呆気に取られていた二人の顔が、徐々に青くなっていく。友達は慌てて立ち上がり、あたしお邪魔だね、じゃあまた、と早口で言って部屋を出た。

 美莉愛は座ったままおれを見上げていた。おれはその場から一歩も動かずに美莉愛を見下ろす。

「妊娠、嘘だったんだな」

 美莉愛は顔を真っ赤に染めておれから目を逸らした。

 やがて言い訳は通用しないと察したのか、再び顔を上げておれを睨みつけた。

「慎が悪いんじゃん!」

「は?」

「大学卒業したのにいつまで経っても結婚してくれないじゃん! 仕事がどうとか言い訳ばっかりするけど、あたしが気付いてないとでも思った? 慎、あたし以外に女いるよね」

 ふざけるな。おまえだって他に男がいただろ。それに、実家が金持ちで将来性がある男なら誰でもよかったんだろ。

 喉までせり上がってきた反論を口に出すことはしなかった。

 おれが美莉愛と付き合っていた理由は、美莉愛がおれと付き合っていた理由以下だったからだ。

 父さんがどうのなんか、全部言い訳だった。
 本当は、父さんのことなんかどうでもよかった。

 いくら取引があるとはいえ、美莉愛と別れて父親同士の仲に亀裂が入ったとしても、おそらく父さんの会社にそこまで影響はない。多少は困るだろうが、大事にはならないとわかっていた。

 そもそも根源は父さんなのだ。何も知らないからといって、過去に犯した罪を帳消しにできるわけではない。友人と取引先を失ったとしても、代償にしては軽すぎるくらいだ。

 美莉愛と別れなかった理由は、たった一つだけだった。

 おれはただ、婚約者というブレーキがなければ、陽芽への気持ちを抑えきれる自信がなかっただけだ。

「ねえ、今までのことはいいよ。これからお互いちゃんとしよう?」

 立ち上がった美莉愛は、立ち尽くしているおれの腕に手を絡める。

 このまま美莉愛を抱いて、またずるずると関係を続ける。それが、三年間繰り返してきたパターンだ。また同じことをすれば、何も失わず誰にも迷惑をかけず、一見円満に過ごせる。

 だけど、

「……ごめん。無理だ」

 美莉愛を抱いているとき、おれが思い浮かべていたのは。

 本当に呼びたかった名前は。

「別れよう。──どうしても、好きな子がいる」

 ずっと、たった一人だけだった。

 この三年間、おれの中にはずっと陽芽がいた。──陽芽しか、いなかった。

 誰を傷つけても、全てを失ってもいい。
 父さん、ごめん。

 おれは、どうしても、陽芽と共に生きていきたい。