○図書館

 昨夜は勇人くんからのメッセージに興奮が収まらず、なかなか眠ることができなかった。 
 おかげで、今日は寝不足。運がいいことに今日は、学校創立記念日で休みなのが幸い。
 家にいても暇で仕方がないので、小さい頃からよく通っていた図書館に今は足を運んでいる。

沙羅「涼しい〜」

 図書館は昔から好きな場所のひとつ。静かな上に荘厳的な空気感に包まれている。本好きにはたまらない、あの本に囲まれている感じが気持ちを落ち着かせてくれるのだ。 
 平日ということもあり、比較的館内の人の数はまばら。周囲に人がいない位置を先に荷物を置いて陣取っておく。
 事前に読みたい本を決めていたので、あとは探すだけ。

沙羅(検索機でおおよその場所は把握できたから、あとは・・・)
 
 検索機に示されていた目的の本の在処へ向かう。

沙羅「あ、あった・・・けど、高い・・・」

 明らかに私の身長では届かない位置に置かれている本。ちなみにこの本は、映画化にもなった恋愛小説。
 つま先立ちをしてなんとか取ろうと試みるも、あっけなく敗退してしまう。

???「あの本取りたいの?」
沙羅「あ、はい」
???「じゃあ、僕が取ってあげるよ」
沙羅「あ、ありがとうございます」

 身長が高すぎるあまり、顔を見ることができない。私が見た感じ、この人の身長は180センチはありそう。
 私の身長が152センチだから、約30センチ差。

???「はい、どうぞ」
勇人「おーい、稜駿。何してるの?」
沙羅「え、勇人くん!」
勇人「あ、如月さん」
 
沙羅(ん? 今、勇人くんなんて言った?稜駿って聞こえた気がしたが気のせいだろうか)

稜駿「勇人、この子と知り合いなの?」
勇人「うん。高校で隣の席なんだ」
稜駿「お、そうなんだ。突然ごめんね。名前聞いてもいいかな?」

沙羅(ま、間違いない。こ、この人はカララブのリーダーで私の推しの、さ、早乙女稜駿だ!!!)

 衝撃的すぎる展開に口をぱくぱくさせるだけで、言葉を発することができない私。
 その様子はまるで、水面下で餌を待っている金魚のよう。
 目の前に推しがいるなんていう神展開を誰が、予測できただろうか。
 緊張しているせいか、身体中が硬直しているのが感じ取れる。

沙羅「あ、あの、その。き、如月沙羅って言います」
稜駿「驚かせてごめんね。僕はカララブっていうグループでリーダーをしている早乙女稜駿って言います。よろしくね、沙羅ちゃん」
 
沙羅(うわー!!! 推しに名前を呼んでもらえた!!)

 嬉しさで心の声が漏れてしまいそうだ。まさか、推しとこんな場所で会えるとは思ってもいなかった。
 
沙羅「あ、し、知ってます! 私、大ファンなんです! あ、握手してもらってもいいですか?」
稜駿「そうだったんだ。ありがとね! 全然いいよ、でも・・・」

 彼は薄い唇に人差し指を当てる。すっかり推しに出会えた興奮で忘れていたが、ここは図書館だった。
 両手の手のひらを合わせてごめんなさいとジェスチャーをする。
 握手してもらうと同時に読みたかった小説も一緒に手渡してもらった。

沙羅(もう、この手は洗うことができない)

勇人「あのさ、如月さんって稜駿のファンだったの?」
沙羅「う、うん。黙っててごめんなさい」
勇人「別にいいけどさ」
稜駿「あれあれ〜? 勇人くん、嫉妬ですか〜?」
勇人「はぁ!? そんなんじゃねぇよ!」
稜駿「勇人は焦ると口が悪くなるから、これは図星かな?」
勇人「適当なこと言うな!」

 2人のやりとりを間近で見ることができている私は幸せ者なのかもしれない。
 言い合いをしている姿ですら、ファンの私からすると愛おしい。
 きっとファンならどんな姿でも、美化されて目に映ってしまうに違いない。
 もう心そのものが、惹かれているのだ。

稜駿「ほら、沙羅ちゃんが困ってるから帰るよ、勇人」
勇人「あぁ、わかったよ。ったくこうなるなら、1人で来ればよかったわ」
稜駿「なんか言ったか〜い?」
勇人「なんも言ってない」
稜駿「じゃ、僕は先に外に出てるから。沙羅ちゃん、またね!」
沙羅「あ、はい。ありがとうございました!」

 画面越しにいつも見ている笑顔で手を振りながら、去っていく推しの彼。
 今日のことだけで、数日間は頑張っていけそうだ。
 なぜか、図書館の隅っこの方で取り残されてしまう私と勇人くん。

勇人「如月さん・・・そのまた明日ね」
沙羅「はい、また明日です」
勇人「何その敬語。変なの」

 楽しそうに笑う彼とまだ取れない緊張で固まっている私。クラスメイトになったからといって、簡単に緊張が取れる訳もない。
 それでも、彼の笑顔を見ると自然と私の緊張も和らいでいく気がする。
 笑い終えたらしい様子の彼が、グッと私との距離を詰めてくる。 
 私の耳元に吸い寄せられるように近づく彼の唇。

勇人「ねぇ。連絡先交換したことは誰にも話しちゃダメだからね。俺と、さ・・・沙羅だけの秘密だからね」
沙羅「は、はぁぃ」

 ドキドキしすぎてまともに返事を返すことができない私。
 今の言葉で私の心拍数が一気に上がったことだけは、間違いなくわかった。
 耳に彼の吐息が当たり、声量を落とした彼の声が、静まり返った館内のどんな些細な音さえも遮って聞こえた。
 代わりに私の心臓の音だけは、うるさいくらいに私の体を通して耳にまで伝わってくる。

沙羅(わ、や、やばいよ〜。お願いだから勇人くんには心臓の音が聞こえませんように!)

勇人「それじゃ、また明日ね。沙羅」
沙羅「は、はいぃぃ!」

 彼の姿が見えなくなるまで、その背中を目で追い続ける私。
 次第に見えなくなっていく彼の姿を確認し、私はその場でしゃがみ込む。

沙羅「しれっと勇人くんにまで名前で呼ばれた・・・もう心臓がうるさいよ」

 その場から立ち上がるのに、私は5分以上かかってしまった。