早月に頼まれていた約束の日がやって来た。前日の夜。テーマパークのチケットを手渡しにわざわざ家までやって来た早月は、手土産にプリンを持参してきた。それを恭しく受け取ると、あいつも悪い奴じゃないからさ。楽しんで来てねと笑うのだった。

 悪い奴じゃないならなぜ別れたのだ、という言葉は何とか飲み込んだ。

 チケットとプリンを手渡した早月は、早々に帰っていった。

 翌日。一緒に行く相手のことを思うとあまり気が進まないながらも、テーマパークなど久しぶりなものだから、どこかしら浮かれた気分も持ち合わせていた。

 早月の元彼相手におしゃれしても仕方ないし、乗り物に乗ることもあるだろうからとジーンズにカットソー。それにスニーカーというラフなスタイルで出かけた。

 電車に揺られている間に、今から知り合いとテーマパークに出かけてくる旨を永峯君にメッセージしておく。楽しんできてね。という返信に、眉尻が下がってしまった。一緒に行く相手が早月の元彼というのもさることながら。一生懸命に働いている永峯君をしり目に、自分は人気のテーマパークへ出かけるということに申し訳なさを感じる。心の隙間を吹く生ぬるい風にチクリと心が痛む。

 テーマパークの入り口付近に立ち、早月の元彼を探す。確か以外と背が高くて、ちょっと色黒だった。ヘアスタイルは変わっているだろうから探す目印にはならないと、少し釣り目だった顔を思い出しキョロキョロと辺りを見回した。早月から伝えられていた待ち合わせ時間は十時で、時刻はジャストだ。早月の元彼は時間に正確な人だったろうか。今まで聞かされた早月からの恋愛相談を振り返ってみたが、そういった内容のことを聞いた覚えはなかった。待ち合わせ時間から五分ほどが経ったが、それらしい人物は見当たらない。更に少し待ってからスマホの時刻を確認すると、既に十五分が経過していた。

 元彼も早月が来るものと思っているのだろうか。その辺り、どういった話になっているのか、確認するべきだった。早月にメッセージを送ってみたが、既読にすらならない。休日だから、のんびりと寝ているのかもしれない。

 早月の元彼は相手が私だと知らずに、当日になってやはり嫌だと思い、来るのをやめてしまったのだろうか。それならそれでも構わないか。寧ろ、一人の方が気も楽だし。十時半まで待っても来なかったら、一人で楽しんじゃおうっと。

 ドタキャン、ラッキー。くらいに思って立っていたら、不意に目の前に立つ人物がいた。

「あれ、高坂さんだよね?」

 はっきりと名前を呼ばれて目を向けると、どこかで見た顔の男性が目の前にいた。中肉中背。軽薄そうに見える薄い唇。サラリとした髪の毛とキリリとした一重の瞳。早月の元彼ではない。けれど、この顔、どこかで見た。
 頭の中に浮かぶ、知り合いの数々。友人知人に遠い親戚。駅でよくすれ違う人。行きつけのお店に勤める店員。あれこれ考えたけれど、ヒットしない。……あ、会社。

 漸く思い浮かんだのは、同じ社内にいるデザイン課の社員だった。あまり会話をすることがない部署の人だし、普段はスーツ姿しか見たことがないから、普段着姿に気づくのが遅れてしまった。

「滝口さん。なんで?」

 声をかけてきたのは、デザイン課に所属している滝口優さんだった。デザイン課とはそれほどかかわりのない営業課の私だけれど、社内で見かけることはままある。確か、澤木先輩と同期だ。

「どうしたんですか。偶然ですね」

 まさかテーマパークで社内の人に会うとは思いもよらなかった。彼女とデートだろうか?

 驚き訊ねる私に、彼は苦笑いを見せる。

「高坂さん。今俺のこと思い出すのに。めちゃくちゃ時間かかったろ」

 指摘されてしまえば、苦笑いしか浮かばない。申し訳ない。

「まー、いいや。実は、知り合いに頼まれて、ピンチヒッターなんだ。そっちは? デート?」

 少し困った表情を浮かべて、彼が説明するのを聞いてもしやと思う。まさか早月の彼の代役ではないだろうか。
 滝口さんに、自分の置かれている状況を説明すると、滝口さんは驚いた後にまた苦笑いを浮かべた。早月は、私に。早月の元彼は、滝口さんにピンチヒッターを頼んでいた。その相手が同じ会社の人間とは。世の中は意外と狭い。

「なんていうか。お互い、手のかかる友達を持ってしまいましたね」
「確かに」

 滝口さんは、クツクツ笑う。

「だいたい、別れた相手とテーマパークなんて、所詮無理な話なんだよ」

 滝口さんは、ヤレヤレなんて肩を竦めたあとに気を取り直す。

「俺が相手で悪いけど。折角だから、楽しもうか」

 確かに。楽しんだもの勝ちだよね。

「そうですね」

 早月の元彼相手では憂鬱だったテーマパークも、会社の知り合いならまだ気が楽というものだ。私たちは意気投合するように入園し、一緒にテーマパークを廻ることにした。

 滝口さんとは、会議や打ち合わせで顔を見かけたことはあっても、こうやって直接話すのは初めてだった。そのせいか気を遣ってくれているようで、楽しませようと努力してくれているのがわかった。乗り物の好みを訊いてくれ、歩き疲れていないか。のどが渇いていないか、小腹は空いていないかなど、様子を気にかけてくれる。軽薄そうな唇から発しているとは思えないような気遣いをしてくれるのだ。ただ、口が少しだけきついというか、悪いというか。物言いがズケズケとしていてちょっと怖い。

 永峯君もフランクだけれど、彼の場合はキュートで甘い感じが全身を包んでいる。子犬みたいに人懐っこいのだ。対照的に、滝口さんの場合は一重の瞼がキリリとし過ぎているから、ちゃんと顔を見ていないと、言葉か少しばかりきつい感じに聞こえてしまうことが多い。目や口元を確認すれば笑っているから、怒ってはいないのだろうとわかりほっとする。慣れるまでは、強い口調に焦ってしまうかもしれない。

 久しぶりにやって来たテーマパークは、思った以上に楽しかった。子供みたいにはしゃいだ声を上げて、沢山の乗り物を楽しみ、顔面の筋肉が崩壊するかもしれないというほどご機嫌な時間を過ごした。

 あれこれとアトラクションを楽しんだあとは、ちょっと休憩しようとパーク内にあるカフェに入った。

 カフェラテを口に含むと、温かさにほっとする。

「久しぶりに、叫んだよ」

 滝口さんは、アイスコーヒーをブラックで飲みながら片方の口角を少し持ち上げる。その表情はニヒルというか、子供が悪だくみを考えてでもいるようなイタズラな表情だ。

「私も、久しぶりにめちゃくちゃ叫びました。普段生活していて、大きい声なんてそうそう出さないですもんね」

 ついさっき乗ったジェットコースタで、声が涸れるほどに叫んだのだ。おかげでやたらと喉が渇く。再びカフェラテのカップを持ち上げ口にする。

「あのさ。さっきから気になってたんだけど。俺、敬語好きじゃないんだよね。仕事の時は仕方なく使うけど。普段の生活で、です。ます。とか。疲れる」

 投げやりのように吐き捨てられてしまえば、焦って背筋が伸びる。

「あっ、えっと。ごめんなさい。気を付けます」

 あたふたとして早口になりながら返すと、だからそれ。と笑われてしまった。

「うわっ。ほんとだ。ごめんなさいっ。じゃなくて、ごめん」
「高坂さんて、社内で見てるとふざけた女だなぁってイメージだったんだよな。ちょっとおっちょこちょいなとこもあるし」

 えっ。おっちょこちょいって、何を見られていたのだろう。まいったなあ。

 この前カップにコーヒーを注いだのに、更に緑茶のティーパックを入れてしまったところを見られていた? そのブレンド、新しいなと部長に笑われたっけ。それとも、新しく買ったヒールを履きこなせずに、エレベーター前で面白おかしく躓いたところだろうか。そばにいた真奈ちゃんが、心配してくれたんだよね。優しい子。それとも、ランチでナポリタンを食べた後、シャツにケチャップがついていることも気づかずに、営業先に向かおうとしていたことだろうか。出かける前に行ったトイレの鏡で気がついたからよかったよ、うん。今ぱっと思いついただけでも、抜けた事ばかりしていて恥ずかしい。

 私が数々の醜態を思い出し狼狽えていると、面白そうに見返してくる。

「部長の差し入れで貰ったケーキのクリーム。口の端につけたまま、満足そうな顔してたろ。たまたま用事があって営業のフロアに来てたから、それ見て笑ったよ。ガキかよって」

 そっちかー。

 子どもみたいなことをしている私を見かねて、澤木先輩が近くのティッシュを引き抜き拭いてくれた。周りから、幼稚園児かと笑いが上がったんだよね。あぁ、恥ずかしい。まさかその場面を見られていたとは。

「そ、それは。忘れて」

 背を丸め、小さくなりながらカップを持ち上げ顔を隠す。

「いや。いいじゃん。俺、そういうの面白くて、好きだよ」
「面白いって。でも、ありがと」

 恐縮しながら返すと、滝口さんは肩を揺らし笑った。

 のどを潤し休憩を取った後。私たちは、再び乗り物に全力投球で楽しんだ。見た目スマートな雰囲気を持つ滝口さんだけれど、思いの外こういった場所が好きなようで。私のことをガキだと笑ったわりに、本人も充分子供みたいにはしゃいでいた。

 そして再び、今は園内にあるレストランにて休憩中。少し遅めのランチに取り掛かっている。私の目の前には、チキンプレート。滝口さんは、ドリアを注文していた。

「それにしても。ホントうまそうに食うよな」
「私、食べることが大好きなんだよね。特にデザート。お酒があまり強くないから、自棄酒するなら、自棄デザートって感じなの」
「なに。自棄デザートしなきゃなんないようなことでもあったわけ」

 サラリと問われたことに、思わず頬がヒクッと緊張した。ただ、今の私には永峯君がいるので、ふられた直前ほどの衝撃はない。それでも、言葉はすぐに出て来なくて、何をどう応えればいいのか探しあぐねてしまった。

「まー、クリーム顔につけて旨そうにケーキ食ってるくらいだから、甘い物が好きなのは理解できるよ」

 言葉にできず口を噤んでいると、話を元に戻しからかわれた。

「だから、それは忘れてって」

 クリームの話をぶり返してくれたおかげで、元彼について話す必要がなくなりホッとする。いくら今が幸せだとは言え、やはり結婚しようと考えていた相手に、全く予期せずふられてしまったという事実は傷になっていて痛い。

 チキンをフォークに突き刺し、口に持っていく。ジューシーでなかなか美味しい。滝口さんは、届いたドリアをスプーンですくったのだけれど、なかなか口に運ぼうとしない。もしかして。

「猫舌?」

 訊かれて、少しだけばつの悪い顔をする。

「クリームソース系が好きで、普段からよく頼むから、つい癖で今日も注文したけど。実は、めちゃくちゃ熱いの苦手なんだよ。慣れてるやつらの前なら、息を吹きかけて冷ますのも別に構わないんだけど。流石に、ほぼ初対面の高坂さんの前でフーフーってのはな」

 照れたようにはにかんでいる。

「あれ。一応、私のこと女として扱ってくれてるんだ」

 おっちょこちょいなところや自棄デザート。それにクリームを口につけて笑うような私を、異性とは認識していないのかと思た。

「ちょっと待って。なんか誤解してない? 俺、別に高坂さんのこと女として見てないわけじゃないよ。なんていうか、面白い奴だとは思うけど」

 言いながら肩を揺らして笑う。

「ほら、それっ。結局、面白い奴認定じゃない」

 からかわれながらも、会話がテンポよく進むことが楽しくて、私は始終笑ってばかりいた。

 ドリアの熱が収まると、滝口さんの食べるスピードは一気に上がり。あっという間に完食する。

「このあと、どうする。殆どのアトラクションは制覇したけど」
「そうだね、もう充分楽しんだよね。喉も枯れそうなくらい叫んだし。滝口さんの話が面白いから、顔の筋肉も崩壊しそうだし。そろそろ帰ろっか」

「後半の理由はよく分からないけど、まーいいや。しっかし、面白いのは高坂さんだよ。ホント、笑いのネタの宝庫だよな」
「人を芸人みたいに」

 言い返しながら、イヤな感じがしないことに気づいていた。朝会った時は、目つきの鋭さや軽薄な唇の印象。且つ、言葉があまりにフランクで、話しながら地雷を踏んだら怖いなとドギマギしていたけど。今日一日テーマパークを廻ったら、彼の印象はガラリと変わった。一見、人を寄せ付けないような雰囲気を醸し出しているわりに、面白いことが好きで笑い上戸だしよく話す人なのだ。

「このあと飲みにでも行くか? と誘いたいところだけど、酒が弱いんだったな」

 ごめんと肩を竦める。