失念していた。自分が美男子好きの悪女として通っているということを。大事な設定を忘れてはいけない。今からでも美男子たちを見ながら目を血走らせておいた方がいいだろうか。

「あ、ああそう! 綺麗な男の人は好きよ、大好き」
「…………」

 すると、ただでさえ無愛想な彼の表情が更に険しく暗くなる。ずーんとあからさまに落ち込んでいる様子。自分から誘っておいてショックを受けているらしい。

「えっと……でもわたし、クラウス様が一番綺麗だと……思うわ」
「そうか」

 そう伝えれば、明らかに満更でもなさそうな顔を浮かべる彼。表情の変化に気付かないふりをして、手元よメニュー表に視線を落とす。
 特別メニューには、美男子からの"あ〜ん"や"頭なでなで"といったサービスがついていて。だが、エルヴィアナは美男子から奉仕されるのはうんざりするほど経験してきた。全く心が踊らない。帰りたい。

 とりあえず、美男子と手を合わせてハートを作るというサービス付きのメニューを選び、店員を呼んだ。

「わたしはこの"癒しのらぶカプチーノ"を、」
「却下だ」
「…………」

 注文を口にしたところで、なぜかクラウスに止められる。

「じゃ、じゃあこっちの"トキメキ溢れるロマンチックワッフルプレート"を……」
「絶対に却下だ」
「…………」

 後者は、美男子がハイタッチをしてくれるサービスがついているものだった。これも駄目なら何を注文したらいいのだろう。……それにしても品名がうるさい。クラウスはサービスが付かないノーマルメニューを二人分注文した。

 普通のメニューを頼んだのでは、わざわざこの店に来た意味がなくなる気がする。

「すまない。君に他の男が触れるのは耐えられない。弾みで殺してしまうかもしれない」
「こわい」

 そんなあっさり物騒なことを言わないでほしい。メルヘンな世界観がぶち壊しだ。けれど、内心で安堵した。身分を隠してお忍びでやって来たが、曲がりなりにもエルヴィアナは貴族令嬢。未婚の乙女が男に触れられるのは、貴族の規範である貞淑さに反する。

(どうせ頭を撫でてもらうなら、クラウス様がいいのに)

 そんなことを考えていたら、まもなく注文したワッフルとドリンクが運ばれてきた。

 二人の間に特に会話はなく、黙々とスイーツを食べるだけの時間が続いた。すると、周りの席からやけに視線が集まっていることに気づいた。


「ねぇ見てあの人。超カッコよくない? 王子様みたい」
「ぶっちゃけここにいる店員さんよりイケメンじゃない?」
「分かる。あのレベルはそうそういないよね」


 女性客たちはちらちらとクラウスのことを覗き見ていた。男性客が珍しいからというだけでなく、その造形美に感動している。

 確かに、クラウスほど美しい人は滅多にお目にかかれるものではない。
 溢れ出るノーブルさは、育ちの良さから来るものだ。彼は本物の大貴族のボンボンで、幼少のころから洗練した所作や振る舞いをするように叩き込まれている。あの女性客たちも、そんな高貴な男が庶民的な店に来て遊興に耽っているとは思いもしないだろう。

 クラウスのところだけ後光が差してるようで、目を眇めた。すると、女性客たちは更に噂話を続けた。


「一緒にいる女の人も凄い美人だよね。絵かと思った。恋人かな?」
「でもなんかちょっと怖くない? 目つきとか。彼が王子様ならあの人は姫っていうより意地悪な悪役って感じ」
「ああ、分かる」


 好き勝手言われ放題だ。けれど、社交界や学園で悪い意味で注目され続けてきたし、謗りを受けることにはもう慣れている。

 エルヴィアナはつり上がった目にはっきりした顔立ちをしていて、無表情でいるだけで怖がられることがある。峻厳とした佇まいのおかげで、男と間違われることも。

(意地悪な悪役とは、なかなか的を得ているじゃない)

 学園で男をたぶらかす『悪女』と名高いエルヴィアナ。ふいに噂話をしている女性の一人と目が合う。エルヴィアナは挑発するように片眉を上げ、静かに目線で威圧した。彼女はさーっと青ざめて俯いた。これでもう彼女たちの不愉快な話題の材料にされることもないだろう。

(人の外見をあげつらうのは、貴賎に関係なく人としてどうかと思うわ)

 下町の若い人は無粋だと思った。けれど、噂好きなのは庶民も貴族もそう大して変わらないのかもしれない。

「俺の目には女神に見える」

 どうやらクラウスの耳にも噂が聞こえていたらしい。