人しかいない。
「頼む!有斗!一緒に」
「はいはい。行って欲しいんだろ?全く、僕は便利屋じゃないんだからね?大体女子ウケの店だろうが何だろうが、男が1人で並んだって別に良いじゃないか」
「それはそうなんだけど・・・。俺にはまだそんな度量がないんだよ。それに初めて行く場所だから心細くて」
「まぁ良いけど。僕も彼女とお姉ちゃんにお返し買いたかったから、そこで買うことにしようかな」
「そうしてくれ。来てくれるお礼に、有斗にもこのマドレーヌを奢るからさ!」
「よし。この話、乗った!」
こうしてホワイトデーの前日に有斗と一緒にケーキ屋にやって来た。テレビでやっていたので覚悟していたが、想像以上にすごい行列が出来ていた。
映画が公開してからしばらく経っているが、大ヒットしてロングランになったのだ。なのでこの店の人気も衰え知らずらしい。
列に並ぶと、思っていたより男の人の姿があることに気付いた。ネットの記事によると、可愛い店構えだけでなく、味も抜群に美味しいので男女問わずスイーツ好きの間で話題になっているそうだ。
長い待ち時間を終え、どうにかお互い目的の物を買えた。店の外に出て有斗に約束のマドレーヌを「どうぞお納め下さい」と渡すと「うむ。かたじけない」と言われた
あとは明日侑芽に渡すだけだ。少しでも元気を取り戻してくれたら良いのだが。
##########
翌日のホワイトデー。
昼頃にスマホで侑芽にメッセージを送ると、すぐに返信がきた。
『3時に森林公園の芝桜の広場のベンチはどう?』との内容だった。
あそこなら同じ学校の人はいないだろうし、今は芝桜の時期ではないから人は少ないはずだ。
OKの返信をする。そう言えば今日は、侑芽が前に日にちを勘違いしていたサイン会の日だったはず。行けたのだろうか?侑芽の事だから朝イチで行ってそうだけど。
とりあえずまだ時間があるので、部屋で標本を作りながら時間を潰す事にした。
3時少し前。待ち合わせ場所には侑芽はまだ来ていなかった。ベンチの上にマドレーヌの入った紙袋を置いて、地面を観察する。何か虫がいないか観察するのはもう癖だった。一応虫カゴ代わりのフィルムケースもポケットに入れている。いつ虫を見つけても良いようにスマホのカメラを起動した。
その後少しして侑芽が来た。マドレーヌを渡すと、すごく喜んでくれた。
(良かった。ちょっとは元気が出たみたいだな)
そう思ってホッとしていると、予想外の事が起こった。
侑芽も何かを渡してきたのだ。思わず受け取って中身を見ると、バレンタインにもらったチョコと同じものが入っていた。包装紙は多少変わっているが間違いない。
何でまたくれるのか聞くと、嘘を吐いていたから渡し直し、との事だった。
(渡し直し?どう言うことだ?てか、嘘ってなに?)
頭の中がハテナマークでいっぱいになる。
そして次の瞬間から、侑芽はとんでもないことを言い出した。
「義理チョコだって言ったけど、本当は・・・ほんとのほんとは、本命なの。大本命!今回だけじゃなくて、今までもずっと本命だったけど勇気が出なくて義理だって嘘ついてたんだ」
言われている事の理解が追いつかない。なのに侑芽は追い打ちをかけるように言葉を続ける。
「ずっと・・・ずっと好きだったの。のんちゃんのことが。でもそれを言ったら、気まずくなって友達ですらいられなくなるかもって。そう思ったら怖くなって・・・。だから隠していたの。
でも、もう嘘は吐きたくないから伝えようと思って。のんちゃんを困らせるのは分かってる。自分勝手な事をしているのも分かってる。だけど、そのチョコを受け取って欲しいの。今度は本命として・・・。ダメなら自分で食べるから返してくれたら良いから!・・・ど、どうかな?」
一瞬夢を見ているのかと思った。ここはどこだ。俺はまだ布団の中にいて、都合の良い夢を見ているのか?
だってそうじゃないと納得がいかない。こんな幸せなことがあっていいのか?
しかし、目の前にいる侑芽は紛れもなく本物だし、緊張しながら俺からの返事を待っている。
ようやく現実味を帯びてきた。そこからは体が勝手に動いていた。言葉で伝えるのはどうも苦手なので、態度で示すことにする。
侑芽のくれたチョコの包装紙を剥がして蓋を開ける。前と同様、トリュフチョコが綺麗に並んでいた。その中から1つ摘んで口に入れる。やっぱり美味しかったが、前に食べた時よりも心なしか甘く感じた。
ポカンとした顔をしている侑芽に笑いそうになりながら、気持ちを伝える。
「まぁ、その、これが俺の返事。・・・ありがとう。これからもよろしくな」
言葉にすると、やっぱり間の抜けたかっこ悪い感じになってしまったが、今の俺にはこれが精一杯なので許して欲しい。
でも、こんなんでも侑芽に気持ちは伝わったらしい。向けてくれた笑顔が可愛くて思わずドキッとした。
そして今から一緒に侑芽の家に遊びに行くことになった。という事は久しぶりにレムにも会える。
(レムに報告しないとな。男同士、ちゃんと話を通さないと)
そう思いながら侑芽の隣に立って歩いた。
『Side:N』fin
「でね、この推理小説が映画化するんだけど、公開日が来週なの。もう待ちきれないよ」
「へぇ〜良かったじゃん!私も一緒に行きたい所だけど、恋愛ものしか分からないからなぁ。ごめんね」
「あ、それは気にしないで。みっちゃんがミステリー読まないのは知ってるから。1人で満喫してくるよ。テスト期間後のお楽しみなんだ〜」
その会話を聞いて、廊下の窓から声をかける。
「その小説なら俺も読んだことあるし、行く?」
侑芽と友達が振り返る。友達は侑芽と同じ図書委員の女子だった。俺の顔を見るなり、何かを含んだような温かい眼差しを向けてきた。
「え!のんっ・・・宇筒君読んだことあるの?」
「うん。結構面白かったよな」
「そうなんだ。それなら一緒に行こう!」
「オッケー。じゃあ時間とかはまた決めよう。それじゃ」
それだけ言うと侑芽の教室を後にする。後ろから「侑芽、感想聞かせてね。映画だけじゃなくて、色々と!」「え?色々って?」と言う会話が聞こえてくる。さすが恋愛ものを愛読しているだけある。あの子にはなんかもうバレていそうだ。
放課後、生物部の部室である理科室に入ると、真っ直ぐに親友の座る席に突撃した。他の部員はまだ来ていない。今がチャンスだ。
「有斗(あると)、確か推理小説好きだって言ってたよな?来週公開するっていう映画の原作本、持っているか?」
去年同じクラスになってからの親友である千里有斗(せんりあると)は読んでいた植物図鑑から顔をあげた。
「どうしたんだよ急に。その小説なら持ってるけど、それがどうかしたか?」
「頼む!貸してくれ!そして返せる時期は未定だ。できればそこも了承してくれ」
「あぁ、僕はもう読んだから貸せるし、返すのは別にいつでも良いけど・・・。望夢はノンフィクションしか読まないって言ってなかったっけ?」
「そうなんだけど、急遽読まなきゃいけない事態が発生した」
俺の表情と口ぶりから事情を察したらしい。有斗はニヤリと笑うと、図鑑を閉じてメタルフレームのメガネを押し上げた。
「なるほど。越智さんだな?その小説を自分も読んだから、一緒に映画を観に行こうと誘った。どうせそんな所だろう?」
「出た!名探偵有斗さん!お察しの通りです!」
「こんなの名探偵じゃなくても分かる。仕方ない、明日その本を部室で渡してやるよ」
有斗にだけは侑芽への気持ちについて打ち明けている。有斗は口が堅くて信用できる男だからだ。どのくらい硬いかというと、クロカタゾウムシの体くらい硬い、と言って良いだろう。(昆虫好きの人ならきっと分かってくれるはずだ)
「悪いな、マジで助かった。自分で買おうかと思ったんだけど、予算が足りそうになくて・・・」
侑芽を映画に誘った後に、自分の部屋のクローゼットを思い返してみた。そしたら最近は山や公園ばかり行っていたせいか、機能性重視の動きやすい服しかないことに気が付いた。街へ行く用の服を買いに行こうと思っているので、お小遣いはそれで使い果たしてしまうだろう。
「良いよ。気にするな。その代わり、そろそろ進展させてほしいもんだな。まだ越智さんは脈なしな感じなのか?」
痛い所を突かれて、ウッと言葉に詰まる。
「まぁ・・・な。俺なりに頑張っているつもりなんだけど・・・」
「もう、いっそ告白してみても良いんじゃないのか?僕からみても2人は仲良いし、越智さんも少なからず好意を持ってくれていると思うけど」
「いや、それは自信ないよ。友達としてしか思われてないだろうし・・・。それに何より、告白して侑芽を困らせるのが心配なんだよなぁ。断ったら俺が傷付くと思ってめちゃくちゃ悩みそうだし」
望夢が告白に二の足を踏むのはこれが原因だ。自分が振られるだけならまだ良い。相当ショックを受けるだろうがなんとか耐えられると思う。でも侑芽の事はそうはいかない。割と鈍感なタイプの自分と違い、侑芽はいつも、相手がどう思っているか。こう言ったらなんて感じるか。そういうことを考えるタイプなので、悩ませてしまうのが目に見えているのだ。自分の告白で困らせたくない。だから慎重にアプローチして脈ありになるのを待っているのだ。
そんな俺の言葉に、有斗は息を吐いてやれやれと首を振った。
「優しいね、望夢は。でも優しすぎたら何も変わらないよ。時には強気に攻めないといけない時もあると思うよ」
「さすが、入学直後から彼女がいる人の言葉は違うな」
「ありがとう。褒め言葉として受け取っておくよ」
2人で笑い合ったところで、他の部員がドヤドヤと入って来たので話は終了になった。
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侑芽との映画は中間テスト最終日の翌日の土曜日になった。
テスト最終日の放課後は部活があったので、有斗に借りていた原作の小説を返す。
難しそうなミステリーだし読み切れるか不安だったが、思ったよりも読みやすく、引き込まれる展開だったので割とすぐに読み終わった。ヒットした理由がわかる。
有斗に礼を言って、明日侑芽と映画を観に行くことを伝えると「グッドラック」と言って親指を立ててきた。
部活の後、家に帰ってくると着替えだけして自転車の鍵を手に取る。明日着る服を買いに行くのだ。
「あれ?のんちゃん、出掛けるの?」
夕飯の支度をしていた母さんが不思議そうな顔をして玄関に見に来た。
「うん。ちょっと駅の方に行ってくる。6時までには帰るから」
「そう。・・・そういえば明日だったわよね?侑芽ちゃんと映画に行くの」
目的を見透かされたのかと思い、ギクッと肩が跳ね上がる。
「そ、そうだけど?それがどうかした?」
母さんは何かを察したような表情で、口角をあげた。
「いや?何でもないわよ。お昼はウチの店で食べるんでしょ?」
「うん。一応その予定だけど・・・」
「久しぶりに侑芽ちゃんに会えるの、母さん楽しみだわ。さ、行ってらっしゃい。車に気を付けてね」
「あぁ、うん。行ってきます」
何となくギクシャクした動きで家を出る。
自転車に乗って駅前のショッピングモール目指してペダルを漕ぐ。
さっきも言った通り、侑芽への気持ちについては有斗以外には言っていない。
しかし、俺が顔に出るタイプなのか何なのか、母さんには多分バレている。
そしてもう1人。というかもう1頭。俺の気持ちに気付いている者がいる。
侑芽の愛犬であるレムだ。レムとは子犬の時から侑芽の家に遊びに行った時には顔を合わせていたので、結構長い付き合いだ。
そんなレムは、侑芽が席を外して俺と2人きりになった際、何か言いたげな目で見つめてくる。それは「早く気持ちを伝えたら良いのに」とも取れるし「でもご主人を悲しませるような事はしないように」と釘を刺してきているようにも取れる。この気持ちを認めてもらうには、ある意味1番手強い相手の様に思えた。
(レム、大丈夫だ。俺だって侑芽を傷付けたくなんかない。だから応援してくれよ)
そう思いながら駐輪場に自転車を停め、目的地の店舗に向かった。
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「で、どうだった?越智さんとのデートは」
映画に行った翌日の日曜日。有斗と一緒にファーストフード店で昼ご飯を食べながら話を聞いてもらう。
「デートって言って良いのか分かんないけど・・・。楽しかったよ。映画観た後に俺ん家で昼食べて、喋って、侑芽を家まで送って、帰ってきた」
「健全だね〜。まぁ越智さん相手にはそれくらいが良いかな。しかしまぁ、最近はちょっと状況が変わってきているからなぁ」
有斗が意味深なことを言うので、フライドポテトを食べていた手が止まる。
「な、何のことだよそれ」
俺と侑芽は去年同じクラスだったが今年は別のクラスで、有斗と侑芽は現在同じクラスだ。何か知っているのかもしれない。
「いやな、最近うちのクラスの男子の中で越智さんが密かに人気なんだよ。優しいし、親切だし。まだ告白した奴はいないっぽいけど、時間の問題かもなぁ〜」
「マ、ジかそれ」
心の中に焦りが生じる。自分が好きになるくらいだから、他に侑芽を好きになる奴が現れるとは思っていたが、とうとう現実になってしまうとは。
もしも今後、侑芽に告白するやつが現れたとして、そいつが俺なんかよりもっと良い奴だったら?そして侑芽もそいつを好きになったら?それで付き合ったりしたら?
現状ただの友達に過ぎない俺は何も出来ない。そうなってから慌てて告白したって後の祭りだ。侑芽は振り向いてくれないだろう。
俺がぐるぐると思考を巡らせていることに気付いたのか、有斗はパンッと手を叩いた。
「望夢落ち着け。とりあえず今の所は慌てなくても大丈夫だ。でもあんまり悠長に構えていたら、それこそ横から取られるかもしれないぞ」
「・・・分かった」
有斗からの忠告をありがたく受け取り、肝に銘じた。
##########
その後も侑芽とはなんの進展もないまま、季節は冬になっていた。
一応たまに遊んだりはしていた。俺が誘うこともあるし、侑芽の方から一緒に森林公園に行こうと誘ってくれたこともあった。
(あと、侑芽との進展とは関係ないが、侑芽がたまに何か物思いに耽る瞬間があるのが気になる。この前の映画のあとにウチの店でアイスティーを飲んでいた時もそうだし、新しくなった駅のエレベーターに乗った時など。本当にふとした時に何やら考え事をしているのだ。一瞬なのでわざわざ深くは聞かないが、地味に気になる。今度聞いてみよう)
そして今年もこの時期がやってきた。2月14日。バレンタインデーだ。
ありがたいことに、侑芽は毎年俺にチョコレートをくれる。もちろん義理だが、それでもいい。好きな子から毎年もらえるなんて、それだけで充分だった。
当日の朝、登校中に侑芽と会った時に今年も用意してくれていると聞いて、ガッツポーズしそうになるのを気力で抑える。くれるだろうなとは思っていても、まさかこっちから話を振るわけにはいかない。あくまで「全然気にしていませんよ?でもくれると言うならありがとう」のスタンスを保っている。有斗には絶対に見られたくない姿だ。
そうして1日の授業をそわそわしながら受け終わり、放課後になった。部室に行こうと教室を出る。
すると、廊下の角に来た所で、後ろから「あの、宇筒君」と呼び止められた。
振り返ると、同じクラスの女の子が伏し目がちに立っていた。
「ん?どうしたの?」
あまり話したことがない子だったので不思議に思う。
その子は言うか言うまいか迷うように目線を彷徨わせていたが、1度目を閉じて再び開くと意を決したように俺と目を合わせた。
「き、今日の部活終わりに、時間ある?話したいことがあるから体育館裏の花壇のところに来て欲しいんだけど・・・」
「え?あぁ、うん。5時半くらいでも良いなら大丈夫だけど・・・。話ってどんな?」
「そ、れは、その時に話すね。じゃあありがとう。また後で」
そう言うと、踵を返して走っていってしまった。
俺は恋愛系にはとにかく鈍感だ。有斗にも嬉しくないお墨付きをもらっている。
しかし、そんな俺でも今のが何を意味しているのか、察せない程ではない。
(いや、この俺がまさかな。よくある、誰々に渡しといて下さいってやつかな。去年のは事はありがたい奇跡みたいなことなわけで・・・。そんな何回も起こらないよな)
俺が言っている去年の事とは、秋ごろにラブレターをもらった時の事だ。
下駄箱に入っていたそれは隣のクラスの子からで、思いの丈が丁寧に書いてあった。こんな俺を好きになってくれるなんて凄く嬉しかったし、ありがたいとも思った。でも、申し訳ない事に、この気持ちに応えることはできない。
迷った挙句、手紙には書かずに直接伝えた。とても嬉しいけれど、俺には好きな子がいるから気持ちには応えられないと。
その子はとても良い子で、残念がってはいたが返事をくれてありがとうと言ってくれた。あれから今日まで噂が流れていないと言うことは、変に言いふらしたりもしていないようだ。
でも、こんな奇跡みたいなことはそうそうないはず。だからあまり深くは考えないようにして部室へと向かった。
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昨日のライトトラップで観察できた結果をデータにあらかたまとめ終わると、外は暗くなり始めていた。まだ絶対下校には時間があるが、昨日も遅かったので今日のところは解散することになった。
部室を閉める当番が俺だったので、頼みごとをしに有斗のところに行った。
「悪い、有斗。俺今からちょっと用事があるから、部室開けたまま待っててくれるか?今日荷物重いからここに置いて行きたいんだけど、部室を開けたままずっと無人にしたら先生に怒られるからさ」
「あぁ、僕もまだやりたいことがあるから良いよ。
・・・ハハーン。これは越智さんだな?今年も義理チョコをなんてことない顔をして受け取る気だな。当たりだろ?」
有斗が悪い顔をしながら見てくる。
「いや、侑芽と待ち合わせはしているけど、それとはまた別件。じゃあちょっと行ってくる」
足早に体育館裏の花壇へ向かう。誰もいないその場所で待っていると、さっき声を掛けてきた子が走ってきた。
「ごめんね。呼び出しといて遅れちゃって」
「全然。俺も今さっき来た所だし」
女の子は呼吸を整えると、スクールバックの中から綺麗に包装されたチョコの箱を出した。
「あの、迷惑かもなんだけど、これをその・・・」
渡しといて欲しい。と続くと思っていた言葉は、俺がありえないと打ち消した考えを肯定するものに変わった。
「宇筒君に受け取って欲しいの!私、宇筒君のことが好きなんです!」
「えぇ!?」
まさかの2回起きた奇跡に驚きの声が出てしまった。女の子は不安と期待のこもった眼差しを向けている。よく見ると、チョコを持つ手が細かく震えていた。
最初は驚きの気持ちしかなかったが、その様子を見ていると、ありがたいという感謝の気持ちと、尊敬の念が湧いてきた。
一体どれほどの勇気を振り絞って言ってくれたのか。この子だけじゃない。去年ラブレターをくれたあの子も、真っ直ぐ自分の気持ちを相手に伝えている。
あれこれ理由を付けて侑芽に告白出来ていない自分とは大違いだ。本当に凄いと思う。
そしてだからこそ、俺も伝えてくれたこの気持ちに真っ直ぐ向き合わないといけない。
「・・・ありがとう。でもごめん。俺、好きな子がいるからその気持ちには応えられないんだ」
「そっか・・・」
女の子は残念そうに下を向いたが、気持ちを奮い立たせるように笑顔で顔を上げた。
「返事をくれてありがとう。おかげでスッキリしたよ。ごめんね、驚かせちゃって」
「いや、ほんとありがとう。嬉しかった」
「良かった。あ、このチョコ良かったらもらって!あの変な意味じゃなくて、普通にめっちゃ美味しいところのやつだから!形崩れしにくいから持って帰りやすいし。実は私、甘いものが苦手で自分では食べられないんだよね」
チョコだけちゃっかりもらってしまって良いものか悩んだが、甘いものが食べられないのなら無駄になってはいけないと思い、ありがたく受け取ることにした。
その時、頭上で窓を閉める音がしたような気がしたが、気のせいだったかもしれない。
部室に戻る前に図書室へ行ってみると、すでに施錠されていた。
侑芽も図書委員の仕事が終わったようなので、帰り支度をすることにする。
部室に入る時に、チョコの箱を有斗に見られないように背中に隠したまま入る。だが、予想に反して誰もいなかった。
トイレにでも行ったんだろうと気にぜずチョコの箱をリュックに入れる。そのタイミングで有斗が帰ってきた。
「あ、望夢。良かった、戻って来てたんだな」
「うん。ごめんな待たせて。あとの戸締りは俺がやっとくわ」
しかし、有斗は帰ろうとはせず、何か考えるような表情でいる。
「実はな、さっきトイレに行ったあと、昇降口で越智さんに会ったんだ。で、望夢に伝言を頼まれた。急用が出来たから先に帰るって」
「えっ急用?」
「そう。内容までは言わなかったが、なんか暗い顔をしていたぞ。もうすぐ望夢は来るって教えたけど、それも振り切って急いで帰って行った」
ザワザワと気持ちが波打つ。今まで侑芽がこんな風に急に帰るような事は無かった。まさか何かあったのか。
心配が思考を支配した所で、リュックを掴んで部室の鍵を有斗に押し付けた。
「悪い、有斗!次の当番変わるから戸締りしといて!」
「了解。今さっきだから走ればきっと追い付くぞ」
ありがとう!と叫んで部室を出る。
急いで昇降口に向かい、スニーカーに履き替えると上履きを下駄箱に放り込んだ。
そのまま校門を出て、スマホの電源を入れる。起動時間がやけに長く感じる。繋がった途端に侑芽に電話をしてみるが、出ない。
仕方ないのでそこからは全力で走った。体力はある方だと自負しているが、昨日のライトトラップの荷物を背負ったままなので結構キツい。
ゼェハァ言いながら駅まで来ると、ようやく見慣れた後ろ姿が見えた。
「ゆ・・・、侑芽!なぁ侑芽ってば!」
肩を叩いて声を掛けると、侑芽は驚いて振り返った。
「え!?のんちゃん!?なんで・・・走ってきたの?」
「はぁ、はぁ。そう・・・。どうしたんだよ急用って。スマホも繋がんないし、なんかあったのか?」
「ごめん。電源入れるの忘れてたみたい・・・」
「あ、そうか・・・。とりあえず駅に入ろう。急用なんだろ?早く行こう」
とりあえず詳しい事情は後で聞くとして、侑芽と一緒に急いで改札口に向かった。
結果的に、心配する様な事は無かった。好きな作家のサイン会の日を今日だと勘違いしていたらしい。(有斗が心配していたらいけないので、駅で電車を待っている間にメッセージを送っておいた)
無駄に全力疾走してしまったが、勝手に心配したのは俺だし、何も無かったのならそれに越したことはない。それに走っている時は忘れていたが、これで無事にチョコはもらえそうだ。
ワクワクした気持ちを抑えつつ、努めていつも通り接する。しかし、侑芽の家の前にきた時に、とうとう我慢出来ずに催促してしまった。人に見せられないニヤけた顔をしている自覚があるので、マフラーで隠す。こうして俺は無事に侑芽からの義理チョコを受け取った。
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しかし、バレンタインの後から侑芽の様子がいつもとちょっと違っていた。遊びに誘っても「委員会が忙しくて」や「家族の用事があって」などの理由で連続で断られている。それだけならまだ良いのだが、学校で会っても一瞬目を逸らすのだ。その後はいつも通り喋っているのだが、なんとなく違和感がある。何かしてしまったかと思い返したが、ピンと来るものがない。
悩み事かと思ったが、表面上は普通にしているので聞き出すことも憚られる。どうしたもんかと悩んだが、とりあえずホワイトデーに良いものをあげて喜んでもらおうと思い立った。
今年はもう目星を付けている。侑芽と観に行ったミステリー映画の中に出てきた、ケーキ屋のマドレーヌだ。あの店は実際にあるらしく、電車に乗れば30分ほどで着けそうだ。でも1つだけ問題がある。
このケーキ屋は女子ウケ抜群のすごく可愛い店なのだ。中学生男子1人で行くには心許ない。誰か一緒に行って欲しい。もちろん頼めるのは1人しかいない。
「頼む!有斗!一緒に」
「はいはい。行って欲しいんだろ?全く、僕は便利屋じゃないんだからね?大体女子ウケの店だろうが何だろうが、男が1人で並んだって別に良いじゃないか」
「それはそうなんだけど・・・。俺にはまだそんな度量がないんだよ。それに初めて行く場所だから心細くて」
「まぁ良いけど。僕も彼女とお姉ちゃんにお返し買いたかったから、そこで買うことにしようかな」
「そうしてくれ。来てくれるお礼に、有斗にもこのマドレーヌを奢るからさ!」
「よし。この話、乗った!」
こうしてホワイトデーの前日に有斗と一緒にケーキ屋にやって来た。テレビでやっていたので覚悟していたが、想像以上にすごい行列が出来ていた。
映画が公開してからしばらく経っているが、大ヒットしてロングランになったのだ。なのでこの店の人気も衰え知らずらしい。
列に並ぶと、思っていたより男の人の姿があることに気付いた。ネットの記事によると、可愛い店構えだけでなく、味も抜群に美味しいので男女問わずスイーツ好きの間で話題になっているそうだ。
長い待ち時間を終え、どうにかお互い目的の物を買えた。店の外に出て有斗に約束のマドレーヌを「どうぞお納め下さい」と渡すと「うむ。かたじけない」と言われた
あとは明日侑芽に渡すだけだ。少しでも元気を取り戻してくれたら良いのだが。
##########
翌日のホワイトデー。
昼頃にスマホで侑芽にメッセージを送ると、すぐに返信がきた。
『3時に森林公園の芝桜の広場のベンチはどう?』との内容だった。
あそこなら同じ学校の人はいないだろうし、今は芝桜の時期ではないから人は少ないはずだ。
OKの返信をする。そう言えば今日は、侑芽が前に日にちを勘違いしていたサイン会の日だったはず。行けたのだろうか?侑芽の事だから朝イチで行ってそうだけど。
とりあえずまだ時間があるので、部屋で標本を作りながら時間を潰す事にした。
3時少し前。待ち合わせ場所には侑芽はまだ来ていなかった。ベンチの上にマドレーヌの入った紙袋を置いて、地面を観察する。何か虫がいないか観察するのはもう癖だった。一応虫カゴ代わりのフィルムケースもポケットに入れている。いつ虫を見つけても良いようにスマホのカメラを起動した。
その後少しして侑芽が来た。マドレーヌを渡すと、すごく喜んでくれた。
(良かった。ちょっとは元気が出たみたいだな)
そう思ってホッとしていると、予想外の事が起こった。
侑芽も何かを渡してきたのだ。思わず受け取って中身を見ると、バレンタインにもらったチョコと同じものが入っていた。包装紙は多少変わっているが間違いない。
何でまたくれるのか聞くと、嘘を吐いていたから渡し直し、との事だった。
(渡し直し?どう言うことだ?てか、嘘ってなに?)
頭の中がハテナマークでいっぱいになる。
そして次の瞬間から、侑芽はとんでもないことを言い出した。
「義理チョコだって言ったけど、本当は・・・ほんとのほんとは、本命なの。大本命!今回だけじゃなくて、今までもずっと本命だったけど勇気が出なくて義理だって嘘ついてたんだ」
言われている事の理解が追いつかない。なのに侑芽は追い打ちをかけるように言葉を続ける。
「ずっと・・・ずっと好きだったの。のんちゃんのことが。でもそれを言ったら、気まずくなって友達ですらいられなくなるかもって。そう思ったら怖くなって・・・。だから隠していたの。
でも、もう嘘は吐きたくないから伝えようと思って。のんちゃんを困らせるのは分かってる。自分勝手な事をしているのも分かってる。だけど、そのチョコを受け取って欲しいの。今度は本命として・・・。ダメなら自分で食べるから返してくれたら良いから!・・・ど、どうかな?」
一瞬夢を見ているのかと思った。ここはどこだ。俺はまだ布団の中にいて、都合の良い夢を見ているのか?
だってそうじゃないと納得がいかない。こんな幸せなことがあっていいのか?
しかし、目の前にいる侑芽は紛れもなく本物だし、緊張しながら俺からの返事を待っている。
ようやく現実味を帯びてきた。そこからは体が勝手に動いていた。言葉で伝えるのはどうも苦手なので、態度で示すことにする。
侑芽のくれたチョコの包装紙を剥がして蓋を開ける。前と同様、トリュフチョコが綺麗に並んでいた。その中から1つ摘んで口に入れる。やっぱり美味しかったが、前に食べた時よりも心なしか甘く感じた。
ポカンとした顔をしている侑芽に笑いそうになりながら、気持ちを伝える。
「まぁ、その、これが俺の返事。・・・ありがとう。これからもよろしくな」
言葉にすると、やっぱり間の抜けたかっこ悪い感じになってしまったが、今の俺にはこれが精一杯なので許して欲しい。
でも、こんなんでも侑芽に気持ちは伝わったらしい。向けてくれた笑顔が可愛くて思わずドキッとした。
そして今から一緒に侑芽の家に遊びに行くことになった。という事は久しぶりにレムにも会える。
(レムに報告しないとな。男同士、ちゃんと話を通さないと)
そう思いながら侑芽の隣に立って歩いた。
『Side:N』fin


