四月のきみが笑うから。


「諦めろってことですか。自分には何もできないんだって」


 期待をしないということはそういうことだろう。

 両親に見放されてしまった今、いちばん近くにいる自分という存在すら、己を見捨ててしまってはだめなのではないか。せめて自分一人だけでも期待していないと、期待に応えることすらできなくなってしまう。

 何のために生きているのか分からなくなってしまう。


 わたしの言葉に先輩は目を伏せ、それから静かに呟いた。


「俺は自分に期待してない。ただ、信じてはいる」


 それは凪のごとく静かで、穏やかで、言葉をそっと手渡すような口調だった。

 じっと見つめると、パチリと開いた瞳が流れ、海の色がわたしを捉える。


「人を信じるって、期待するよりはるかに難しいことだろ。幻想を抱いて期待するのは誰だってできるけど、自分を委ねられるほど信じるってなかなかできない。だからせめて、俺だけは俺を信じてやるって決めたんだ」


 期待することと信じること。

 似ているようで、全然違う。


「無条件に信じるって、確証を求める人間にとってすげえ難しいことなんだよ。だから、なんの心配もなく自分を委ねられる存在なんて、一生のうちに数人出会えるか出会えないかなんだ」


 裏切る、という言葉があるけれど、それは相手と自分を信じていないと成り立たない。

 大人になる過程で何度もそれを経験して、重ねていくうちに誰も信じられなくなる。


 わたしだって同じようなものだ。
 見放されて失うのが怖いから、初めから近づくことをやめてしまう。

 裏切られるのが怖いから、人を信じることができなくなった。