冷徹御曹司は想い続けた傷心部下を激愛で囲って離さない

 あさひの勤める如月モビリティーズは、その名を知らない人間はいないだろう、日本を代表する自動車メーカーだ。
 グループ会社を合わせれば社員数は十万人を超え、単体でも万を超える従業員を抱える。その売り上げは年間十兆円を下らない。

 如月凌士は、その如月モビリティーズ本体の社長令息だ。

 かつ、弱冠三十四歳にして事業開発本部 事業開発統括部の部長でもある。

 あさひの所属するリソースソリューション企画部――略してRS企画部は、事業開発統括部の下に位置する部のひとつ。
つまり凌士はあさひの上司の、さらに上司であるわけで。

(職場の、しかも上司に会うなんてツイてない……!)

 次代の如月モビリティーズを背負うにふさわしいやり手だというのが、社内の共通認識ではある。『鋼鉄の男』の異名も、情に流されずに即断即決、即実行する姿勢からきたものだ。

 とはいうものの、あさひ自身は内示が出た際に軽く挨拶したきりだった。
 だから率直に言えば、あさひにとって凌士は世界の違う人間という感覚が近い。

(でも目が合っちゃったし、気づかないふり……はできないよね)

 しかも凌士は、あさひのいるカウンターへまっすぐやってくる。
 あさひは反射的に立ち上がりかける。けれど、凌士に手振りで制止されるほうが早かった。

「RS企画の碓井か、お疲れ」

 低く、落ち着いた声だ。顔と名前を覚えられていたのが意外で、あさひは挨拶を返しつつこっそり驚いた。

「お疲れさまです……」

 凌士ほどの立場なら、末端の部署の、しかも異動してまもない部員の名前なんて、覚えていなくてもしかたがないと思っていた。

「待ち合わせか?」

 凌士は片手でネクタイをゆるめると、ビールを頼んであさひの隣に腰を下ろした。それだけの仕草なのに、妙に色香がある。
 あさひは見入っていた自分に気づき、ばつの悪い思いで視線を前に戻した。

「ひとりです。やけ酒に付き合ってくれる友人が、今日は捕まらなくて」
「どうした?」
「いえ、なんでもないんですけど」

 あさひはふわふわと笑い、中身が三分の一ほどに減ったグラスを軽く持ちあげる。