千房との関係は早かった。
 LINEを交換してからというもの、毎朝毎晩お互いの近況を報告し合った。
 今はこんな仕事をしているとか、休みには何をしているとか、同じビルにいても部署が違えば全くと言っていいほど関わりは少ない。
 名前上会社が違うのなら尚更だ。

 他愛もない会話から少しずつ互いを褒め合うようなメッセージのやり取り、あっという間にお茶でも行きましょうと言う話になったのはLINEを交換してすぐの事だ。


「記念にハグしといてもいいですか?」
「ふふ、いーよぉ?」

 カフェで軽く珈琲を飲みながら、互いの生い立ちや、くだらない社内の愚痴を交えながらどこまでOKなのか、自分はアリかナシか、そんな見えない牽制を繰り返し帰り際に千房の車内で見つめ合う。

 千房の年齢の割に細く手入れの届いた身体は、健翔の腕にすっぽりと包まれ、その柔らかさに健翔は自分の下半身が一瞬で熱く硬くなって行くのを感じた。

「ん、、、んん」

 千房を一頻り抱きしめた後、再び見つめ合い、自然とその唇を奪う。
 するりと舌を入れ込むと千房も慣れたように健翔の舌に応えた。

 健翔は我慢出来ずに空いた左手で千房の太腿を撫であげながら、小ぶりな胸を下からゆっくりと揉みあげる。

「はぁっ、ん、んんっ」


 感度の高い千房の喘ぎ声に、健翔は興奮と罪悪感から頭の中が真っ白になっていくのを感じる。
 それでも身体は千房の声に反応し熱く滾る。
 滑らかな太腿の肌を撫で、揉み、段々と近付く女の秘境。千房のそこは布越しでもはっきりと分かるほど熱く、簡単に健翔の指を迎え入れてくれた。



──あぁ、もう我慢できない!ホテル行きたい!


 ぎゅっと閉じた脚に両手を添えながら悶える千房は、それでも健翔が妻帯者であり、時間もあまり無いという事を理解して続きを次回に繰り越す事で自分を納得させていた。


 千房の車内で別れのキスを何度か繰り返しながら、惜しみつつもまた次回の約束をする。
 外は完全に日が落ち、国道を行き交う車のヘッドライトが健翔を家路に急がせた。

 未だ現実味がない。
 真っ白になった思考を必死で呼び戻しながら、健翔は本能的に身体についた千房の重く甘い香水の匂いを消そうと車の消臭剤を無我夢中で振りかけていた。
 ふと肩にラメが光るのを見つけ、これが全身についてしまっているのではと言う焦りに血の気が引く。

 この時ほど女性のラメ入りコスメを恨んだ事はないだろう。
 車内に常備しているウェットティッシュで必死に服についたラメを拭い、車を走らせながら片手で必死に証拠の末梢に努めた。


 時計の針は既に22時を回っている。
 仕事が終わり、珈琲店に入ったのが19時前だったか。
 それから店内で他愛もない話をして、どれだけ車内で互いの咥内を貪り合っていたのか。
 時間が途中でトリップでもしてしまったのではないかと思えるほど一瞬であった。

 はっきりとしてきた意識の中、あと数分で家につくまでの間で遅くなった言い訳を考える。
 既にLINEには妻からのまだ仕事は終わらないのか、遅すぎるなどの連投が待ち受けていた。


──ごめん、今やっと終わって帰ってる!


 先程まで何の恩もない女に溢れんばかりの愛を与え合っていたにも関わらず、素っ気ない一言を妻に返している自分に一抹の申し訳無さを感じるが、あまりにご丁寧な文面も逆に怪しいか。
 そんな頼りない偽装工作を一人繰り広げながら、健翔は罪悪感と非現実感の間で家の扉を開ける。

 4歳になる子供は既に暗くなった部屋で一人寝息を立て、妻もいつも通りの表情で今日一日にあったなんの事はない出来事を話したがっていた。
 自分では平静を装い、いつも通りの対応が出来たはずだ。そう思いながら遅めのシャワーを身体に浴びせる。


 シャワーの温かいお湯が全身のラメや疑わしい証拠を流してくれるようで、健翔は漸く安心感を得た気がした。

 なんの疑いもなく、遅くまで仕事を頑張ってきた夫に労いの言葉をかける妻。
 そんな罪悪感よりも、安心感に満たされた脳裏では既に先程千房と絡ませた舌が、千房の細く柔らかい太腿の感触が蘇る。否、蘇らせて何度も反芻したくなる自分がいた。


 だがそれでも、寝室でいつも通り我が子の元に歩み寄り、いつも通りのキスをおでこにしようとして思ってしまった。
 娘にとっては誰とも知らない女と交わした唇。

 そんなもので愛を示しても、それはただ汚らわしい以外の何ものでもないのではないかと。
 そう思うと、自分はもう二度と我が子へ触れてはいけない人間なのではないか、そんな悲しみと汚いその手に、健翔はなんとも言えない虚しさを抱いた。


 ただ今は、それでも尚。
 脳裏に浮かぶ千房の身体の感触を思い出し、布団の中で情けなくも一人果てていた。