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 彼女と知り合ったのは大学二年の二月、陽芽と別れた二ヶ月後──本当なら、陽芽と付き合って一年を迎えるはずだった頃。

 ある日突然、父さんに会わせたい人がいると言われた。

 とうとう再婚かと思いきや、連れてきたのは父さんと同年代の男性、そしておれと同年代くらいの女の子だった。

「はじめまして」

 タイプではなかったが、かなりの美人だった。

 男性は父さんの中学時代からの友人で、同時に仕事上の付き合いもあるためよく飲んでいるそうだった。そして先日、おれが失恋したらしいとかなんとか個人情報を漏らし、すると友人は「うちの娘はどうだ」と言ったらしい。

 人の失恋を酒の肴にした挙げ句、おれに断りもなく勝手に縁談まがいのことを進めていたのだ。ふざけている。

 とはいえ二十歳にもなって人前でふてくされるわけにもいかないので、苛立ちを堪えながらその日は何時間か談笑して終わり、彼女と連絡先を交換した。後日、彼女に誘われて二人で会う約束をした。

 彼女が予約した店は、大学生のおれたちには少し敷居が高いバーだったが、気後れしているおれとは裏腹に彼女はなんの違和感もなく場に馴染んでいた。

 付き合うつもりはなかったが、気を紛らわせるならなんでもよかった。それから一ヶ月の間に何度か会い、彼女がおれの部屋を見てみたいと言ったので了承した。

 部屋を見渡した彼女は、なんの迷いもなくベッドに座った。外見は清楚系だが、それなりに遊んでいることは明白だった。遊んでいる子はなんとなくわかる。男だってそこまで馬鹿じゃない。

 部屋に来たいと言われた時点で予想はついていたので、彼女に手招きをされて素直に隣に座った。

「ねえ、慎ちゃんって呼んでもいい?」

 絶対に呼ばれたくないあだ名だった。

「だめ」
「えー、なんで?」
「なんでも。絶対やめて」

 納得がいかなそうに唇を尖らせて、おれの腕に手を添えた。

「ねえ、あたしたち婚約させられるみたいだよ」

「酔っ払いの戯言だろ。昭和のドラマじゃあるまいし」

「あたしはいいよ? 慎ちゃんとなら」

 おれの腕に体を寄せて、挑発するように見上げる。

「──慎ちゃんって呼ぶなって、言ってるだろ」

 抑えきれない衝動を、欲望を、後悔を、目の前にいる女に全て吐き出した。

 その日から付き合い始め、父さんたちは婚約しろだの卒業したら結婚しろだのと年甲斐もなく大喜びしていた。

 何もかもがどうでもよくなったおれは、そうだな、と張り付いた笑みを浮かべた。だけど大学を卒業した今も結婚はしていない。なんだかんだ理由をつけて先延ばしにしている。

 感情の行き場を見つけられずにいたおれは、彼女に逃げたのだ。

 そして今も、逃げ続けている。