週が明けた。日常は何も変わっていないように淡々と。けれど、永峯君という甘いスパイスの効いた毎日が続いていた。彼がくれる心地よい言葉や美味しい料理。一緒に食べるスイーツに、夜な夜なする他愛のないメッセージのやり取り。一緒に巡る商店街と永峯君の働くバーで作ってもらう、ノンアルコールの美味しいドリンク。触れた時のあたたかさと愛しい感情。もったいないくらいの幸せな毎日。

 そんな日々の中、あの夜滝口さんが口にした言葉が度々頭をもたげる。

 高坂が俺のそばにいてくれよ――――。

 真に受けても仕方ない。あの日滝口さんは酔っていた。気の迷いとしか思えない。けれど滝口さんの態度は、今までにもまして距離が近くなっていた。デザイン課と営業課では、ちょっと声をかけるという距離にデスクはない。開発担当課とデザイン課の社員が話しているのなら、何の違和感もないけれど、営業課とデザイン課という組み合わせは、どうしたって目立ってしまう。おかげで、今まで彼の周りにいた女性たちの視線もチクチクと痛い。

「先輩。最近滝口さんといい感じですね」とは、真美ちゃんのセリフだ。

「いい感じもなにも。私彼氏いるからね」
「えっ。嘘ですよね……」

 引くほどに驚かれてしまった。
 私に滝口さんではない彼氏がいるのが、そんなにおかしいのかな。

 ヤレヤレなんて思っていれば、今度は澤木先輩だ。

「ねぇ、永峯君といい感じじゃなかったの? それとも、今は滝口さんと」

 心配して訊ねる先輩に、永峯君とはしっかりちゃんと、まごうことなくお付き合いしている旨を告げると、ほっと安心した顔をする。

「彼、感じ軽そうに見えるけどいいやつなのは知ってるし。美月がそれでいいならと思っていたのよ」
「いやいやいや。ないない、ないですよ」

 全力で否定する。

 周囲からやいのやいのと心配されている中、滝口さんは我関せずと私に絡んでくる。

「おーい。高坂、飯いこうぜ」

 営業先から戻ったばかりの私を捉まえて、ランチのお誘いだ。確かに時間はお昼時だし、私のお腹もぺこぺこだ。けれど、同僚以上の感情で誘う彼とは一緒に行くべきではない。

「ごめん。先約があるから……」

 約束など全くないのだけれど、こうやって嘘を吐くしか断る理由が思いつかない。経験値の少なさに情けなくなる。

「そっか……。ん、じゃあ。仕方ねぇな。また今度」

 右手を上げて立ち去る彼の顔は寂しげで、心はキリキリと痛む。傷心の彼に冷たくするのは本意ではない。けれど、感情の問題が絡んでくる以上、ランチとはいえ二人だけの時間を過ごすわけにはいかない。

 しかし、一度断られたくらいでは諦めず、その後も私を誘い続ける。

「高坂。丁度良かった。一緒に休憩しないか」

 休憩室の前を通ると、コーヒーカップを二つ持ち上げて見せる。自分の分だけではなく、もう一つコーヒーを持っているところが彼らしい。どのタイミングで用意していたのか、誘い方がうますぎる。しかし、負けるわけにはいかない。

「ありがと」

 私はカップだけを受け取り、休憩室の中に入ろうとはしなかった。

「なんだよ、それ。つれないじゃん」

 滝口さんは、休憩室のドア付近の壁に肩を寄りかからせ、切なそうな瞳を向ける。

 そんな顔で見ないでよ……。

 今の彼の状況を可哀相なんて言葉で片付けるのは違うだろう。確かに失恋は辛い。長い間想い続け付き合ってきた相手なら尚更だ。その悲しみは、私の物差しくらいじゃ、測れるはずもないだろう。私が考えつかないほどの深い悲しみに、溺れそうになっているかもしれないのだから。

 高坂が俺のそばにいてくれよ――――。

 こんな私相手に、憂いのある表情で縋るようなことを言うなんて、血迷ったとしか思えない。以前、似ていると話していたことがあったけれど。私は、結婚してしまう彼女の代わりにはなれない。私は、私でしかないし。彼女も彼女でしかない。もしも私を代わりにと考えてそばに置こうとしているのなら、きっとそこには歪ができる。どんなに似ていると言ったって、同じ時間を過ごしてきた相手と異なる部分はどんどん露見してくるだろう。それに、同じ人間など存在しないのだから。そうして歪に気づいた時、滝口さんはもっと傷つくことになる。こんなはずじゃなかったと、今度はもっと別の後悔に苛まれてしまうかもしれない。軽い態度で大口をたたいているけれど、人一倍傷つきやすいだろうから。

「こめん。二人で休憩は、できないよ……」
「少し前まで、二人で飯食ったりしてたろ。あれと一緒じゃん」

 一緒なんかじゃないことは、彼が一番よく分かっているはずだ。表情が揺らいでいることが何よりの証拠だ。私は、もう一度コーヒーのお礼だけを言って彼の傍を離れた。

 それでも滝口さんは私に声をかけ続けた。何か意地にでもなっている気がしてならない。私という存在を繋ぎ止めておかなければ、前に進むことさえできないと思い込んででもいるみたいだ。

「高坂、見てくれよこのデザイン。すげーだろ。採用決定したから、祝いに飯連れてけ」
「高坂、高坂。美味そうなスイーツの店見つけたんだ。連れて行ってやるよ」
「前に行ったテーマパーク。乗り物のリニューアルをしたらしいぞ。俺チケットとるから行こうぜ」
「高坂。お前の好きそーな肉料理見つけたんだ。飯いかね」
「高坂――――」

 こうやって声をかけ続けていなければ、日々を越えられない。そんな風にもとれる誘い方ばかりだった。

「あ、あのさ。ちょっといいかな……」

 社内で顔を合わせるたびにかけられる誘いの言葉に、周囲は少しずつ訝り。今では私と滝口さんがいい感じになっている、という暗黙の了解のような空気まで漂い始めている。

 真美ちゃんや澤木先輩への誤解は解けても、他の社員にまでいちいち私彼氏いますから! なんて宣言をして回るわけにもいかない。かと言って、彼今傷心なので、大目に見てあげてくださいと触れ回ることだってできるはずもない。何とかしなくては。このままでは、滝口さんが滝口さんではなくなってしまう。自信満々でいつも強気な彼が、私みたいな女にかまけている姿なんて見ていられないよ。

 何度目かの誘いがエスカレートしていくのを受け入れられず、声をかけてきた彼の袖口を引き廊下へと連れ出した。

「その……、言いにくいんだけど。私――――」

 元カノの代わりにはなれない。そう言おうとした時だった。

「別にいいだろ。会社の中に、あの弟君がいるわけでもあるまいし」

 話を遮り彼が開き直るように言いきった。彼の口からそんな言葉が出てこようとは思いもせず目が見開く。どんなに軽口をたたこうが。どんなにきつい冗談を言おうが。こんなことを平気で言う人ではなかった。口にした言葉は、彼の想いを表していて。それは諦めを意味している気がして悲しくなってしまう。辛いことから目を背け、目の前にある手軽な楽しみで誤魔化さないで。私の知っている滝口さんは、なにに対しても強気で前向きなはずだ。なのに、こんなこと言うなんて……。

 彼の心が泣いている。このままじゃいけない。本当にこのままじゃ、滝口さんのいいところが見えなくなっちゃうよ。

「ねぇ、そうだけど。そうじゃないでしょ。滝口さん、しっかりしてよ」

 縋るように困った顔を向けると、深く息を吐いたあと辛そうに俯いてしまった。

「その……、みんなも誤解し始めてるし」

 巧い言葉が見つからず、外堀から埋めるように言ったのがよくなかった。

「誤解?」
「私と滝口さんが付き合ってるって」

 こんなことを言いたいんじゃない。真面目腐っているくせに、言葉を知らない自分が情けない。

「ああ。別にいいじゃん。俺は、まったく構わない」

 私が困ったような顔を向けていると、深く息を吐き黙り込んでしまった。何かを吟味するような真剣な眼差しで、自分の足元を睨みつけるようにしている。

 よく磨かれている彼の革靴は、心の裏返しのようだ。気持ちは疲れ果てているのに、表面を取り繕うように輝く眩しさを纏っている。本当の自分から目を逸らし、辛いを隠してしまっている。現実に向き合うことを怖がっている。

 逃げ出したくなる気持ちは、よく分かるんだ。ずっとそばにいてくれると思っていた相手が突然いなくなってしまえば、自分がちっぽけでどうしようもない人間に思えてしまう。一人になることが怖くて、そばにいてくれる相手をむやみやたらに探して、どうにか寂しさを埋めようとする。

 わかるよ。よくわかってるよ。正とのことがあった私には、滝口さんの気持ちは痛いほどよく分かるんだ。だけど、それじゃダメなんだよ。前を向いてよ。いけ好かないくらい得意気な顔をした滝口さんに戻ってよ。

 頭の中でグルグルと巡る思いは、けれどうまく口にできなくて沈黙が続いてしまう。言葉を探して黙り込んでいると、滝口さんがスーッと息を吸い、顔を上げて私を見た。

「わかった。じゃあ、この件については今日の夜じっくり話そう。あとで場所と時間を連絡する」

 今までのあえて浮ついたような誘い方とは違う、とても落ち着いた表情をしている。彼は直ぐに踵を返し、デザイン課のフロアへ行ってしまった。

 誘われたことに躊躇はしたものの、このままにしておくわけにはいかない。彼の気持ちも私の気持ちもちゃんと話す方がいい。私は、滝口さんの元カノの代わりにはなれないのだから。

 指定された場所は、都内にあるまさかの回転しないお寿司屋さんだった。立派な店構えと暖簾を目の前にして入るに入れず足が竦む。自慢ではないが、回転寿司店になら数えきれないほど入店したが。木板のメニューに魚の名前だけで金額が書かれていないような店になど、行ったことはない。

「本当にここなの?」

 指定された場所が違っていやしないかと、先ほどから何度も届いたメッセージを確認しているのだが、どう見てもこの寿司屋で間違いはない。仕方なく腹をくくる。気合を入れて、木枠のドアに手をかけた。

 暖簾をくぐり入って直ぐ、おかみさんらしき着物を着た女性がしなりと出迎えてくれた。

「いらっしゃいませ」

 丁寧にお出迎えされて、気後れしながらもごもごと待ち合わせだということを告げると、カウンター席から聞き覚えのある声がかかった。

「遅かったな」

 すでにビールを頼んで飲み始めていた滝口さんが、こっちだと隣の席に促した。彼の目の前には、器に盛られた刺身が置かれていた。

 背後にはテーブル席だってあるのに、よりによって目の前に大将のいるカウンター席とは。緊張がマックスになる。ガラスケースに並ぶ新鮮なネタを見たあと滝口さんを見る。

「ねぇ、どうしてこんな高級な店にしたのよ……」

 こそこそと背を丸め咎めるように訊ねて隣に腰かけると、先ほどのおかみさんがおしぼりを差し出してくれた。ホカホカのおしぼりで手を拭き、居住まいを正す。

「何食う?」

 高級店にオドオドとしているのもお構いなしで、気軽な調子で訊ねられてもいくらするのかと怖くて注文などできやしない。一先ず目の前に置かれた上がりを手にし、緑茶の暖かさで心を落ち着ける。

 光物なら安いだろうか。それともかっぱ巻きや玉子で乗り切るか。

 財布の中身と相談し、恐々としながらも目の前のガラスケースに並ぶ刺身の柵や、キラキラと粒ぞろいのいくらに甘くとろけそうなウニなどに目を奪われる。

「嫌いなものはないよな。じゃあ、カンパチにアジ。いくらも食うか? あとはなんだ。海老にマグロか」
「ちょっ、ちょっと待って」

 大将に向かって何の躊躇いもなく次々と高級なネタを注文する滝口さんを慌てて止めた。そんなに注文されてしまっては、来月の生活が火の車だ。冷や汗をかきながら縋るような目で見ると、クツクツと笑われてしまった。

「心配すんな。ここは、兄貴の店だ」
「え?」

 兄貴とは、滝口さんのお兄さんということ?

 驚きながら目の前の大将を見ると、とてもにこやかな表情で頷いた。滝口さんとは違い、とても物腰の柔らかそうな人で、目じりが垂れているのが印象的だ。

「嘘でしょ。こんなに軽薄そうな滝口さんと、こんなに優しそうで穏やかそうな大将に同じ血が流れているとは思えない」

 思わず素直に吐き出してしまうと、ひっでぇ。と滝口さんが拗ねてしまった。目の前の大将は、愉快そうに笑う。

「まぁ、今更だけどな」

 滝口さんは瓶ビールを傾けると、自らのグラスに注ぎ一気に飲み干した。

「弟の優は見た目こんなですが、名前の通り私なんかよりもずっと優しい奴なんですよ」

 私の軽口を笑い飛ばしながらも、大将の表情は弟である滝口さんのことをよく知る身内としての暖かさに包まれていた。目じりを垂らしながら、私の目の前にカンパチの握りを置き、どうぞと笑みを作る。

「遠慮すんな、兄貴の奢りだ」
「そうですよ。折角優が奢るのですから、お好きなものを」

「はぁ? たまに来たんだから、奢ってくれよ」
「たまにしか顔を出さないんだから、売り上げに貢献していけ」

 二人で言い合い笑っているから、私もついつられて笑い、漸く緊張の糸がほぐれた。大将の言うように、遠慮もせず。いや、多少気は遣ったけれど。いくつか握ってもらった美味しいお寿司をお腹に収め、上りを頂き、ガリをポリポリしたところで本題が始まった。

「バーでは、飲み過ぎて悪かったな」

 あの夜のことや、酔った勢いで言ったことについて、私たちは一度も触れずに来た。それは、彼が心の傷を負っているということと、話す勇気を持つことができなかったせいだ。私には永峯君がいる。彼もそれを解っている。それでもあんなことを言ってしまった滝口さんの心は、相当に弱っているに違いない。そんな彼をこれ以上傷つけずに済むのなら、触れずにいた方がいいのではないかと避けてしまった。強気な彼が見せた、とても弱い部分だからこそ。これ以上苦しめることはできないと考えてしまった。けれど、それじゃあいけなかったんだよね。私がちゃんと向き合わなかったから、滝口さんはいつもの自分を取り戻すことができないままだったんだ。

「ほんとはさ、離れた時からこうなることは解ってたし。一途なんて言ったけど、単に未練がましさと執着でしかなかったんだよ」

 自分の不甲斐なさに後悔の色を浮かべ、滝口さんがぽつりぽつりと話し出した。お兄さんである大将は、気を利かせたようにそっと私たちの前から外れる。

「いつもそばにいたあいつの場所がぽっかりと空いて。どうすればいいのか解らなかったんだ」

 手酌したビールのグラスを持ち上げて、チビリというように口へ含む。

「別れを告げられても、まだ続いてるはずだと思い込んで。そのくせ、いい女をそばにおいてやるって躍起になって。やってることがめちゃくちゃだよな。なのに誰が隣にいても、なんかこうしっくりこなくて。どんなに顔がよくても、スタイルがよくても。あいつの場所を埋められる女なんかいなくてさ。けどあの日、高坂が俺の空洞にスルッと入ってきて、何の抵抗もなく明るいもので埋めてくれた」

 あの日というのは、お互いに代役として行ったテーマパークのことだろう。

「飾ることもなく豪快に食って、声を上げて笑って。美味そうに口に甘いもの含んでる顔見てたらさ、なんつーか。こっちも幸せな気持ちになってきて。ああ、求めてたのって、こういうことなのかもしれないって。顔やスタイルが良い、見た目だけの女じゃなくて。楽しいことや嬉しいこと。むかつくことや悲しいことも素直に顔に出して口にする、高坂みたいな女を俺は求めてたんだって」

 再びビールをチビリと口にした滝口さんの話を、私は黙って待つ。

「タクシーの中で言ったことは、本気だった」

 グラスを握ったまま、小さく弾ける泡を見つめて話す。

「本気で高坂といたいって思った。永峯がいることも、高坂が俺のことをそういう目で見ていないこともわかってる。それでも、どうしても高坂がよかった。なんなら、無理やり奪ってやりたいって思ってた……」

 彼は今、ため込んできま思いを話すことで、気持ちに整理をつけようしているのだろう。

「けど、想像できるんだ。強引にした後の高坂の顔が。高坂は、笑ってなかった……。悲しい顔をしてた。どんなに言葉を尽くそうが、俺の気持ちを伝えようが、永峯から離れてしまった高坂は、悲しい顔をしているんだよ。それが悔しいくらい、リアルに想像できてしまうんだ。困らせたいわけじゃない……。高坂には笑っててほしい。そう思うのに、うまく心がコントロールできなくて……」

 瓶の中に残ったビールをグラスにすべて注ぐと一気に飲み干し大きく息を吐き出した。

「ちょっと、遅かったんだよな……」

 呟きは心許ない。

「わかってるんだよ。自分でも」

 しょうがないんだよなっと、再び息を吐き出す。

 私はどう応えていいのか解らず、黙っていることしかできなかった。

 気がつくと店内には常連のようなお客が数組いて。大将の握りを美味しそうに堪能していた。居酒屋のような賑やかさはないけれど、明るい雰囲気で和気藹々とした空気が流れている。

 届かない想いに苦しむことは、誰にでも起こることだ。どうにもならないと頭では理解していても、心がどうしてもついていかない。それは、寂しさを埋めるためなのかもしれない。執着を断ち切るためかもしれない。そして、本気で好きになったからなのかもしれない。

 運命なんて、映画やドラマみたいな言葉を使うのは恥ずかしいけれど。人と人とが出会い別れ、ずっと共に歩んでいくことには、運命というタイミングがあるのかもしれない。

 あの日私が元彼にふられなかったら。翌日、永峯君と出会わなかったら。早月から頼まれたテーマパークの時期がもう少しズレていたら。私と永峯君と滝口さん。それぞれが話し、出会うタイミングは違っていただろう。そして、もしかしたら感情の行く末だって、違っていたのかもしれない。けれど、たらればを言っていても、今目の前にあるものが現実であることに変わりはない。私は永峯君を好きで、一緒に居たいと思えるのは、滝口さんではない。

 重い空気を纏いながら、滝口さんは空になってしまったグラスを眺める。私は、半分ほどになった緑茶の入る湯飲みに手を添える。まだ残る温かさがじんわりと手に伝わってきた。この温もりが滝口さんの心にも伝播するといいのに。そうして、いつか彼然とする、清々しいほど自信に満ち溢れた彼に戻る時が来て欲しい。

「兄貴、もう一本」

 声はスッキリとしていて。さっきまでの、何度も零れだすため息まじりの声音ではない。

「回らない寿司。俺が奢ってもらう予定だったのにな」

 大将から瓶ビールを受け取ると、早速グラスに注ぎ口にする。すぐに気持ちの整理はできないだろうけれど。それでもさっきより、ずっとスッキリとした顔をしている。話をしたことで、彼の中に蟠っていた想いの数々を払拭することができたのかもしれない。以前のようにとは難しいかもしれないけれど、きっと滝口さんは大丈夫。私みたいなへなちょこ気質ではないのだから。しっかりとした足取りで、強気な態度で前に進むことができるはず。

「回るのだったらいつでもオーケーだけど」

 彼の気持ちに応えるように、わざと得意気な顔を向ける。

「高坂の給料じゃ、まだまだ無理だろうなぁ」

 遠い目をして肩を竦めたあと、ケタケタと笑っている。

「わかってるなら集らないでよ」

 呆れた顔を向けると、そういうところがいいんだよなって悲し気に。けれどどこかほっとしたような表情で呟いた。
 きっと彼はもう、特別な感情で私を誘うことはないだろう。