千秋先生は極甘彼氏。


 この辺だったかな。

 千秋先生が記憶を頼りに自宅に送ってくれている中、私はぼんやりと見慣れた道を眺めていた。

 「果穂?」
 「…あ、はい?」

 千秋先生が「どうした?」と訊ねてくれる。

 「あ…ううん。なんでも」
 「本当に?あ、ここ左だっけ?」
 「はい」

 左折して少し進めば自宅のアパートが見える。ただこの左折が少し道幅が狭いのでこの間送ってもらった時はこのあたりでおろしてもらった。

 車がアパートの前の駐車場に到着する。
 「着いたよ」と目的地の到着を告げられた。

 「…うん」
 
 時刻はまだ九時前。解散には少し早い時間だと感じてしまうけど、千秋先生は今週学会もあったしきっと疲れたよね。

 「ありがとうございました。楽しかったです」
 「果穂」

 シートベルトを外して扉に手をかける。
 呼びかけられて振り返れば呆れたように笑われた。

 「今日楽しくなかった?」

 大きな手のひらが頬に添えられた。黙って首を横に振る。

 「俺も楽しかった。朝早かったしゆっくり寝て」
 「…ぅん」
 「また出かけよう?な?」

 私は無理矢理頷かせると「おやすみなさい」と車から降りた。続けて千秋先生が降りてくる音が聞こえた。アパートの玄関に入る前に振り返る。千秋先生が手を振った。

 「また連絡するから」

 ほら入って、と促される。私は手を振り返すとアパートの玄関の扉を開けた。

 階段を上がりながら涙が競り上がってくる。歯を食いしばってこぼれないように上を向いた。ついさっきまでふたりで青空を見上げていたはずなのに、今は無機質な天井。それがまた楽しかった時間との落差を感じさせて胸に歪みをつくった。

 (……もう寂しい。会いたい。死ぬ)

 今別れたばかりなのに、もう顔が見たい。
 “果穂”って呼んで抱きしめてほしい。

 いつの間にこんなにも自分が乙女思考になってしまったんだと苦笑しながらドアノブに鍵を差し込んだで思い立った。

 ___果穂って妙に大胆なところあるから

 美雨ちゃんの言葉が脳裏で繰り返される。捻りかけた手を止めた。

 考えてみればこのまま大人しく帰らなくてもいいんだよ。だってもう26歳。何が起きても自分の責任。だったらもう。

 差し込んだ鍵を見つめて引っこ抜いた。今ノロノロと上がってきた階段を勢いよく駆け降りる。

 アパートの入り口の扉は内側から引くドアだ。それなのに、勢いよく押してしまい大きな音を立てて阻まれた。

 「!」

 千秋先生が驚いて目を丸くしている。私は今度こそ扉を引いて外に飛び出した。

 「果穂?」
 「帰りたくないです」
 「…っ」
 「連れて帰ってください」

 千秋先生にぎゅうと抱きついた。子どもみたいに離すもんかとしがみつく。

 「…果穂」

 嗜める声とともに頭上から溜息が落ちてきた。
 ただそれだけのことなのに涙腺が崩壊しそうになる。