ダンス部の朝練を終えたあたしは汗だくになって教室へ入った。窓を閉め切った室内は蒸し暑い。あたしはエアコンのスイッチを入れようと壁のリモコンに近付いた。リモコンを壁のホルターから外す。その表示を見て、あたしの頭は沸騰した。暖房になっている。しかも設定は三十度だ。
「なにこれ、どこのバカが入力したのよ! 真夏に暖房なんて頭おかしくなりそう!」
 朝の七時なのに三十度を超える炎天下の中で練習してきたせいで熱中症になりそうだったあたしは、熱と怒りで震える手でリモコンの設定を変え始めた。そのときだった。
「悪いけど、しばらく、その設定で頼む」
 振り返ると学校一のワルと噂のワイ君が立っていた。その顔は、あたし以上に汗だくだった。それもそのはず、全身をサウナスーツに包んでいる。気は確かか! とあたしは思った。
「なんなの、その格好」
 見ているだけで暑苦しい姿のワイ君がひび割れた声で答えた。
「減量がうまくいかなくて」
 ワイ君はキックボクシングのプロ選手だ。家計を支えるため勝負の世界に身を投じ大金を稼いでいるとの噂だった。キックの鬼の再来と呼ばれる有望株らしい。でも、楽な戦いではないようだ。試合のたびに減量をしている。それが大変らしい。身長が大きくなっているから、同じ階級に留まろうとすると、それだけ過酷な減量をしなければならない……みたいな話を誰かが言っているのを聞いたことがあるけど、そんなのあたしの知ったこっちゃない。
 リモコンのボタンをピッピと押し始めたあたしに、ワイ君が食って掛かる。
「止めてくれ、今度の試合に、俺は人生を賭けているんだ。あと少し、もう少し減量すれば……頼む、お願いだ」
「うるさい!」
 哀願するワイ君を無視して、あたしはリモコンを操作した。すると、相手はあたしからリモコンを取り上げ、壁掛けホルターに戻した。
「他の人が来るまで、この温度で頼む」
「あたしは暑いの!」
 あたしは壁のリモコンに取り付いた。操作するあたしをワイ君が邪魔する。
「この野郎、退け!」
 腹の底から怒鳴って手を振り回したら、拳がワイ君の側頭部にぶつかった。ゴン! と凄い音がしてビビった。
「痛い!」
 手の甲を抑えるあたしの目の前で、ワイ君がヘナヘナと崩れ落ちた。素人のあたしにノックアウトされたのだ。これが学校一のワル? 若手の有望株? と嘆かわしく思ったけど、それはこの際どうでもいい。
 冷房を最強で稼働させたわたしは、必要以上に甲高い声で「ワイ君、大丈夫? しっかりして!」と言いながら、わざとらしく介抱を始めた。