新そよ風に乗って ⑥ 〜憧憬〜

「お母さんとお姉ちゃん、遅いね。お父さん。ちょっと、外の様子見てくるね」
病室から出るつもりはなかったが、ドアを静かに横に引いて少しだけ開けて外の様子を見た。
すると、深夜ということもあって間引きされた廊下の照明の下、誰かが病室と反対側の壁際に立って居るのが見えて、溜まった涙を拭いながら目を凝らしてみると、高橋さんが立って居た。
高橋さん…。。
ずっと、待っていてくれたんだ。
気が動転していて、すっかり忘れてしまっていた。
私に気づいた高橋さんが、近づいてきた。
「ご挨拶させて頂いてもいいか?」
「それが、その……あの、すみません。母も姉も今ちょっと居なくて」
「そうじゃない。親父さんに」
「えっ? あっ、はい。ありがとうございます。どうぞ……すみません」
混乱していて、何を言っているのか支離滅裂だった。
病室に入った高橋さんは、私の隣に立って父にお辞儀をすると、何も言わずに私の肩を左手で掴んだ。
「お父さん。会社の上司の高橋さんだよ」
「……」
「高橋さん。私の父……です」
私の肩を掴んでいた高橋さんが、左手に尚一層力を入れた。
「そうだ。お父さん……。今度私が実家に帰ったら、一緒にケーキを食べに行こうって約束してたよね。忘れちゃったのかな? それなのに……どうして……どうして約束破ったりするの? 今まで約束破ったことなんて、1度もなかったのに……なかったのに……うっ、うっ、ああ、何故……」
今まで堪えていたものが一気に溢れ出し、嗚咽とともに涙でグチャグチャになっていった。
そんな私を高橋さんは、黙って抱きしめてくれた。
「泣くなとは言わない。だが、今は泣いている暇なんてない。人が亡くなるというのは、とても大変なことなんだ。冷たい言い方かもしれないが、今はそれどころじゃないはずだから」
大声で泣きながら、高橋さんの言葉を受け止められずに遠くから言われているようだった。
「私……何もしてあげられなかったんです。まだまだ、これからって思っていたのに……。だから独り暮らしも、母は反対したけれど父はいつも私の味方してくれて……」