「ただいま戻りましたよ。きゃぁーー! なんなのよ。いったいどうしたって言うの? この惨状は?」
「母さん、お帰り。ロレーヌが夕食の食材を買いに行ったきり、戻って来ないのさ。参ったよ」
 母さんは壁紙を見て顔を青くし、絨毯の汚物を見て息苦しそうに胸を手で押さえた。さらには、ソファにまでなすりつけられたソレに涙しながら、ペタンと床に崩れ落ちる。未だかつて無いほど悲壮な顔付きをしていた。

「あらあら、散らかしてぇーー。全く、いけない子ねぇーー」
 一方、サイラはコロコロと笑いながら目を細めただけだ。

「いや、待ってくれよ。サイラ、この子達は野生児すぎる。躾けをしなければいけないよ。いくらなんでもティアは我が儘すぎる」
「なんでそんなアロイスみたいなことを言うのよ。子供はね、伸び伸びと育てるのが一番なのよ」
 サイラは平気でそんなことを言ったけれど、母さんはショックから徐々に立ち直り、メラメラと怒気を身体から立ちのぼらせた。

「この壁紙はものすごく高かったのよ。絨毯も異国から取り寄せたし、ソファもとても高価なものなの! 明日の朝一番に、専門のクリーニング業者を呼ばなくてはいけません。いったい、いくらかかるのかしら?」
 母さんはイライラとお金の心配を始めた。

「やれやれ、こんな時にはロレーヌがいないと不便だな」
 いつもは全く存在感のない父さんがいつのまにかアトリエから出てきて、キッチンからリンゴを取り出しそのままアトリエに戻って行く。面倒なことに巻き込まれることを極端に嫌がる父さんはいつも空気だ。今日のように言葉を発することは希だ。けれど言いっぱなしで、それに対して問題解決を図ることはない。

「どうせまたティアやエルネが汚しますからこのままで良いですよ。ちょっと洗剤を含ませた雑巾で拭けば問題ないでしょう? ほら、ガブリエルもお母様も雑巾で拭いてくださいな。私はティア達の身体を綺麗にしてお着替えをさせますわ。さぁ、ママと一緒に身体を洗いに行きましょうね」

「お待ちなさい! ティアちゃんに言うことがあるはずよ。砂糖や塩をジュースに入れて遊ぶなんて恐ろしいことです! バチが当たりますよっ!」

「うわぁーーん!!」

 ほんのちょっとでもお説教すると、けたたましく泣くティアにうんざりしてしまう。

(これは本当に人間か? 人間の子供の顔をかぶった悪魔なんじゃないかな? 頭痛がしてくるよ)

「私の子供を叱るのはやめてくださいな。酷いです!」
 仲が良かったはずのサイラと母さんはにらみ合って一歩も譲らない。ロレーヌがいないだけで、この空間は途端にギスギスと乾いた空気に支配される。

「頼むからこれ以上、ティアを泣かせないでくれ。僕も父さんとアトリエにいるよ。ここは臭くて汚すぎて、とてもいられない。早く母さんとサイラで掃除をしてくれよ」

「あら、嫌だ。ここはガブリエルの家でしょう? だから掃除をするのはガブリエルとそのお母様です。だって、私はお客様ですよ?」
 僕と母さんは唖然としてサイラの可愛い顔を見つめた。

(こんなはずじゃなかった・・・・・・子供の世話はロレーヌがしてくれるはずだった。掃除だって料理だってロレーヌがいなきゃ困るのに・・・・・・)



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「アサート宝石店ではもう購入しませんわ。以前お願いしていたエメラルドのネックレスはキャンセルです」
 ロレーヌがいなくなってから三日目のことだ。ヴィヴィアン・ガートルード伯爵夫人が来店した途端、そうおっしゃった。虫けらでも見るような冷たい眼差しが痛い。

「なぜですか? いつも当店をご利用いただいているではありませんか? 母のデザインで僕と父が作るネックレスは最高だとおっしゃっていたでしょう?」

「先日からロレーヌがウィドリントン宝石店で働きだしたのよ。私はね、ロレーヌの人柄の良さとウィットの利いた会話が好きで、こちらから宝石を買っていただけです」

 ヴィヴィアン・ガートルード伯爵夫人がツンと澄ました顔で帰って行く。ショックで頭が真っ白だ。