学校帰り、最寄り駅に入っているお気に入りのカフェで「世界の名作ミステリー傑作選」をパタリと閉じた侑芽はうっとりと目を閉じた。

「最近のミステリーも面白いけど、スマホも監視カメラもない時代のミステリーも面白いなぁ。」

そう言って、アイスミルクティーを一口飲む。

「へぇ〜。どの辺がそんな面白いの?」

向かいの席でノートに書き物をしていた望夢が尋ねた。

「んーとね、ネットとかで調べられない分、探偵の知識や発想力が頼りになる所かな。あーでも!現代の最新テクノロジーを駆使した推理も捨てがたい〜!」

やっぱり選べなーい!と一人で盛り上がる侑芽に、望夢は黙って微笑みだけ返した。

「それで、のんちゃんはさっきから何やってるの?」

「これ?これは今度部活で使うやつ。
学校の裏山に植物と昆虫の生態調査に行くから、用意とかをメモしてるんだよ」

望夢は生物部に所属している。小さい頃から昆虫が大好きで、よく公園に昆虫を探しに行っていた。
そんなアウトドアの望夢と読書好きなインドアの侑芽がどうやって遊んでいたかというと、

「そうなんだ〜。良いなぁ。私もついて行きたいな」

「侑芽はついてきてもいつもみたいにベンチで本を読むんだろ?大体、生物部じゃないんだからダメだよ。それに図書委員の仕事があるだろ?」

「そりゃ、そうだけどね。外で本読むの気持ち良いから好きなんだよね」

そう、幼稚園の頃から、草むらを駆け回る望夢の後ろで、侑芽はベンチで本を何冊も積み上げていた。こんな遊び方だが、不思議とこの二人は仲良くなっていったのである。

「あ、そろそろ帰るか?今日は侑芽が前に見逃した、刑事ドラマの再放送が夕方にあるんじゃなかったっけ?」

「え?あ!そうだった、忘れてた!今日はお母さんとお父さんがデートで少し遅くなるから録画も頼めないんだよね・・・。危なかったぁ。
ありがとう。のんちゃんって本当に記憶力が良いよね」

「うん・・・。まぁそうかな」

望夢は少し複雑そうな表情をして侑芽を見る。しかし当の侑芽は帰り支度をしていてその表情に気付かない。

「・・・なんでも覚えてるわけじゃないんだけどな・・・」

ボソッと呟いた望夢のこの呟きにも、侑芽が気付くことはなかった。

その後、カフェを出て電車に乗るためホームに向かう。
侑芽たちは電車通学をしているので、この「まこと駅」に平日は毎日来ている。
平日の朝と夕方は、下校する学生と退勤する社会人でいつも混雑している。今日も例外ではなかった。
人を縫うようにして改札を通過し、なんとか電車にたどり着く。
座る席は当然ない。望夢は侑芽をドア横の隅に押しやって、自分はその前に立って吊り革に掴まった。

「よし、この電車に乗れたならバッチリ間に合いそう!」

狭い車内で侑芽は小さくガッツポーズをする。

「そりゃよかったな。混んでたエスカレーターじゃなくて、階段使ったおかげかもな」

「そうだね。なんか、間に合いそうにない電車になんとかして乗るって、ミステリーの時刻表トリックみたい!」

「時刻表トリックってそんな感じだったか・・・?」

微妙に噛み合わない会話をしている内に、電車の発車音が聞こえてきた。



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帰宅しキッチンに入ると、出掛けているはずのお母さんがなぜか夕飯の支度をしていた。

「あれ?お母さん、今日はお父さんとデートだから少し遅くなるって言ってなかった?」

侑芽がそう尋ねると、お母さんは腰に手を当てて困り顔をした。

「それがねぇ、お父さん車の免許の更新が来月までなのすっかり忘れていたみたいで、さっき慌てて出掛けて行ったのよ。
ほら、お父さん来月から1ヶ月間出張が入っているから今日くらいしか行けそうな日がないって」

「あら〜。それは残念だったね。買い物行くつもりだったんでしょ?」

「そうそう。もうすぐお父さんお誕生日だから、せっかくプレゼント買ってあげようと思ったのに〜」

「今年は何をあげることにしたの?」

「ネクタイよ。でもお母さん紳士服よく分からなくてね。パート先のアルバイトの男の子に聞いたら、駅前のおしゃれなお店教えてくれたのよ。そこに行ってお父さんの好きなネクタイを買ってあげようと思って。
ちょっと良いお値段のお店だから、最近パートを増やして貯金してたの!」

そういえば、先月はお母さんのパートの回数が多かったような気がする。

「でもね、お父さんさっき出かける時に『今年はお母さんの選んでくれたプレゼントが良いな』って言ってたの!そんなの言われたら気合い入っちゃうわよね〜!
明日のお父さんの誕生日会までに用意しなくっちゃ」

お母さんはお玉を持ったまま頬に手をやり、照れた顔をする。
両親のラブラブ具合には慣れているので、侑芽は温かい眼差しだけを送ったあと、ドラマを見るべくリビングへと向かった。


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その夜。ご飯とお風呂を終え、パジャマに着替えた侑芽はいつものようにリビングに入った。
クッションの上でゴロゴロしているレムの前にしゃがみ、両手で優しく頭を撫でる。

「レム、今日は依頼あるかな?最近無いもんね。
平和なのは良い事だけど、また困った人の力になれたら嬉しいよね」

レムは目を閉じて、気持ち良さそうに侑芽の腕に身を任せる。

「ふふふ。レムは本当に可愛いね。じゃあ、そろそろ寝なきゃ。お休みなさい」

侑芽はそう言うと立ち上がり、部屋へ向かう。
その後ろ姿をレムは小さく鼻を鳴らして、名残惜しそうに見送った。




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侑芽が目を開けると、見慣れた古民家風の一軒家の前に立っていた。
どうやらここは現実ではない。夢中町に来たようだ。

「お!こっちに来るの久しぶりな気がするな〜。ここに来れたってことは依頼が来るってことだよね。よーし、今回も頑張るぞ!」

侑芽は張り切ってドアノブに手をかける。
先ほど侑芽が言っていた通り、依頼がないとこの世界には来られないのだ。逆に言うと、この世界に来たと言うことは何か事件が起き、依頼が来ることを意味している。
現実の侑芽の頭の中で事件が作り上げられたと言うことだ。

中に入ると、部屋の真ん中にあるソファのいつもの場所に、人間になったレムが座っている。

「あ、侑芽ちゃん。待っていましたよ。どうやら依頼が来るようですね」

レムが振り返って笑いかけてくる。

「おはようレム!そうみたいだね。今回もよろしく!」

レムの隣に座り、何気なく部屋の掛け時計を見て侑芽は驚いた。
時間が朝の6時半なのだ。

「えぇ!何でこんなに朝早いの?」

「今回の依頼人はずいぶん早起きさんのようですねぇ」

「ほんとだね。一体何だろうな〜。暗号?密室?どこかに招待されてクローズドサークルとか!あとは・・・」

あれこれ想像を膨らます侑芽。すると、隣のレムが少し距離を詰めてきた。

「侑芽ちゃん。事件の内容を予想するのも良いですが、僕としては、依頼人が来るまで、さっきの続きをお願いしたいです」

レムがニコニコ笑いながら、首を少し傾げる。これは撫でて欲しい時のレムの癖だ。

「も〜、しょうがないなぁ。レムは本当に甘えたさんだね。よしよし、良い子良い子」

ふわふわのレムの髪を、侑芽は手を伸ばして撫でてあげる。目を閉じているレムの表情は人間になっても犬の時と同じだ。
子犬の時からレムは人に撫でてもらうのが大好きだった。成犬になってもそれは変わらない。
そんな穏やかな時間が流れている時に、不意にインターホンが鳴った。

「あ、レム、きっと依頼人だよ。私出てくるね!」

侑芽はぴょんと立ち上がり、玄関に向かう。レムはその後ろ姿を先ほどと同じように、名残惜しそうに見ていた。
侑芽が玄関を開けると、20代前半くらいの女性が立っていた。

「あ、あの、おはようございます。朝早くにすみません。越智探偵事務所はこちらであっていますでしょうか?」

女性が遠慮がちに話しかける。服装はシンプルなオフホワイトのスラックス、水色のブラウスにネイビーのカーディガンを着ている。

「はい!ご依頼ですね?どうぞこちらへ」

侑芽がドアを大きく開けて、女性を招き入れる。
お邪魔します、と女性が会釈して中に入る。動くたびにセミロングの黒髪がサラサラと揺れている
女性は興味深く事務所内を見ながら歩く。ソファに腰を下ろすと、レムにも挨拶をした。

「どうぞ楽にして下さい。今紅茶淹れますね。レモンかミルクいりますか?」

侑芽がお湯を沸かしながら尋ねる。

「いえ、そんな。どうぞお気遣いなく。越智先生にそんなことして頂くなんて申し訳ないです」

「いやいや、そんなこと気にしないで下さい。お客様なんですから。それに私たちもティータイムまだだったので」

お盆に三人分の飲み物と(レムは例によってホットミルクだ)レモンとミルク、クッキーを乗せてガラスのローテーブルに置いた。

「すみません。ありがとうございます。いただきます」

女性は紅茶を飲むと、緊張が和らいだのか、少し表情を柔らかくした。
その様子を見て、侑芽も口元を緩めた。依頼人は大概緊張して来ることが多いので、まずはリラックスしてもらうことが大事なのだ。(と、推理小説に書いてあった)

「ではまず、あなたのお名前からお聞かせ頂けますか?」

侑芽の言葉に、女性はカップを置いて姿勢を正した。

「はい。私は水民杏奈(みずたみあんな)と言います。幻想(げんそう)大学の4年生です」

「水民さんですね。ところで、今回はどなたのご紹介で来られたんですか?」

侑芽の言葉に、水民は少し目を大きくした。

「あれ、私、紹介で来たって言いましたっけ・・・?」

「いいえ。でも、さっき私に『越智先生』と言いましたよね?まだ自己紹介前で、ここにはうちの助手もいます。なのに私が探偵の越智だと分かったと言うことは、どなたかにここの探偵は女性だと聞いていたのかなと思っただけですよ。
あ、改めて自己紹介しますね。ご存知の通り、私が探偵の越智侑芽で、こちらは助手のレムです」

ニコニコと笑いながら答える侑芽に、水民はさっきより目を丸くしている。

「・・・話で聞いていた通りです。鋭いですね越智先生。お察しの通り、私は姉の紹介で来ました」

「お姉さん?私たちとどこかでお会いしていますでしょうか?」

「はい。私の姉は警察官なんです。以前、宝石がバッグごとひったくられて、犯人が喫茶店に逃げ込んだ事件でお世話になったと」

侑芽の頭に瞬時に記憶が蘇る。あの事件で舟漕警部と一緒に犯人を追いかけていた婦人警官の姿が浮かんだ。

「あぁ!あの時の犯人を追跡したお巡りさんですね!」

水民は嬉しそうに笑う。

「そうです。私、姉と住んでいるんですけど、あれから姉は事あるごとに越智先生のことを話していまして。『事件がスピード解決したのは越智先生のおかげ。杏奈も困った事があれば頼ると良いよ。あの事務所のお二人ならきっと力になってくれるから』と・・・」

それを聞いて、侑芽は顔がニヤけるのを手で覆い隠し、レムの方に向き直る。

「レム、聞いた聞いた?私たちのことをこんなに褒めてくれる人がいるなんて!嬉しいね」

「本当ですねぇ。侑芽ちゃんもすっかり名探偵ですね」

探偵と助手は二人で微笑み合う。
しかしすぐに、侑芽は来客中であることを思い出した。

「あ、失礼しました水民さん。私つい嬉しくてはしゃいじゃって。あと、名字だとお姉さんと一緒になるので、杏奈さんとお呼びしても良いですか?」

「はい。もちろんですよ。友達からも下の名前で呼ばれることが多いですし」

最初に訪ねて来た時よりも、杏奈は心を開いた様子で笑顔を浮かべた。

「では、杏奈さん。お姉さんにそう言われてこちらに来られたと言うことは、何か困り事があるのですね?」

「はい。そうなんです。実は・・・」

杏奈はチラッと視線を足元に落としたが、意を決したように、侑芽に目線を合わせた。

「私の彼氏のアリバイを崩して頂きたいんです」