新そよ風に乗って ⑥ 〜憧憬〜

「高橋さん……」
すると、高橋さんがこちらを見て離していた私の右手を左手で再び握ってくれた。
「分かっているのに前に進めず、偉そうなことばかり言っているわりには進歩がない。 フッ……。 俺もまだまだ成長出来ていないが、これだけは分かる。 過去は、読んで字の如く。 過ぎ去ってしまった時間は、もう時を刻めない」
高橋さんは、右手にしていた時計を前に翳し、ふんわりと柔らかく笑ってみせた。
「これから先も、楽しいだけではやっていかれないと思う。 人生って、そんな甘いものじゃない。 だからこそ、面白い。 今の俺が此処にあるように、これからの俺も確かに存在していく。 俺はこれからのお前を見ていきたいし、お前にもこれからの俺を見ていて欲しい。 だから、同じ時間を刻んで行こう」
「高橋さん……」
高橋さんがコートのポケットから何かを出すと、繋いでいた私の右手を持って袖を捲った。
あっ……。
そして、私の右手首に時計を静かに填めてくれた。
「高橋さん……」
思わず、静かにまた高橋さんの胸に額をつけた。
「ありがとうございます」
お礼を言うのが、精一杯だった。
しかし、余韻に浸っている間もなく直ぐに体を離されてしまい、正直がっかりしてしまった。
何だか、ちょっと拍子抜けしてしまった気が……。
「ただ、これは自動巻だからしなければ止まる。 まあ、1日、2日しなくても止まりはしないが、俺はこれをすることで呪縛のようにはしたくない。 厳しい現実的な考えかもしれないが、先のことは誰にも分からない。 だから重荷になって止めたくなったら、遠慮なく外せ。 お互い、こればかりは仕方のないことだから」
高橋さんの言わんとしていることが、よく分かった。
きっと、この時計を外すということは、高橋さんにとって別れを示している。 もし万が一、私がそんな気持ちになってしまったとしたら、遠慮なく外せと……。 
裏を返せば、高橋さんも同じことで……。
同じ時間を刻めなくなった時、刻めないと思ってしまった時には、高橋さんは時計を外してしまうのかな。
この時計が時を刻まなくなるということは、お互いの別れを意味している。
そんなことを考えただけで、胸が締め付けられる思いがする。
「分かった?」