「おはよっ」
「おはようございます、今日もお綺麗で」
「またぁ、そーゆーこと言う!」
「いやだって思ったこと言わないと」


 いつも通りの会社。
 都会の喧騒を抜け、ビルの中へと入るなりどんな縁かと思う程のタイミングで千房と鉢合わせた。
 エレベーターのボタンを押しながら、どうぞとレディーファーストの意を込めた目配せをする。

 エレベーターが今どこにいるかを表すオレンジ色の液晶はまるでマイペースなカウントダウンに思えた。
 1階のエントランスには千房と健翔の二人だけだ。今なら二人で密室の空間に入る事が叶う。
 そんな期待に胸を膨らませてしまう自分の内心を読まれまいと、昨夜の事など夢だったかのようにいつも通り振る舞うが、千房の照れた表情やもどかし気な態度を見るにどうやら考えている事は同じなのではないかとまた要らぬ期待をしてしまう。

 漸くエレベーターが1階のエントランスに降り、満を持してその扉を開けた。
 扉が開くなり、大袈裟な態度でお先にどうぞと千房を密室に促してから自分もその箱へと身を投じる。

 あくまで冷静に、焦らず、そして誰も来ない事を祈りながら閉のボタンを押し、自分の向かう事務所がある11Fと親会社の事務所である12Fのボタンを押した。
 ゆっくりと閉まるエレベーターの扉、それが完全に閉じて僅かな振動を開始した所で二人はどうやら同じ思い抱いていた事を理解した。


 互いに視線は階数表示のモニターへやりながら、そっとその手に触れ合う。
 千房の指先に自分の指先を当てながら、ゆっくりと、優しく絡めていく。身体を重ねられない、おあずけされた全身の欲望を全てその指だけで感じ合うような。

 ふと横で我慢出来なくなった千房が悶えるような表情で健翔を見た。

「んん、もぉ、、ねぇっ」
「ふふ。僕も我慢できません」

 それが自然であるかのように、健翔と千房はゆったりとしたその空間の中で互いの咥内を貪り合う。
 僅かな時間、その間に全ての欲望を相手から搾り取るように舌を吸った。

 熱くなる下半身を千房の身体に押し付けながら、細く引き締まった腰を自分へと抱き寄せる。

「んんっ、ぁん」

 はぁはぁと荒くなった千房の息遣いを抑え込むように健翔は更に激しくキスをした。
 理性と欲望の間で、階数表示のモニターにも視線を配る。

 朝一番、1階から登るエレベーターに途中から乗客が来ることはない。
 このビルのエレベーターは古く、11階到着までに数分を要する老体だ。普段はその遅さに何度苛立ちを重ねたかは分からないが、今となれば感謝してもしきれない貢献を二人の愛の時間として与えてくれていた。

 思考が欲望の為だけにフル回転してしまう。
 このビルの何階だったら人気が無いだろうか、あそこのトイレなら人は使わないか、今の時間なら倉庫もいいか、でも鍵を借りにあそこを通って、、、と、エレベーターの数分だけでは到底満足できない身体が、その欲望を満たし、組み込まれた遺伝子に則ってどうにか子作りをさせようと脳が普段の三倍速で動いているような気がした。


 それでもその欲求に従うことなく、すべてをぎゅっと身体の芯に押し込める。
 エレベーターがあっという間に二人の時間を終わらせようと動く。既に10階に到達しているその古箱は今日に限って良く働いてくれていた。

 そろそろ近いですと、健翔は残る理性を振り絞り千房の唇からゆっくりと距離を取る。
 互いの口から細く伸びる銀の糸がまた一層欲情を駆り立てた。

 手を回せばすぐに抱き込める細い腰をぎゅっと引き寄せ、熱く硬くなった下半身を最後の挨拶代わりと言わんばかりに千房へと押し付ける。
 ん、と短い千房の声を耳に入れて健翔は名残惜しみながら開く扉から11階の事務所へと向かった。

 何事もなかったように、そしてそれでいいんだよねと、そんなアイコンタクトを交わしながら目礼をして千房に背を向ける。
 ふと、欲情が落ち着いてから自分の下半身が冷たく濡れている事に気づき、どれだけ興奮していたのかを再認識してしまう。


 今日も仕事だ。
 それでもいつもとは違う。
 自分はあんな美女を愛人に持つような男にまでなったのだと、そんな不可思議な自信が健翔の胸を躍らせていた。


 仕事を着々とこなし、いつもなら取らない客先からの電話に嬉嬉として対応出来てしまう。
 これが恋の醍醐味だろうか、いくつになっても人を好きになるという事は何かしらのプラスエネルギーを与えてくれるものだ。

 自分のその気持ちが浮気なのだと言う事に後ろめたさを感じながらも、今この時のやる気だけは千房でしか得られないのもまた事実だった。


 昼になると千房からLINEが届く。
 その文面にはどこかまだ朝の余韻が残っていた。

 好き、健翔君、次はエッチしよう等、普段ならありえない、聞くことの出来ないであろう千房からの言葉の応酬に健翔の理性はまたも崩壊しそうであった。
 昼に社内でまた下半身を熱く滾らせてしまう。
 それでもまだ、千房と一線を越えるべきではないような、そんな最後の砦となる健翔の理性が二人の関係にブレーキをかけていた。