幸運は自ら訪れないし、ましてやその辺に転がっているわけでもない。
幸運は自ら探しあて、自らの意思で取りに行かなければならない。
全方位にアンテナを張ることで幸運という金脈を探し当て、
自ら行動を起こしてこそ機会創出となり、そこに埋まっていた金脈を掘り起こすことができる。
成すべきことへの努力の継続こそ、幸運を身に纏うことができるのだ。



 煌びやかに輝く街のネオンと無数の高層ビルの灯りがひしめき合う金曜の夜、週末前夜で賑わう人の活気に包まれた街全体の雰囲気が、今夜は何でもできる気がしてしまうと思わせる万能なエネルギーに満ち溢れ、そのオーラに包まれると誰でもその気になってしまう。


 何か分からない高まる気持ちに包まれながらオフィスビルをあとにすると、急ぎ早にエレベーターにかけ乗り地下駐車場ボタンを押す。それと同じタイミングで素早くドアを閉めるボタンを押したのだが、エレベーターのドアは変わらずいつも通りゆっくりと閉まる。
 地下駐車場に着いて整然と駐車している車を見渡すと、一台だけ妖艶な雰囲気を纏う車が停まっている。艶やかな工業製品として熟成されたその車に向かい、手に持っているリモコンキーのボタンを押すと、ハザードランプが複数回点滅すると同時に静寂な駐車場に電子音とドアロックが解除される音だけが静かに響いた。
 ドアを開けて、その車のドライバーズシートに身を沈めると、身体の内から不思議と力が漲ってくる。ドアを閉めて静まり返る車内でエンジンスタートボタンを押し電源が入ると、メーターのディスプレイが起動し、始動前の微かな機械的準備音がエンジンルームから聞こえてくる。
 一呼吸置くとすぐさまV8 4800ccのエンジンに火が入り、瞬く間に重厚な排気音が静寂な地下駐車場内に鳴り響く。
 こんな夜に似合う曲を聴きながら、地下駐車場からゆっくりと地上へと向かう。
 軽快に夜の首都高を駆け抜けていく。地上から地下へ、トンネルの中に入ると重低音に満ち透き通った心地よい排気音が奏でる空間に身を任せ、再び地下から地上に上がると、今度は少し乾いたエンジン音を奏でながら軽快にビルの合間を縫う夜の首都高速を駆け抜ける。運転席と助手席のサイドウィンドウを少し開けると、風薫る五月の爽やかな空気が車内に入ってくる。

 今週はラッキーだった。全て思うようにことが運び、全知全能の力を手に入れたかと思えるくらい、まるで自身の取巻くビジネスワールドを掌握したかのような気分になっていた。

 “今晩は、勝ちを取りに行く”

 気持ち少し多めにアクセルを踏むと、心地よい加速が身体をシートに押し付ける。
 金曜日の決戦、これから向かう会場で起こる全てが未来を変える。



 去年のクリスマスが終わった数日後のこと、何かの縁もあってお見合いをした。それ以前に、お見合いをしたことが無かったし、その手の類にも興味が無かった。興味がないというよりも、日常生活で仕事や趣味に時間を費やし、何不自由な思いをしておらず毎日が充実しているからだ。
 そんな生活を送っていたので、今回のお見合いの話は全く乗り気でなかったのだが、取引先との関係も考慮すると無碍に断る訳にもいかず、という事情もあって受けることにした。


 年末で街が慌ただしい中、都内のホテル庭園に向かっていた。行き慣れた場所だが、今日は、イベントや知人の式典といった用事ではなく、プライベートで初めて行くことになる。
 お見合いと聞いて、当初は受けるかどうか迷っていたところ、先方曰く、気楽に来てくださいとのことだったので承諾はしたが、しかしながら、どんな感じなのかさっぱり予想もつかなかったので躊躇をしていた。

 目的地に着くと、建物の案内に従いスルスルと地下駐車場に車を停める。

 「時刻は・・・、」

 車の時計を確認すると、まだ待ち合わせの時刻には十分早すぎるようだった。

 「まあ、お見合いはメンドクサイから早々に切り上げて、その後買い物にでも行くか」

 そんな切り上げる理由と、この後の予定を考えながら、車から降りて指定の待ち合わせ場所に向かう。
 お見合いの相手は、懇意にしている取引先相手の子女だった。事前にメールで今日のお見合い相手の情報を貰っていたのだが、興味がなかったこともあり、何も確認せずに今に至る。なので、相手の女性がどんな女性だか、さっぱり分からない。だが、それはそれで面白いから、良いと思っている。事前に知っていたら、会うことさえ億劫になってしまうかもしれない。

 お見合いと言っても、かしこまった形式のものでなく、本人同士で気軽に会ってくださいとのことなので、まあ気軽ではある。

 待ち合わせは、ホテル庭園の中のレストランだった。館内案内に従ってレストランの入り口に着くと、レストラン入り口のレセプションスタッフに声をかけた。
 「予約していた石川将人ですが」と、自分の名前を告げたが、まだ予約時刻前だったので何処かで時間を潰せば良かったかなと思い直していた。
 スタッフは、パラパラと記帳をめくり無線で何か店内のスタッフと身近やり取りを済ませると、

 「既にお連れ様はお待ちです。こちらになります」と、店内の中へ案内した。

 待ち合わせの時刻には、まだ余裕があったが相手は既にいるということに、ちょっと驚いた。「こちらになります」と、スタッフに店内奥の個室まで案内されドアを開けると、お見合い相手の彼女は入り口側の席に背を向けて座っていた。彼女が席を立って振り向くまでの一瞬であったが、後ろ姿でも綺麗な女性だと感じた。
 そして、彼女が振り向いた次の瞬間、

 ・・・・・・!!

 視界に入る周りの彼女以外の景色がすべて吹っ飛んだ。
 彼女を見た時、雷が落ちて電流が走るような、生まれて初めての感覚で一瞬固まってしまった。
 正面で自分に向かってあいさつする彼女は、透き通る白い肌に綺麗な瞳を持ち、背後にある窓から差す陽の光が彼女の髪を輝かせ、聡明さが彼女の内面から溢れていた。そんな彼女を見た瞬間にこんな綺麗な女性がいたのだと、衝撃を受けた。そして、真っすぐに見つめてくる彼女の瞳に吸い込まれ動けない自分は、まさに一目惚れそのものだった。瞬間に彼女こそ「プラトンの半球体説」でいう、自分の探し求めていた運命の人だと、この瞬間で確信した。

 彼女の名前は、山根由利といった。その彼女と2時間程度だろうか、狐に包まれたような時間を過ごし、今しがた駐車場に停めておいた車に戻ってきた。あっという間過ぎ去った時間に起こったことを思い出してみる。目を瞑ると、さっきまで一緒の時間を過ごした彼女の笑顔や仕草、そんな沢山のシーンが残像のように脳内を駆け巡っている。

 「こんなこともあるんだな・・・・」

 暫くの間、駐車場に停車した車内で、ぼーっとしていた。


 お見合いの後、彼女に幾度か食事の申し入れをしていたが、その都度やんわりと断られていた。彼女とあの日のお見合いでは、それなりの感触だったと思うのだが、なかなか彼女のガードが堅いのか、デートの誘いには乗ってこかなかった。
 新年を迎えてから一か月くらいたった頃、それでも果敢に食事を誘うと、彼女の方から友人と一緒に今晩食事するので一緒でもよければ、という返事をもらえた。もちろん、行くつもりだ。どんな小さなチャンスでも逃さない。
 急遽入っていた自分のスケジュールを全て調整しなおし、彼女には、『差し支えなければ良いお店があるので、山根さんのご友人と一緒に楽しんでもらえるよう自分がお店の手配と予約をする』旨の提案をしたところ快く承諾してくれたので、早速とっておきのお店に連絡を入れて予約を入れておいた。

 彼女と彼女の友人が来る前に一足早く先にお店に入って、今晩のメニューや飲み物などを事前に注文準備を入れておいた。
 由利と彼女の友人の美香が時間通りにお店に着くと、先ずは、冷えた身体を温めましょうと、事前用意していたグリューワインを持ってくるようレストランのスタッフにお願いした。
 マグカップで運ばれてきたワインを見て驚いていたが、熱々のワインを一口飲むと更に驚いていた。

 「これ、すごく美味しい!」

 由利と美香は、とても喜んでいた。

 「ここまで来るのに身体がすっかり冷えちゃったから、冷たい飲み物は飲みたくないなって思っていたので、ぴったりの飲み物だわ」そう言うと、由利は冷えた手を温めるように、そっと柔らかくマグカップを両手で包み込むように持った。

 「美味しいですよね、これ。特に、このレストランでは、裏メニューというか、特別に注文して作ってもらったんです。赤ワインに香辛料を入れて作るホットワインですが、これはココのレストランのオリジナルブレンドで作って提供してるんです」

 へえ、と由利と美香がグリューワインを眺めながら感心している。
 「この後、ウサギの肉料理を用意しているのですが、大丈夫ですか?」
 彼女達が、「えっ!ウサギ?」と驚いた顔をして互いの顔を見合わせている。案の定の反応で、僕はニヤリと笑うと、
 「心配しないでください。このレストランのシェフの自慢料理ですから」と答えても、彼女達は相変わらず不安そうな顔をしている。
 「ウサギの肉って、世界ではわりとメジャーに食されていて、日本でも昔は食べていたんですよ」
 「そうなんですか?」由利の瞳がキラッと光ると同時に、興味深そうに前のめりに聞いてきた。
 「奈良時代からつい最近、と言っても明治時代前ですけど、それまでは、仏教の教えで肉食は忌むべきモノとして、長い間食べなかったのですが、とはいえ貴重なタンパク源でもあるので、農耕で使われる家畜以外の野生の鴨などは一般の人の間では食べていたみたいです」
 由利がとても興味を持って話を聞いてくれ頷いている。
 「それで野生のウサギの肉も食べていたようなのですが、一説によると、ウサギの耳を鳥の羽と見立てて・・・」
 「あっ!」、と由利が小さな声を立てると、「それでウサギの数え方は、鳥と都合よく見立てて一羽、二羽って言うのね・・・」と、由利自身を納得させるよう独り言のように言ったので、「そうかもしれませんね」と、自分は笑いながら答えた。由利も同時に微笑んでお互いに見つめあうと、それを見た美香が囃し立てた。

 「リエーブル・ア・ラ・ロワイヤルです。ウサギを余すところなく使った煮込み料理になります」と、レストランのスタッフがウサギ料理を運んできた。
 お皿に盛りつけられた料理を見て由利が、「ウサギの肉が、そのまま出てくると思ったら違うのね。とてもいい香り!」と目をキラキラさせていた。
 三人の前にウサギ料理がのった皿が準備されると、互いに目を合わせながら同時にウサギ肉を口に運ぶと、

 「美味しい!!」

と、全員が同じタイミングで目を丸くして声を出したので、何だが可笑しくてテーブルが賑やかな笑いに包まれた。

 すっかりと打ち解けるような雰囲気に包まれ、その後も由利とは様々な話で盛り上がり、そんな二人の雰囲気についていけなくなった美香は、「お互いに仲がよろしいこと、私に構わずお好きにどうぞ」と言って、中盤からは運ばれてくる料理を食べることだけに専念していた。

 「最後のデザートまで美味しかったです!」と由利が丁寧にお礼をしてきた。由利から、会計は割り勘で支払いますと申し出があったが、「こちらが手配したレストランなので」と言い、丁重にお断りをした。
 今夜の食事で、彼女をもっと深く知ることが出来た。自分の伴侶は由利以外に考えられない。なんとしても彼女を射止めてみせる!そう心に誓った。

 それからもまた積極的に由利に声をかけ続けた。以前より幾分ましなやり取りになり、食事も一緒にする機会が増えた。でもまだ、今一つ彼女のハートを射止められない。良い雰囲気なところまでは届いていると思うのだが、何かが足りず決定打に満たない。その理由が何のか分からなかったので、先日一緒に食事した彼女の友人である美香に尋ねてみたところ、どうやら由利には想う人がいるとのことだった。

 「想う人がいる、か。」

 思った以上に彼女の攻略は難しそうだ。諦めたわけではないが、誰かを想う人の気持ちを振り向かせるのは非常に困難だ。自分の印象は悪くはないと思う。いや、むしろ、その想っている男性がいなければ、振り向いてくれていたかもしれない。ただ、彼女に好きな男性がいるとなると、その男性のことを彼女が諦めるまで時間をかけて待つか、やや強引にでもこちらを振り向かせるか、のどちらかだと思うが、由利の性格から考察すると、後者のやり方ではないのは確かだ。

 「これは、時間をかけて待つしかないかな・・・」

 まあ、焦っても仕方ないことだし、時間は十分ある。とりあえず、由利とはキープ・イン・タッチ戦略、時間をかけて彼女の気持ちを掴むほかなさそうである。今のところは・・・・。

 それから数日が経ったある日、転機が訪れた。

 つい先日まで外出時にはコートが終日必要だったのに、今日の日中はジャケットもいらないくらい暖かい。でも、また寒さがぶり返す日もあるのだろうなと、カフェでテイクアウトの注文した熱いコーヒーを片手に、そんなことを考えながらオフィスに向かっていた。
 オフィスに戻るとデスクで先ほど買った熱いコーヒーを飲みながら、今しがた美香から届いていたメッセージを改めて読み直していた。由利の気持ちが、今は沈んでいるというメッセージだった。彼女の想う男性とは、まだ恋人関係というわけではないらしい。加えて、由利は彼と距離を取っているとも記述されていた。

 「さて、どうするかな?」

 この機を逃す手はない。こういう時こそ、攻めの一手だ。いつもながらではあるが、由利を食事に誘った。既に由利とは数十回も一緒に食事をしていることから、彼女からの返事も何ら隔たりなく、『今晩は何を食べましょうか?』と、彼女から気軽に訊いてもらえる仲まで進展はしている。いつも通り自分から、彼女へ場所と時間をメッセージに送っておいた。
 夕食時の彼女は、普段通りの彼女で落ち込んでいる様子見は見られなかった。軽い冗談話をすれば、楽しそうに笑い、話題が豊富な彼女からの話も沢山聞けて、いつもながらの楽しい夕食時間を過ごした。美香が言うような、由利の落ち込みを見ることはなく、美香の単なる思い込みなのではないだろうか?そう思わせた。

 「今日も美味しい食事、ご馳走様でした。あの、本当に今日もご馳走になってしまっていいのでしょうか?失礼でなければ、私も支払います」

 律儀な彼女らしい気配りだ。彼女の支払いますは、全額支払うって意味で言っているのだと察しがつく。

 「いつも食事を誘っているのは自分の方からです。何よりご一緒に食事していて楽しいですし、自分からお誘いしているので気にしないでください。付け加えて言うなら、自分の方が一回り近くも年上です。自分に払わせてください」そういうと、彼女は、姿勢を正し丁寧にお辞儀とお礼を言った。
 「差し支えなければ、ご自宅まで送ります」
 いつもありがとうございます、由利がそう言うと、駐車場へ一緒に向かった。
 彼女が、駐車場に停めてあった車の前で立ち止まり振り向いて「あの・・・・、」と言いかけると、そこで沈黙の時が訪れる。由利が、何か言いたげな表情で自分を見ている。
 「どうしました?」首をかしげて、彼女の言葉を待つ。
 彼女は、自分の方を真っすぐ見つめ直して一呼吸置くと、「私のこと、どう思いますか?」と聞いてきた。
 一瞬どういう意図の質問だろうと考えた。今まで過ごした彼女との時間は楽しいし、もっと一緒にいたいくらいで、別れがいつも名残惜しかった。彼女も、恐らく同じなんじゃないかなって思っている。なら、自分の思う素直な気持ちを、そのまま彼女に伝えればいいんじゃないか、と即座に思った。

 「素敵な女性だと思っています。広い知識が会話における話題も欠かさないし、その広い知識は好奇心旺盛で探求心があるからでしょう。あまり表立って出さないが、実は向上心もすごくある。他人を出し抜くではなく、自分自身を磨き続けるってスタンスなのでしょうね。だから、負けず嫌いっていうのもあるのかな、自分自身と闘うって意味で。気遣いは、ご自身に誇りと自信を持っているからでしょう。そんな風に由利さんのこと思っていますよ」

 薄暗い駐車場の電灯に照らされて見える彼女の瞳が、潤んでいる様だった。

 何も言わずに助手席のドアを開けると、彼女に“どうぞ”と手で乗車を促し、由利が乗り込むと気遣いながらドアを閉めた。
 エンジンをかけると、オーディオから音楽が流れ、ライトのスイッチをオンにすると、ヘッドライトが辺りを明るく照らし、シフトをDレンジに入れて、ゆっくりと慎重に車を発進させた。
 暫く彼女は黙ったままだった。彼女に聞かれた彼女自身のことについて、何も間違ったことは言っていないと思うが、いささか気になる。何か余計なことを言ってしまっただろうか?
 すると、彼女が沈黙を破る様に喋り始めた。
 「この曲良いですね。いつも、車で送ってくださる時にかけている色々な音楽、いつも良いなって思っているんです」
 「音楽の好みが合うのかな?」
 「だと思います。いつも車の中で流れている音楽、どの曲も大好きです」
 「気が合うね」
 「私たち、なんか似ていますよね、色々と」気にかけていなければ聞き逃してしまうくらいに、さらっと由利が言った言葉が胸元で鳴り響く。

 実際、由利と話をしていて共感することが多くて驚くことがある。もちろん、全てにおいて、そっくり同じとまではいかないが、互いの趣味嗜好に共通点が多いのは事実だ。

 「さっき、私のこと色々とお話してくれましたよね?あんなに私のこと理解してくれているなんて、すごく感動しました」

 そういって、彼女もまた自分のことを、さっき自分が彼女について思ったことと同じように思っていたらしい。

 首都高速の流れに乗ると、今の雰囲気にピッタリの曲が流れ始めた。彼女といる車内の空間が、自分と由利をシンクロさせる。運転席と助手席の物理的距離感は全く変わることないのに、お互いの距離がすごく近く感じるのが伝わってきた。

 「付き合ってくれませんか?」

 正面を向き運転しているが、助手席に座っている由利が自分を見ている視線を感じる。
 「こんなに人を好きになったことはありません。結婚を前提に付き合ってください」
 もう一度、今度はハッキリと彼女に伝えた。



 新緑が映える街路樹が清々しい休日、親しい友人の林健一と会って近況を報告しあった。
夕暮れ時ではあったが、ジャケット一枚でも十分過ごせるくらいの心地よい気候の中、テラス席で飲むビールは格別だった。
 会った直後の十数分は、お互いの仕事のことが主だった会話の内容であったが、直ぐに恋愛話へと切り替わっていた。

 「彼女との将来を考えているんだけど、踏み込む勇気っていうのかな、踏み切れる決め手っていうのが分からなくて」そんなことを語りながら、健一がビールを飲んでいる。
 「これだ、って直観じゃないかな。運命の人との出逢いもそうだし、結婚とか考えているので有  れば、理屈がどうのこうのじゃないと思う」
 「そんなもんかなあ。もっと現実的に、経済性とか、そういう数値的なものの最大公約数で決めるとか」健一がそういうと、またビールを一口飲んだ。
 「実は、自分も結婚を考えているんだ。来月、結婚しようと思う」
 「えっ?!来月??つい最近じゃなかったっけ?将人に彼女が出来たの?」
 慎重派の健一からしたら、自分の言っていることが、あまりにも突拍子すぎて目を丸くして聞いて来た。だから言ってやった、付き合いが長ければ、何かが変わるってわけじゃない。付き合いの時間が短くとも長くとも、変わらず同じなんだと思う、と。じゃあ、彼女のすべてが分かるのか?と健一が訪ねるので、眺めの良いテラス席で沈む夕陽を見つめながら、無数の水滴がしたたるグラスジョッキのビールを一口飲むと、

 「彼女は、まさに僕の半球体だと思う」

と、答えた。
 「その半球体ってなに?」
 「全てが自分と一致している、まるで自分の片割れみたいな相手。一緒にいて、しっくりくるとか、趣味嗜好が似通っているとか、そんな相手を半球体だと思うよ」
 並々と注いであったビールをグラス半分くらいまで飲むと、手に持ったグラスの泡立つビールを眺めながら、そう答えた。
 「じゃあ、その彼女が?」
 「そう、出逢ったのさ、自分の片割れ。半球体の彼女に」
そう言うと持っていたグラスを再び口元に運び、夕陽に透かした黄金色のビールを飲んだ。

 「そっか。自分はどうなんだろう。彼女は運命の相手なのだろうか?」
 「深く考えずに、心で決めなよ。共にこれからも時間を一緒に過ごすことができると思うなら、そうやって一緒に歩む未来が想像できるなら、きっと運命の相手だと思うよ」
 「そんな簡単に結婚って決められるものなのだろうか」
 案外簡単じゃないかな。将来共に、この人なら何があっても、何が起こっても苦難は一緒に乗り越える。それをお互いに出来ると思う人なら、その人がまさに結婚相手なんだと思う、そして、誰よりもずっと一緒に時間を過ごしたい人生の最後まで、そう友人に言うと、グラスを持って夕陽にかざした。

 「だから、決めたんだ。彼女以外、結婚相手は考えられないよ」

 夕陽にかざされたビールは黄金色に輝き、グラスについた水滴がキラキラと光りを放つ。そして、そのビールを一気に体内に入れて飲み干した。



 今晩の決戦会場に余裕を持って到着する時間を見通した上で車を走らせる。十分に間に合うように向かっているとはいえ、気分が高揚しているせいか、落ち着けと自分に言い聞かせながらも、いつもよりアクセルを少し多めに踏んでしまう。
開けていたサイドウィンドウから、車内へと入ってくる風にあたり、気分を落ち着かせると、再び運転席と助手席のウィンドウを閉めた。
 今晩これから起こること思うと心躍り、後方へ流れ過ぎて行く都会のビルの灯かりが流星の様に見え、いつもの景色がより一層幻想的で何もかもが美しかった。

 予定時刻よりも早く、レストランの駐車場に到着した。車を降りて建物の方に向かうと、古い洋館を改装したレストランが、建物以上に大きい池の中心に建てられている。池の周りには洋館に向けてライトアップされており、そのライトアップに照らされた洋館が暗みにある池の水面に反射し、合わせ鏡の様に上下の洋館を浮かび上がらせている姿がとても美しかった。
 彼女が行きたいと言っていたレストランだ。内装もモダンで雰囲気も良く、室内の雰囲気は全体的にクラシカルで落ち着く。
 先日、親しい友人と下調べを兼ねて此処に来た時、グラスジョッキのビールを飲みながら、プラトンの「人間球体説」の話をしたことを思い出した。あの日は、まだ時間帯的に明るかったので分からなかったが、夜になると、こんなに幻想的になるとは思っても見なかった。まさに今夜の金曜日の決戦にぴったりの場所だ。
 
 レストラン入り口の受付カウンターで予約名を告げ、給仕係の案内で眺めの良いプライベートテラス席へと向かう。
 今日は、ホールでヴィオラとピアノの生演奏がある。テラス席だが、このテラス席はホール空間との接続が良く、演奏の音が空間と馴染んで程よく聴こえてくる場所だ。予約時にレストランから演奏のリクエストも受け付けていると聞いていたので、彼女が気に入っている曲と、彼女に告白したあの時、車の中で流れた音楽の演奏を予め依頼しておいた。
 特別に用意したケーキとケーキを運んでくる際の簡単な演出を、どのタイミングで行うかフロアーマネージャーが最終確認にやって来た。実は明日、彼女の誕生日だ。 もちろん本来なら、誕生日を祝うのであれば、誕生日当日の方が良いに決まっている。だが、スケジュールの都合上どうしても今晩になってしまったので、今晩決行する以外、他にチャンスはないと思って決行することにした。フライングになってしまうが、過ぎてしまった日より、前日の方が幾分ましだろう。
 念入りに彼女の気にいっている物も調べていたが、最終的には自分で決めて、これ以外に考えられないというプレゼントも用意した。これで、今宵すべての準備は万全に整った。

 ダイヤの様に輝く都会の景色の彼方にはスーパームーンが現れて、これからの特別な時間に期待を募らせる。

 そして、時間通りに彼女がやって来た。
 今夜の彼女は、いつも以上に美しい。
 満面な笑みを浮かべてこちらに来る彼女は、僕の女神だ。
 今晩、幸運の女神を掴んで見せる。

 時が熟した。
 勝負の言葉を、心の中で何度も繰り返す。

 “僕と、結婚してください”