「タキさん?」

 カウンターの中ではライナスが目を丸くして立っている。どうやらコーヒーの淹れ方を勉強していたようだ。サイフォンの一つから芳しい香りが漂っている。

「コーヒーはライナスさんの担当かい?」
「いえいえ、私はまだまだです。とても人に出せるものではありません。当面は給仕と掃除係です」
「この店、大喜さんの時はむさいじいさんやおっさんばっかりだったけど、これからは若い女の子で賑わいそうだなぁ」

 ライナスは意味がわからないようで、首をかしげている。そんな様子に常連客たちは笑っているが。

 その横でアイシスが水と使い捨てのおしぼりを配っている。

「急遽のプレオープンだから好みに合わせられずごめんなさい。コーヒーはキリマンの中煎りかブラジルの深煎りです。食べ物のほうはホットケーキになります。キリマンがいい人~」

 はーい、と四人が手を挙げた。

「中西《なかにし》さんと深田《ふかだ》さんと松本《まつもと》さんと牟呂《むろ》さんがキリマンで、和田山《わだやま》さんと前川さんがブラジルですね」

 また、はーい、と声が上がる。

 多希はまずホットケーキ作りから取りかかった。といっても、ホットケーキ用に配合された粉に玉子と牛乳、少量のヨーグルトを入れて混ぜ、フライパンで焼くだけだ。

 混ぜ終えたらホットケーキの生地が入ったボールをアイシスに渡した。

「お願いね」
「任せて!」

 ホットケーキを焼くのはアイシスの担当だ。

 二つのフライパンを用意し、それぞれ三枚焼くように生地を流し入れる。気泡が湧いてきて表面が波打ってくるまで見守り、ひっくり返して蓋をしたら今度は二分待つ。

 そんなアイシスを見ることなく、多希は大きなコーヒーサーバーを用意して、まずはキリマンジャロを中細挽きにしてセットした。

 そこに湯を少しずつ垂らし入れる。最初は蒸らすため、こんもりとした山を作るようにして、できた山がゆっくり萎むのを待ってから、完全に陥没する前に注ぎ足す。ここからは焦れるくらいの少量を途切れないように注意する。

「いい香りだなぁ」

 誰かが言ったが、コーヒーに注力している多希は反応しなかった。

 まずは四杯分を作り、温めておいたカップに注ぐ。

(ん?)

 運んでもらうためにライナスを見ると、彼は多希ではなく窓際の四人掛けテーブルのほうを向いている。

「ライナスさん?」
「あっ、すまないっ」

 ライナスは慌てたように多希のもとにやってきた。淹れ終えたコーヒーをライナスに託すと、多希は次に取りかかった。

「キリマンの人、挙手」

 カウンターテーブルに向かっている中西が、自ら手を挙げながら言う。他の三人が「はーい」と返事をしつつ手を挙げた。

「失礼します。キリマンジャロです」

 ライナスが四人の前にコーヒーカップを置いていく。

 漆黒の水面が店内のライトをわずかに反射させつつ揺れている。その面からは白い湯気がコーヒー独特の芳しい香りを纏ってやんわりと立ちのぼっている。四人はそれぞれカップを顔に近づけ、大きく吸い込んだ。

「いい香りだ」
「ああ、本当に。多希ちゃんのコーヒーは初めてだなぁ」
「大喜さん、コーヒーだけは自分で淹れてたもんな」
「そうそう。多希ちゃんは紅茶係だったから」

 多希は常連たちが話しているのを聞きながら、深煎りされたブラジルを中挽きにしてドリップを始めた。

 隣ではアイシスが焼き終えたホットケーキを皿に盛っていく。そこにライナスがバターを載せ、メイプルシロップが入ったポーションを皿の端にセットして四人の前に置いていく。

「ほほぅ、うまそうだ」
「手慣れたもんだなぁ」
「そうですか? よかった。練習しました」
「手並みはすごーくよかったよ。じゃあ、味見だな」
「タキが作ったからおいしいです!」

 アイシスが緊張気味に言うと笑いが起きた。

 その間に多希がブラジルを淹れ終えていて、待っている二人のもとに届けられた。

「うん、いい香りだし……おいしい。最高だよ」

 前川が感動したように言った。

「前川さんったら大げさですよ」
「本当においしいって!」

 多希は微笑んで対応し、使った道具の洗浄を始めた。

「ところで多希ちゃん、大丈夫なのかい?」

 そう言ったのは多希が立っている場所から一番近いカウンター席に座っている深田だ。

「大丈夫かって?」
「再開するって聞いて大喜さんが戻ってくるのかと思ったら、多希ちゃん一人でやるって言うからさ。ライナスさんが手伝うって言っても、観光で滞在している間だけだろ?」

「それはそうだけど、彼、しばらく日本にいるから」
「そうなの?」

 みなの視線が一斉にライナスに向いた。