「交番に忘れ物?」

侑芽は舟漕警部にお茶を出しながら聞き返す。

「その持ち主を探して欲しい、というのが依頼ですか?」

「えぇ。越智先生に人探しをお願いするなんて申し訳ないのですが・・・」

警部はいつものように額の汗を拭いている。

「いえ、それは全然問題ないですし、お探しもしますが、交番に届いた忘れ物の持ち主をどうしてわざわざ探しているんですか?」

「いえ、実は届いたわけではなくてですね・・・」

侑芽はレムと顔を見合わせる。これは何やら事情がありそうだ。



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数時間前。

現実世界で1日を終えた侑芽は、就寝するためにベットに入る。最近すっかり寒くなり、外には雪が降っていた。

「うぅさむ〜。お布団、湯たんぽで温めといて良かった。もう2月だもんね。風邪引かないようにしないと」

湯たんぽをベットから取り出して、布団に潜る。
ポカポカと心地よい暖かさに、侑芽はすぐに眠りに落ちた。



目を開けると、例によって探偵事務所の前に立っていた。シャワシャワとセミの鳴く声が聞こえる。現実の世界と違い、今回この世界は初夏の気候のようだ。
また依頼人が来るのだと分かり、にんまり笑って事務所に入る。
いつものソファに行くと、なんとすでに舟漕警部が座っていた。しかも1人ではなく、隣には警察官に似た制服を着た年配の男性もいる。レムは2人の向かいに座っていた。

「あれ、舟漕警部!いらしてたんですか?」

「あ、どうも越智先生。お邪魔しております。
今来させてもらった所なんです。レムさんに案内して頂いて」

警部はレムに会釈した。

「侑芽ちゃんはすぐ来ると思ったので、ご案内しておきました」

レムが立っている侑芽を見上げながら、ニコッと笑う。

「ありがとうねレム。あ、警部。お隣の方は・・・?」

「この方は、夢中派出所に所属しておられる歌田(うたた)さんです。私の先輩です」

紹介された歌田は侑芽の方を向くと、優しそうな笑顔を浮かべた。

「こんにちはお嬢ちゃん。歌田です。まぁ舟漕君の先輩と言ってもワシは定年退職しておって、今は交番相談員として働いているんじゃ」

そういうと、白髪混じりのグレイヘアを撫でた。

「お2人ともお越し頂いてありがとうございます。今お茶淹れますね」

侑芽はポットからお湯を出してサーバーに入れる。

「すみません。越智先生。どうぞお構いなく」

「いえいえ。あのそれで、今日はどうなさったんですか?」

「はい。実は、歌田さんの所属している夢中派出所の忘れ物についてご相談したいことがありまして・・・」

こうして話は冒頭に戻る。
警部は事の顛末の一部始終を話し出した。




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「実は、交番に忘れ物が届いたのではなく、交番に忘れ物をした人がいるんです」

侑芽は意外な話に少し驚く。確かにあまり聞かない話だ。

「それはどんなものですか?」

「カバンです。ここに持ってきました」

警部は足元に置いていた紙袋から、ベージュの肩下げバックを取り出してローテーブルの上に置いた。
(証拠品なので、一応リュックの下にビニールシートを引いている)
どこにでもありそうなデザインで、男女関係なく使えそうだ。しっかりした素材で高さはA4の紙が入りそうなくらい。マチが広く、ファスナーがしまっているので中身は見えない。
側面にはアウトドアメーカーのロゴが入っている。

「では、これを発見した経緯と、持ち主に心当たりがあればそれも教えてください」

すると、歌田が胸の前で小さく手を上げた。

「それはワシから説明させてもらおう。発見したのはワシなんじゃ。持ち主と思われる人物は3人おる。
今朝9時頃、交番に道を尋ねに3人の人が来られた。
いっぺんに来たのではなく、それぞれ1時間くらい間をあけてじゃがな。
1人目は大学生のお嬢さん。アルバイトの初出勤中に道に迷ってしまったということじゃった。絵空駅にある花屋でアルバイトをしているとのことじゃ。初の1人暮らしをしているらしく、自炊を頑張ると張り切っておられたわい。
得意料理も教えてくれたが、外国の料理で、名前は忘れてしまったのぉ。
2人目も女性。ワシと同い年くらいのご婦人で、息子さんが営む店への行き方を知りたいとのことじゃった。
なんでも息子さんの営む電気屋が開業から10年目だそうで、お祝いの酒を渡そうと出てきたが、来るのが久しぶりで道に迷ってしまったらしい。そのお店はバスに乗って4つ目のバス停を降りてすぐじゃったよ。
そうそう、孫にピアノを教えないと。とも言っておられたな。
3人目は男性で、舟漕君と同い年くらいかの。40代くらいの紳士じゃ。夢中大学の行き方を知りたいと言っておられた。
大学の先生だそうで、寄り道をしてから出勤しようとしたら道に迷ってしまったらしい。
何の学問の先生なのかも聞いたんじゃが、内容が難しくてのぉ。確か生物関係で、トゲがあるとかないとか言っておった気がするんじゃが・・・。
あと、カメラが趣味で休日は山に写真を取りに行くとも言っておられた。
まぁ、とにかくこのお三方に道案内をしたんじゃ。
椅子に掛けてもらって、机に地図を広げてな。
そして昼頃、机の下を掃除しようと椅子をどけると、足元にこのカバンが置いてあったんじゃ。
ワシが出勤してすぐ掃除した時はなかったから、あの中の誰かが忘れてしまったということ。
足元じゃったから誰も気付かなかったんじゃな」

うむうむと目を閉じて納得しながら話す歌田を横目に、侑芽はソファを離れて歌田の反対側から警部にそーっと近づいて、息を潜めて話しかけた。

「・・・警部。とても分かりやすかったのですが、なぜ来られた方のプライベートな情報を歌田さんはこんなにご存知なんですか?」

警部は苦笑しながら、さらに声を潜める。

「実は、歌田さんはかなりのお喋り好きでして。署内では『べしゃりの歌さん』と言う二つ名が付いているんです。
おまけに聞き上手でもあるので交番に来た方とめちゃくちゃ話が弾むので、結果的に色々と情報を収集できている訳です」

2人は歌田に気付かれないように、向こうを向いてヒソヒソと話す。

「はぁ〜、なるほど。それで・・・」

「そんなわけで、近隣の方から歌田さんは大人気なんですよ。
まぁお陰様で、夢中派出所付近は地域の連携がすごく取れているんです」

「あ、じゃあもしかして、この間の宝石ひったくり事件の時に犯人の逃走経路がすぐに分かったのは・・・」

「えぇ。我々が近隣で聞き込みを行っている間、住民の方同士でも連絡を取り合って下さったんです。『歌田さんの交番の近くで事件が起きたからみんな協力して』と伝えてくださって。
そうしたら凄い早さで犯人の目撃情報が集まりまして、あの喫茶店に逃げ込んだことが分かったのです。」

侑芽はチラッと歌田に視線を移す。
前回依頼に来た杏奈や杏奈のお姉さんは、あの宝石ひったくり事件は侑芽のおかげで解決できたと言ってくれていた。だが、実際は探偵の存在だけではなく、普段から市民とコミュニケーションを取り、いざという時に協力してもらえる体制を整えていた交番勤務の方の力も大きかったのだと、警部の話を聞いて思った。
歌田がそれを意識していたのかどうかは別にしても、だ。
納得した侑芽は素早くソファに戻る。

「歌田さん、ありがとうございました。その3人の中に持ち主がいると見て間違いなさそうですね。
でも、しばらくしたら本人から連絡があるかも知れませんよ?」

忘れ物を届けてあげたい気持ちは分かるが、まずは相手からの連絡を待つのがセオリーな気がする。
なぜわざわざ持ち主を探したいのか、その理由が分からない。

「ワシも最初はそう思ったんじゃが、このかばんの中身を見たらどうも気になることがあっての」

「カバンを開けたんですね」

「そうじゃ。忘れ物の係に中身を伝えないといけないからの。そしたら色々入っていたんじゃが、これを見つけたんじゃ」

そう言って歌田はテーブルの上のカバンを手に取り、ファスナーを開ける。
取り出したのは、長方形の紙だった。2枚ある。

「オーケストラのチケットと書いておる。日付は今日で時間は夕方の5時。あと3時間後じゃ。
本当は警察で管理するのがルールなんじゃが、それだと持ち主がチケットがないことに気付いたとしても、警察署に取りに行っていてはコンサートには間に合わん。このコンサート会場は警察署から遠いからのぉ。
どうしたもんかと舟漕君に話したら、越智探偵に相談しようという事になったんじゃ」

警部は頷く。

「一応警察署と派出所の方に、該当する忘れ物の問い合わせがあればこちらに連絡をくれるよう伝えているのですが、今の所はまだありません。
ここまでする必要はないのかも知れませんが、このオーケストラについて調べてみたら、かなり人気のあるコンサートでなかなかチケットが取れないみたいなんです。
それを2枚も置いていってしまうなんて、持ち主の方が不憫で・・・。なんとかできないかと思いまして」

人情深い舟漕警部らしい理由だ。

「でも、それならとりあえず全員に連絡してみたらいいんじゃないですか?3人とも職場や親族の職場が分かっているのなら連絡が取れるんじゃ・・・」

「私もそう思ってここに来る前にそれぞれ電話で事情を話してみたのですが、誰とも連絡が取れなかったんです。
女子大生の子は、すでにアルバイト先を退勤して大学に登校したそうです。他のスタッフが連絡してくれたのですが、授業中のためか繋がらず。
年配のご婦人も、息子さんのお店を出られていました。ご婦人は携帯を持っていないとのことで、自宅にかけて下さいましたが、留守電でした。お店を出られる時に、これから婦人会に参加すると言っていたそうなので、いつ帰宅するかは分からないとおっしゃっていました。
男性の方も、夢中大学に電話して年齢と背格好を話したら該当する先生はいらしたんですが、研究室が外出中になっていて戻られていないそうです。
スマホにもかけて頂きましたが、ダメでした。
よくスマホの電池が切れている先生らしいので折り返しはいつになるか分からないそうです。
折り返しがあれば連絡します、と皆さん快く言って下さいましたが今の所はまだ・・・。
3人の現在いると思われる場所は、それぞれがかなり離れているので、今から3箇所とも尋ねていたらコンサートに間に合いません。
ここから1番近いのは夢中大学ですが、男性が外出中ではどこにおられるか・・・。それにもし違っていた場合もコンサートに間に合わなくなります。
残る方法は、持ち主を特定してこちらからお届けするしかない、という訳なのです」

なるほど。これ以上待てば完全に間に合わなくなる。
そう判断してここに依頼しに来たという訳らしい。
侑芽はレムに目配せする。2人は頷き合った。

「そういう事ならお任せください。このご依頼、お引き受け致します」

「ありがとうございます。越智先生」

警部と歌田さんはホッとした顔で並んで頭を下げた。

「ではとりあえず、荷物を全部見てみますね。
お2人はご覧になっているんですよね?」

「えぇ。私も歌田さんと一緒に確認しています。では私がお見せしますね。
ただ、なんだか妙な組み合わせのものばかりで・・・。
ちなみに、財布やスマホなどの個人を特定できるものは入っていませんでした」

警部はそう断りを入れて、中身をテーブルに並べ始めた。その内容は、確かに少し妙なものだった。

白いタオルハンカチ、ピンセット、バナナ、カメラのフィルムケース、懐中電灯、軍手、未開封のレディースストッキング、夢中大学の文化祭のチラシ

次々と並べられる品々を侑芽とレムは覗き込む。

「レム、一応だけど匂いで何か分かる?」

「いえ、特にこれと言っては。性別が分かるような匂いもしませんし・・・。3人の匂いが分かれば簡単に特定できるのですがねぇ」

「うーん・・・だよねぇ。ありがとう」

侑芽は手を顎に当てて、推理をする時の姿勢になった。

「我々も頭を捻ったのですが、この持ち物からでは全く人物像が浮かんでこないんです・・・。
夢中大学の文化祭のチラシがあるという事は、大学の先生だというあの男性なのでしょうか」

「しかし、その文化祭は一般向けに配られたもののようですから誰が持っていてもおかしくないですよ」

推理中の侑芽に代わって、レムが警部の疑問に答える。

「じゃあ、レディースのストッキングがあるから女性のどちらかとか?」

「ですが、このストッキングは新品の未開封です。ご家族に頼まれて買った可能性もあります」

「じゃあ料理酒!自炊を頑張ると言っていた子が買ったんですよ」

「うーん。あり得ますが料理なら他の2人もしている可能性が・・・」

「あ、そういえば、ご婦人は息子さんにお祝いの酒を持って行くと言ってましたよね?もしかしたらこれが?」

「お祝いの酒で料理酒はあまりないんじゃ・・・」

警部とレムが議論を繰り広げている間、侑芽と歌田の2人は取り残された。
侑芽は顎から手を放し、歌田に目線を合わせる。

「歌田さん。その3人の服装を覚えていますか?」

「あぁ、覚えておるよ。大学生のお嬢さんは黒のトレーナーにジーンズで靴は赤いスニーカーじゃった。メッシュになっている通気性の良さそうな靴じゃったよ。
ご婦人は着物を着ておられて、色はクリーム色で帯は花柄。足元は足袋に草履じゃったな。
大学の先生は緑と白の・・・ギンガムチェックというんじゃったかな?あの柄の長袖シャツに、ベージュのカーゴパンツ。靴は足首まであるスニーカーじゃったと思う。丸いボタンがついておる珍しいデザインでよく覚えとる」

侑芽は歌田の証言に驚く。

「こんなに正確に覚えているなんて、すごい記憶力と観察眼ですね」

「ワハハ!年寄りをからかっちゃいけないよお嬢ちゃん。ワシの場合はほとんど職業病じゃな。無意識のうちに相手を観察してしまうんじゃよ」

長年警察官として務めていただけのことはある。
隣で行われている、「軍手があるから花屋のバイトの子!」「フィルムケースがあるからカメラが趣味の男性!」という議論を聞きながら、侑芽は歌田に尊敬の眼差しを送った。

「・・・私が思うにですね」

侑芽が口を開くと、警部とレムの議論はピタリと止んだ。

「このフィルムケースが鍵な気がします。肝心のカメラがないのが気になりますし、それにフィルムも入っていません」

侑芽はそう言ってフィルムケースを手に取る。
目の前に持ってきて観察していると、侑芽の眉がピクッと動いた。

「・・・これ、穴が空いていますね」

「え?」

他の3人も覗き込んでくる。
確かに、ケースの蓋にキリでついたようなごく小さい穴が3つ空いていた。

「なんでしょうこれ?ちょっと蓋を開けてみますね」

侑芽は蓋を開ける。しかし中は空っぽでこれと言って何もない。汚れも特になく、普通の白いケースだ。
すると、今度はレムの眉がピクッと動く。

「侑芽ちゃん、ちょっとそれ貸してください」

侑芽からフィルムケースを受け取ると、レムは鼻を近付ける。

「わずかですが、青リンゴのような匂いが付いています」

「青リンゴ?」

「はい。微妙に違う気もしますが、多分そうだと思います」

侑芽たちの嗅覚では分からないが、レムには感じ取れたみたいだ。
それを聞いて、警部と歌田はますます首を捻っていたが、侑芽はなぜか真顔でフィルムケースを見つめている。そして再び顎に手を当てて、推理モードに入った。

と、その時警部の携帯電話が鳴った。この件で連絡があったのかと、警部が慌てて出る。
しかし、会話から察するにどうやら違うらしかった。
警部は携帯を耳から離し、通話口を手で押さえると、こちらを振り返った。

「すみません。この件ではありませんでした。
歌田さん、水間(すいま)署長がこの前の提出書類について確認したいことがあると・・・」

「あら、スイちゃんのやつ、さてはまた書類の書き方を忘れよったな。しょうがないのぉ。お嬢ちゃん、すまんがちょっと失礼するよ」

警部と歌田さんがリビングを出ていく。
後から知ったのだが、歌田と署長は年齢は違うが警察学校の同期で、旧知の仲だそうだ。

リビングのドアが閉まると、レムが侑芽の方を向く。

「侑芽ちゃんどうですか?今回も難しそうな依頼のようですが、何か分かりましたか?」

すると、侑芽は横目でレムを見上げて得意気に口角を上げた。

「レム、大丈夫。今回は日を跨がずに解決できそうだよ。私、このカバンの持ち主分かっちゃった!」

「え、本当ですか?さすが侑芽ちゃんですね!僕には検討もつきませんが・・・」

「今回は私にとってサービス問題だったかも。
警部たちが戻ってきたら謎解きを始めるね」

そう言った所で、丁度警部と歌田が戻ってきた。