杏奈の言葉をきいて、侑芽は思わず身を乗り出した。

「アリバイ崩しをご希望の方が来られたのは初めてです。事の顛末を最初から最後まで、ぜひ詳しくお聞かせ下さい」

侑芽はテーブルの引き出しからメモとペンを取り出して構えた。

「はい。私には付き合って4年になる、幼馴染の彼氏がいるんですが、最近この彼氏の行動に気になる所があるんです」

「なるほど。ちなみに彼氏さんのお名前は?」

「富戸慎也(ふと しんや)です。慎也は私と同じ幻想大学の4年生です。
先週の金曜日の事です。私は車の免許の更新締め切りが来月に迫っている事を思い出して、朝から自転車で出掛けました。来月には就職先の近くへ引っ越すので今の内に済ませたくて。
そして8時15分頃に夢中駅に着きました。更新場が夢中駅の近くにあるので、駅の駐輪場に自転車を停めました。
そしたら、駅を出た所にある公園のベンチに慎也が座っていたんです」

侑芽は杏奈の話を素早く書き込みながら、簡単な地図を書いて位置状況も把握する。
幻想大学と夢中駅は離れているので、登校途中にたまたま通りかかったとは思えない。

「偶然会ったのが嬉しくて、すぐに声を掛けようと思って慎也の方に向かおうとしたんです。そしたら...」

杏奈が膝の上の手をキュッと握った。

「慎也の所に女の人が駆け寄って来たんです。
2人は待ち合わせをしていたみたいで、慎也も笑いながら手を振っていました。
その後、2人は並んで歩いて行ってしまいました」

どうやらここが依頼の肝だったらしく、杏奈は軽くため息をついた。

「その女性はどんな方でしたか?」

「私達より少し年上の方だったと思います。
とても...綺麗な方でした。それに2人は親しげで、なんだか...慎也とお似合いな感じがして。
私、驚きましたし、なんて言うか、声を掛けられなくなって...」

杏奈は濁しているが、中学生の侑芽でも杏奈の言いたい事はさすがに分かる。
要は慎也の浮気を疑っているのだ。

「その事について慎也さんに聞きましたか?」

「はい。その日の夜、ご飯を食べる約束をしていたのでその時に。『今朝、8時15分くらいに夢中駅で慎也に似た人を見たけど、居た?』って聞きました。
そしたら急に慌てた様子で『行ってない。それは俺じゃないよ』って。慎也は嘘が顔に出るタイプなので、すぐに何か隠していると分かりました。
なので、本当に本当?って聞いたら、『本当だよ。それに俺にはアリバイがある』って...」

アリバイ、と侑芽は小さく呟いた。

「このアリバイをお話しする前に、私と慎也がいつもどうやって夢中駅に行っているのか説明させて下さい」

杏奈はハンドバックからメモ帳を取り出し、ペンで描きながら説明する。

「私と慎也は家が近くて、二人とも最寄駅は幻想駅です。夢中駅に行くには中間地点の絵空(えそら)駅で急行に乗り換えます。その方が早いので。そして夢中駅まで行くのです」

[幻想駅→絵空駅(乗り換え)→夢中駅]とメモに書かれていく。

「そして慎也はこう言ったんです。
『俺は今朝、バイトに行く為に幻想駅の1番線7時45分発の電車に乗って、絵空駅の1番線7時50分着で降りたんだよ。
夢中駅に8時15分に着いておくには、絵空駅の3番線7時51分発に乗らなくちゃいけないけど、1分で乗り換えなんて無理でしょ?だから俺は夢中駅には居れなかったんだよ。ここに証拠もあるし』って。
そう言って財布からレシートを出して私に見せてくれました。それは絵空駅の1番線のホームにある売店のレシートでした。降車してすぐに水を買ったみたいで、日付は確かにその日でしたし、時間は7時51分。店名もその売店で間違いありませんでした」

侑芽はそのアリバイの内容に口角を上げ、手を顎に当てた。

「なるほど。つまり、夢中駅にいたのが本当に慎也さんだった場合、何らかのトリックを使って電車を乗り換えた可能性があると言うことですね。
確認ですが、絵空駅で1番線から3番線への乗り換えは本当に1分では無理なんですか?」

その問いかけに、杏奈は再びペンを走らせて、メモに駅の図を書き始めた。

「無理だと思います。絵空駅は単線の線路が3本あって、上から見たらちょうど漢字の川の字みたいになっています。川の字の一画めが1番線、二画目が2番線、三画目が3番線、といった具合です。
ホームと線路の構図は、左から順番に1番線の線路、1番線と2番線共通の広めのホーム、2番線の線路、3番線のホーム、3番線の線路、といった具合です。
それぞれのホームは端で繋がっていないので、1番線から3番線に移動したかったら、一度階段を降りて改札口に戻り、グルッと周ってから再び階段を上がって3番線のホームに行かないと行けません。
その時間は通勤通学の時間だったので人混みが凄かったはずです。走るのも難しいでしょうし、そんな中で1分で乗り換えなんて不可能だと思います」

侑芽は杏奈の書いたホームの図を食い入るように見る。レムもその横から覗き込んだ。

「・・・なるほど。しかし、杏奈さんが夢中駅で見たのは確かに慎也さんだった。そう確信しているからこそ電車を乗り換えた謎を解いてほしい。と言うわけですね?」

「そうです。私が慎也を見間違えるはずありません。それに、慎也は絶対何か隠しています。
でも、このアリバイを主張されたら、何も聞くことができません。
なので今回、姉から聞いていた越智先生にご相談したくお伺いした次第です」

侑芽は依頼人の話を聞いて、口元に手を当てる。
これは侑芽が推理をする時にやるいつものポーズだが、杏奈は違う風に受け取ってしまった。

「・・・やっぱりダメですよね。こんな依頼じゃ・・・」

杏奈はシュンとうなだれて、ソファの上で小さくなる。
その様子を見て、侑芽はおやっと思った。

「なぜこの依頼内容ではダメだと思うんですか?」

「いや、だってアリバイとか言ってますけど、要は恋人同士のちょっとしたいざこざですし・・・。
こんなことで名探偵である越智先生の手を煩わしちゃいけないって何回も思い直したんです。でも・・・」

この若い依頼人は、懸命に本音を吐露しようとしている。
侑芽は話を遮らないように注意しながら言葉を待った。

「数ヶ月前から、慎也を遊びに誘っても断られることが増えたんです。『バイトがある』とか『大学の用事が』とか。
最初はそんなに気にしてなかったんです。でも私の就職先が決まって、慎也が大学院に進むのが決まった時からますます予定が合わなくなっていきました。
そんな時にあの光景を見て・・・。すごく動揺しました」

慎也に変な噂が立ってはいけないので、大学の友達に相談することもできず、悩んでいた所、越智探偵事務所のことを思い出したらしい。

「こんなこと言ったら贔屓目だって言われそうですけど、慎也はすごく良い子なんです。
小さい頃から優しくて思いやりがあって。本当は私なんかには勿体無いくらい素敵な人なんです。
私の告白にも笑顔でOKしてくれましたし、私のことをいつも大切にしてくれました。
・・・そんな慎也が軽々しく誰かとデートするなんて思えません。したとすれば、それは本当に好きな人なんだと思います。
でも、もしそうだとしたら、慎也から『他に好きな人ができた』と言われたら・・・。
私みたいな何の取り柄もない人間は、引き留める術なんてありません。手を離してあげるしかないんですっ」

杏奈の声が震えてくる。
本人も取り乱しているのを自覚しているのか、落ち着くために軽く息を吐いた。

「・・・すみません。お見苦しい所を。
多分、いつもなら女性といる所を見ただけではここまで悩まなかったと思うんですけど、最近の慎也の様子とかすれ違いが重なって、不安が大きくなってしまって。ぐるぐる考え込んで・・・。
バカですよね。こんなことで探偵事務所にまで来て。
やばい人になっているかも私・・・」

最後の方の声は消え入りそうなくらい小さくなっている。
膝の上で固く握られた杏奈の手に、侑芽はそっと手を重ねた。

「杏奈さん。私たちは、このご依頼をお引き受けしますよ」

侑芽の言葉に、杏奈は俯いていた顔を上げた。

「良いんですか?こんな依頼で・・・」

「もちろんですよ。私たちは片方無くなったイヤリングの捜索や、昔好きだったお菓子の名前を調べて欲しい。などの依頼も請け負ってきました。
たとえ、周りからみたら小さなことでも、悩んでいるご本人からすればそれは大事件です。
慎也さんのアリバイを崩すことで、杏奈さんの悩みが全て解消するかは分かりません。ですが、真実が分かれば少しでも何か変わるかも知れません。
私たちにそのお手伝いをさせて下さい」

侑芽はそう言うと、隣にいるレムに「ね?」と同意を求める。レムはもちろん頷いた。
杏奈はその言葉で驚いたように瞳を大きく開いたが、すぐに安堵と喜びの笑顔に変わった。

「・・・ありがとうございます。越智先生」

侑芽は返事の代わりに笑みを返し、杏奈から手を離して元の姿勢に戻る。
2人の間に感動的な雰囲気が漂っていたが、こんな時に侑芽はとても事務的なことを言い出した。

「あ、そうそう。すみません杏奈さん、依頼人の方にはこちらの用紙にご連絡先をご記入して頂いてまして、お手数ですがお願いしても良いですか」

変わりすぎた話題に、杏奈は逆に肩の力が抜けたのかクスリと笑った。

「えぇ、もちろんです」

「すみません。あと、一応身分証の確認も・・・」

「はい。運転免許証で良いですか?
越智先生、お若いのにしっかりされていますね」

レムが持ってきた用紙に記入しながら、杏奈は微笑む。

「あはは。私の父親が、会社でクライアントと会うときはこうすると、よく話しているので・・・」

照れ笑いを浮かべながら、侑芽は杏奈から免許証と記入用紙を受け取る。
内容に差異は無く、用紙には固定電話の番号が書いてあった。

(へぇ。最近は携帯の番号を書く人が多いのに、杏奈さんは固定電話派なんだ)

そんな疑問がチラッと掠めたが、あまり気にすることはせず、杏奈に身分証を返した。

「ありがとうございました。
では杏奈さん。調査するにあたって、いくつか質問をさせて下さい」

「はい。どうぞ何でも聞いて下さい」

そう答える杏奈の顔には、先ほどまでの暗い影はもうなかった。

「まず、杏奈さんは夢中駅まで自転車で行かれたとのことですが、自宅から割と離れているのになぜ電車で行かなかったんですか?」

「大した理由じゃないんです。サイクリングが好きなので自転車で行ったと言う感じですね。
学校も今までずっと自転車通学でしたし、慣れているんです」

「あ〜なるほど。では次に、慎也さんが主張されているアリバイについてです。
慎也さんは杏奈さんに思いがけず夢中駅にいたか聞かれたはずなのに、どうして正確に電車の時刻を答えられたんでしょうか?
何か思い当たることはありますか?」

これは先ほどからずっと気になっていたことである。
自分が乗った電車の時間くらいは覚えているかも知れないが、何番ホームや乗り換えの時刻なんて咄嗟に答えられるだろうか。
あるいは聞かれる事を想定して、準備をしていたのか。だとしたら計画的だったのか。
侑芽はそこまで考えていたが、杏奈の答えは単純なものだった。

「あぁ、それは何も不思議なことはないんですよ。慎也は子供の頃から鉄道が大好きなんです。自分がよく使う路線の時刻表は大体暗記しているし、乗り換えとかにも凄く詳しいんです。
・・・まったく、電車の話をし始めたら止まらなくって。私もよく鉄道博物館に付き合わされてます」

口ぶりは困った感じだが、それとは逆に杏奈の表情はとても嬉しそうだった。
侑芽はそんな様子を微笑ましく思っていたが、ふと、この表情をどこかで見たことがある気がした。

(あれ、どこで見たんだろ・・・。思い出せないな)

侑芽の考える様子をレムは横目で見る。そして小さく微笑んだ。

「・・・ありがとうございます。参考になりました。
早速、今から絵空駅に行ってみようと思います。慎也さんが乗り換えをしたと思われる時間に行けば、何か分かるかも知れません」

そこで侑芽は、朝早い時間からのスタートだった理由が分かった。
すぐに調査開始できるようにするためだったのである。

「では、私も行かせて下さい。今日は土曜日で大学も休みですし、何かお手伝いさせて下さい」

侑芽としても、絵空駅には初めて行くので杏奈が来てくれるのはありがたい。助手のレムを含めた3人で絵空駅に行くことになった。

「大丈夫ですよ杏奈さん。たとえ手がかりがなかったとしても、いざとなったら防犯カメラを見せてもらいましょう!
以前、とある事件解決の際にお世話になった関係で、この路線の駅員さんとは知り合いなんです」

侑芽は杏奈を励まそうと声をかける。
ところが、杏奈は侑芽の言葉を聞くと、キョトンとした顔で不思議そうに小首を傾げる。
そして驚くべき事を言った。

「あの、すみません越智先生。防犯カメラって何ですか?」

「え?」

一瞬、侑芽は何を言われたのか分からなかった。防犯カメラが分からないとはどういう事だ。
杏奈の顔は冗談を言っているようには思えない。
困惑した表情を浮かべる侑芽だったが、ふとある考えがよぎり、スカートのポケットに手を入れる。
そこにはいつも入れているはずのスマホがなかった。
今度は急いで壁に目を向ける。
いつもならそこに来客を撮影して記録するインターフォンのモニターがあるはずだが、今は何もなく、ただ白い壁があるだけだった。

「ま、まさかここって・・・」

侑芽が焦りの汗を浮かべて呟くと、レムも状況を理解したように頷いた。

「どうやら今回ここは、カメラやスマホのない世界になっているようですね。侑芽ちゃん」

予想が的中し、侑芽は頭を抱えた。

「し、しまった〜!今日のんちゃんとあんな話をしたからだ・・・。
乗り換え案内もスマホで調べようと思っていたのに。どうしよう!」

電子機器のない時代の推理小説は、読んでいる分に面白いが、いざ自分が謎解きをするとなると難易度が高すぎるように思えた。

ウンウン唸る侑芽を見て、杏奈は心配そうにその顔を覗き込んだ。

「あ、あの越智先生。大丈夫ですか?」

その声にハッと我に帰る。
探偵は常に冷静沈着でいなければいけないのを忘れていた。
侑芽はコホンと咳払いを一つしてセーラー服のスカーフを正した。

「失礼しました杏奈さん。大丈夫です。
私がきっと事件の真相を明らかにして見せます」

「ありがとうございます越智先生。では、よろしくお願いいたします」

「お任せください!
あ、そうだ。出かける前に、ちょっと電話を一本かけてきても大丈夫ですか?」

「はい、どうぞ。・・・あの、すみません。その間に化粧室をお借りしても良いですか?メイクを直したくて・・・」

杏奈が申し訳なさそうに言う。本人は隠しているが、多分涙ぐんでいたんだろう。その時にアイメイクが崩れたようだ。

「もちろんですよ。廊下を出てすぐ右です。では、失礼してちょっと電話を・・・」

杏奈が化粧室に入ったのを見て、杏奈は素早く手帳をめくり、とある電話番号を見付けて電話をかけた。

「もしもし、朝早くから突然すみません。私、探偵の越智と申します。・・・えぇ、そうです。・・・いえいえ、こちらこそ。その説はお世話になりました。あの、実は確認したいことがあってお電話したのですが・・・」

侑芽は二言三言話すと、相手の返事を待つ。
少しして満足のいく回答が得られたらしく、お礼を述べて電話を切った。
それとほぼ同時に杏奈が戻ってきた。

「すみません。お待たせしてしまって」

「いえいえ、私も今電話が終わったところですから。
では、参りましょう」

「はい!越智先生」

依頼人の笑顔を見ながら、侑芽は心の中で気合いを入れた。

(よーし。私だって、小説の探偵みたいにスマホやカメラがなくったって事件を解決してみせるんだから!)