○1年3組の教室

 平凡なありふれた日常の中の1日が、始まろうとしていた。

美玖「ねぇねぇ!昨日の勇人(はやと)くん見た?」
春香「見た見た!カッコよすぎって感じ。あんな人が同じ地球上に住んでいるなんて考えられないよ」

 クラス中は、昨日の音楽番組の話題で持ちきりになっている。
 今、話題沸騰中の十代から圧倒的な支持を持つアイドルグループ・カララブ。
 五人グループの彼らの中でも一際、人気がある花見勇人(はなみはやと)が、昨日のテレビでかっこいいパフォーマンスをしていたのにみんな興奮しているのだ。

先生「ほら、予鈴なったぞ〜。席につけよ」

 先生の一声に、集まっていた群れは一気に散り始め、各々の席へと着く。
 先ほどまで意気揚々と話していた女子たちも、これでようやく大人しくなるだろう。
 少しだけ、羨ましいと思ってしまう自分がいる。友達と好きなことを話すことができたら、どれだけ楽しいのだろうと。

先生「・・・ぎ。・・・らぎ。如月沙羅(きさらぎさら)!」
沙羅「は、はいっ!」
先生「ぼーっとしてるなよ。今日の日直は、如月だからな」
沙羅「・・・はい」

 自分の席から立ち上がり、日直が使うノートを先生のいる教卓前に取りにいく。
 その道中、私のことを見ながらコソコソと囁く声が聞こえてくる。
 どれもが、嫌味を含んだ気分の悪くなるようなものばかり。
 特に先ほど、教室で騒いでいた葉隠美玖(はがくれみく)金野春香(こんのはるか)は、このクラスのカースト上位勢。
 彼女らに楯突くと、何もいいことがないのは重々皆が周知している。

先生「じゃあ、今日1日よろしくな」
沙羅「・・・はい」
美玖「返事したの〜?聞こえな〜い」
春香「てか、日直できるのかね」

 品のない笑い声が、その二人の間からどっと湧き上がる。先生もこの二人には手を焼いているようで、目を逸らして知らないふりをしている。
 いじめかと言われたら、微妙なラインだが確実に馬鹿にされてはいる。
 これといった原因はない。ただ単に私の見た目が暗いのが理由だろう。
 私は、人と話すのが怖くて目を前髪で隠してしまったり、眼鏡をつけて極力人との接触を避けている。
 
沙羅(うるさいな、ほっといてよ)

 心の中では、なんとでも言えるが、現実で言うことができないのが悔しい。言えたらスッキリするだろうが、間違いなく今よりも状況がひどくなるのは明らか。
 自分の席まで歩いていき、机に頭を突っ伏せる。
 
沙羅(あぁ、早く今日も1日終わってくれないかな)

 そう思うも、まだ太陽は地上に昇ったばかりだった。

○自宅
 
沙羅「ただいま〜って誰もいないか」

 私の家は両親ともに共働きで、帰ってくるのは早くても19時頃。基本的に私が学校から帰ってくる時に、誰かが家にいることなど滅多にない。
 別に親に愛されていないわけではない。単純に仕事が忙しくて、時間が合わないだけだ。
 一人で食べるご飯は寂しいが、学校でも一人なので慣れてはいる。

沙羅「あ〜あ。毎日退屈だけど、これだけは唯一の楽しみなんだよな〜」

 携帯から軽快なメロディーが流れ出す。今日は週に1回カララブがYouTubeでライブをする日なのだ。
 この日のために毎週学校を頑張っていると言っても過言ではない。
 ちなみに私の推しは五人の中でも...

沙羅「きゃぁぁぁ〜! 早乙女くんかっこいい!なんでこんなに目が綺麗なの」

 このグループのみんな大好きだけれど、その中でも19歳で最年長の早乙女稜駿(さおとめりょうま)くん推し。
 私がまだ、16歳だからだろうか、19歳の彼がものすごく大人の男性に見えてしまうのだ。
 最年長は19歳だが、最年少は私たちと同い年の16歳。正確にはまだ誕生日が来ていないから15歳。
 その最年少が、今朝学校でカースト上位の2人が口にしていた花見勇人なのだ。
 私たちと同い年で、既に表舞台で活躍をしているなんて凄すぎる。

沙羅「あ〜、もう毎日でも見ていたいよ」

 ライブ時間が残り5分を切り、もうすぐで終わりを迎える。

稜駿『みんな最後までライブを見てくれてありがとう!えー、この場である報告をさせていただきます』
沙羅「え、なんだろう。もしかして武道館で念願のライブとか!?」

 私と同様に、YouTubeのチャット欄は見えない他人の予測コメントで覆い尽くされていく。
 大半の人が、『武道館ライブ!』と書き込みをしている辺り、本当に待ち望んでいるのだなと実感する。
 もし、それが実現したらなんとしてでもライブのチケットを引き当てたいところ。
 しかし、現実は大きく異なった。視聴者の多くの予想を遥かに裏切る形として...

稜駿『僕たちカララブは無期限の活動休止とさせていただきます。これまで僕らを支えてきてくださった皆さんと、こんな形で活動を休止することをお伝えするのは辛いですが、僕たちで話し合った結果、このような形となりました』
勇人『理由をお話しすることはできませんが、僕たちは必ずまた戻ってきます。だから、どうか僕たちの帰りを待って頂けると嬉しいです』

沙羅「嘘でしょ・・・活動休止?」
 
 当然のようにコメント欄は大荒れしており、そのままライブは配信終了となってしまった。
 snsのトレンドでも『カララブ活動休止』の文字が大々的に書かれており、ありもしないような憶測がネット上では飛び交っていた。
 その書き込みはひどいものだった。『犯罪行為をしたんだよ』『こいつら正確悪いらしいね』『調子乗ってたから、嬉しいわwww』と誹謗中傷の嵐だった。

沙羅「なんなのこれ。気分が悪くなるような書き込みばかり。それに根拠のない話しかないじゃん」
 
 こうなることはわかってはいたが、根も葉もない噂が飛び交っているのはどうも気分が悪い。
 ただのいちファンが、言葉に出して書き込んだところで無意味なのはわかっている。それが何よりも私は悔しい。
 あっという間に彼らの活動休止のトレンドは一位になり、snsだけではなくメディアにも取り上げられるほどの大騒ぎとなった。
 当然、カララブのメンバーたちはこのことについては、メディアでもsnsでも反応を示さず、活動休止の理由は闇の中へと葬られてしまった。
 唯一の楽しみを失った私の心には、大きな穴が空いたような虚無感だけが募っていくばかりだった。

○1年3組の教室

美玖「ねぇ〜。もうマジで最悪なんだけど・・・カララブ活動休止とかあり得ないわ〜」
春香「いや、ほんとそれな。活動休止したら、もうおしまいだよね〜」
美玖「間違いないわ。帰ってきたってファンは待ってるわけないだろっての」
春香「調子乗りすぎでしょ。ちょっとかっこいいからってさ」

 朝からカースト上位の2人を囲むように、金魚のフンに酷似した人たちが群がっている光景を目にする。
 昨日までは散々、ベタ褒めしていたくせに活動休止を発表した途端に、この態度とは...どこまで性格が腐っているのだろうか。
 薄っぺらい言葉を並べている彼女らのどこに、魅力を感じるのだろうか。
 きっと私には、一生分かり合えないものなのかもしれない。

沙羅(はぁ、これから私は何を楽しみに生きていけばいいのだろう)

先生「おーい、みんな座れよ。今日はこのクラスに転校生が新しく加わるぞ」
美玖「え、マジで?かっこいいのかな」
春香「早く教室に入れてくださーい」
先生「わかったけど、お前らあまり騒ぐんじゃないぞ。よし、入ってきていいぞ」

 教室の前方に立て付けられた扉が、ゆっくりと開いていく。
 すらりとした体に、遠くからわかるほど整った容姿。それに、私は彼のことを何度これまで目にしてきたかわからないくらい、私の脳裏には彼の顔が染み付くように記憶されている。
 画面越しだったとはいえ、何度も何度も眺めてきた彼。

美玖「え、ちょ。ちょっと、本物!?え、理解できないんだけど。え、花見勇人じゃん」
春香「え、なんでこんなところにいるの! やばぁ、めっちゃかっこいいじゃん!」

 さっきまでの悪口が嘘かのように、綺麗なまである手のひら返しにドン引きしてしまう。
 手のひらを返すのも無理はないのだが...だって、今教卓の後ろに立っている人物は、昨日活動休止を発表したメンバーの1人がいるのだから。

勇人「えー、俺のことを知っている方も多いとは思うけれど、これから3年間よろしくね。できれば、普通の友達として接して欲しいな」
美玖「はぁーい! 私、友達になるよ〜!!!」
春香「私たちがこの学校のこと教えてあげるよ!!!」

沙羅(あ〜、気持ちが悪い。なんでこんなに不愉快なんだろう)

 この2人が同じクラスにいなかったら、私もきっと彼女らのようなテンションで彼を迎え入れていただろう。
 それなのに、この2人のせいでドキドキ感よりも、幻滅して気持ちが萎える方が私の中では大きかった。

勇人「いらない。必要ない」
美玖「えー、なんでよ〜。勇人くんって意外とシャイなんだね」
勇人「うるさい。耳障りすぎるし、不愉快すぎる」
美玖「え?私のこと・・・」
春香「ちょっと、さすがに人気者だからって言い過ぎじゃない?」
勇人「誰あんた。話しかけてくんなよ。てか、俺の視界に映ってくんな」

 静まり返る教室。画面の中で見ていた彼とは、明らかに違いすぎる反応にきっと私以外のみんなも頭がついていけなかったのだろう。 
 画面の中にいた彼は、笑顔がとびっきり似合う青年だった。明るい金髪に近い茶髪にくっきり二重、薄い唇とみんなに好かれるイケメンであったはずなのに。 
 今、ここにいる彼はそんな優しさを含んだ笑みは一切ない。むしろ、彼女らに敵意を剥き出している。
 もちろんクラスメイトたちは皆、口を開けたままポカンっとしている様子。

先生「ま、と、とりあえず、花見くんの席は後ろのあの席ね」
勇人「あ、はい。わかりました」

 先生が指差した場所は私の隣。ずっと私の隣は不在だった。
このクラスの人数が奇数の関係で、それは仕方がないことだけれど、まさかそれが今になって...
 正直、こんな有名人が私の隣の席になるなんて思ってもいなかったので、心臓が先ほどからバクバクしている。
 こちらへと机を抱えて向かってくる彼。徐々に近づいてくるにつれ、画面越しで見ていた彼が現実にいるのだと実感する。
 机を私の隣に並べ、座る彼。

沙羅「あ、あのよろしくお願いします」
勇人「・・・・・」
 
 挨拶をしたのにもかかわらず、一切こちらを見ようともしない彼。 
 わかってはいたが、いざ目の前で無視をされると結構堪えるものだ。

沙羅(やっぱりそうか・・・私なんかに返事を返してくれるはずがないよな)

 落胆の色を隠せない私の隣では、もう授業に取り掛かろうとしているのか、懸命にペンを動かしている。
 あまり見るのも失礼だと思い、目を窓の外へと移す。
 今日は、生憎の雨模様。昨日までの晴れが嘘だったかのように、空には分厚い雲が覆われ、私の目に映る世界は灰色に見えた。
 
 ”パサッ"と机から音がしたので、机に目を向けると、机の上には一枚の紙。
 一体どこから投げられた紙だろうか。嫌がらせかと思ったが、それにしては紙が綺麗に半分に折られているではないか。
 慎重に二つ折りにされた紙を開いていく。

手紙『ごめん。無視したわけじゃないんだ。声に出したら、君に迷惑がかかると思って手紙にしてみたよ。お隣さんとして、これからよろしくね』

 声に出して喜びたかったが、それでは彼が手紙に書いてくれた意味がないので、グッと叫びたい気持ちを堪える。
 叫べない代わりに、私は机の下でガッツポーズをした。