雲が月を隠す夜半過ぎ。


ひとつの人影が音もなく屋敷の門を飛び越えた。

少しして、それを追うように、もうひとつの人影が道路に降り立つ。



「おい」



後をつけた背の高い方が、低い位置にある肩を掴んで動きを止めた。



「ツクヨミだな」



雲が流れ、月が顔を出す。



「正解」



月明かりの下、振り向いたツクヨミノミコトは天原月海の顔で妖艶に微笑んだ。

火宮桜陰は逃げる様子のない彼女から手を離す。



「月海はこんなことできねえから」



「そうだね」



天原月海は、気配を消した移動も、塀を飛び越える脚力も持たない。

しかし、能力としてはあるのだ。

同じ身体を動かすツクヨミノミコトが為したことで、これは証明されている。



「月海の意識はあるのか?」



「いいや、ぐっすり寝ているよ。……だから今から私がする事を、彼女は知らない」



前髪や仮面で顔を隠す事で、天原月海はツクヨミノミコトと入れ替わりを行うが、今の彼女は顔を晒していた。

いつもならこの状態でツクヨミノミコトが表に出ることはないが、今、彼女は月海は寝ていると言った。

それは肉体でなく意識の問題。

片方の意識がなければもう片方が自由にできるというわけだ。


例えるなら、ゲームのコントローラー。

それを握っている方が主人公を操作する。

握っていない方は操作できないが、画面を見る事は出来るし、操作する人との会話も出来る。

時にはコントローラーを奪い合ったりするかもしれない。

今は奪い合う相手は寝ていて、自由に動かせる状態。

画面を見られる事はなく、話を聞かれることもない。



「あいつに見せられない事か。何をする気だ?」



彼女が悪事を働くなら、止めるのは桜陰の役目。

それは月海にも頼まれていることだ。

桜陰はツクヨミノミコトの一挙手一投足を注視した。



「客人だよ。君も一緒に会うといい」



彼女は桜陰の考えを知ってか、微笑みを崩さず同行を許可する。

一見、やましい事はなさそうだが、相手はツクヨミノミコト。

あれやこれで破壊や問題を起こした人物。

警戒するに越した事はない。

桜陰がツクヨミノミコトの表情の変化を逃さないよう見つめていると、ツクヨミノミコトも桜陰の顔を楽しそうに見つめる。


なんだろう、この睨めっこは。

と、桜陰は思っていたが、なんてことはない。

先輩の顔好きだなぁ、いつまでも見てられる。

と、ツクヨミノミコトは芸術を鑑賞する感覚でいたのだから。



「…………」



「…………」



しばらくして、音もなく気配も殺して小柄な影が近づく。

既に気づいているふたりは、それがすぐ側まで来てから、向き直った。

彼はパーカーのフードを外し、もさもさの髪を晒す。



「………すみません、お邪魔でしたか?」



「気にすることはない」



「………お待たせしました」



「今来たところだよ」



「…………」



神水流響が横目で桜陰を気にしているのに気付いたツクヨミノミコトは、安心させるように頷いた。



「害はない。よくぞ参った」



響は、それ以上聞く事はせず首肯する。



「こちらこそ、お時間をいただきありがとうございます」



「よい。利害の一致だ」



ツクヨミノミコトは懐から取り出した丸い手鏡を、響に差し出す。



「………あれは、各所から相当な恨みを買っているようだぞ」



響はそれを自身のポケットへ仕舞った。



「………だろうね」



自嘲気味に笑う響。


ツクヨミノミコトの纏う雰囲気が変わる。

正確には、月海の身体の操作権がスサノオノミコトに移った。



「………目的地へ送ろう」



ツクヨミノミコトの急な変化に驚く響の足下から、水が溢れて渦を巻き、瞬く間に響を飲み込んで消えた。

そこには水滴ひとつ残っていない。

過程を見ていなければ、先程までそこに人がいたとは思わないだろう。



「戻ろうか、先輩」



役目を終えたスサノオノミコトは引っ込み、ツクヨミノミコトが表に出る。



「私としては、このままデートも悪くないんだけどぉ」



「……そうだな、デートするか」



妖しく腕を絡ませるツクヨミノミコトは目を見開いて、桜陰を見上げた。

いつも有耶無耶にしていたから、受け入れられるのは予想外のことだった。



「………珍しいねぇ」



「お前には聞きたいことがある」



「…………うふふっ」



真剣な表情で見下ろされたツクヨミノミコトは、誘うように桜陰の耳元に唇を寄せ。



「スリーサイズは上から……」



「茶化すな」



べりっと剥がされた。



「乙女の秘密だよ?」



「それはお前じゃなくて、月海の個人情報じゃねぇか。それと俺はまな板に興味ない」



「わかった。先輩の好みの体型に成長してあげよう」



「そういう話じゃなくてだな……」



「この身体は成長期だからね。まだ間に合う」



「まだ、って………」



「術による肉付けではない、天然物だよ」



ウインクするツクヨミノミコトの顔面を鷲掴みにして、持ち上げる。



「それ以上余計なこと言うなら、オモイカネに報告する」



「もー先輩ったら意地悪なんだから。冗談だよ冗談、だからこの手を離してくれないかな? あと、オモイカネへの報告は無しで頼む」



早口での命乞いに、桜陰は手を離す。

片膝を立てて着地したツクヨミノミコトは、両手で己の頬を揉む。



「嫁入り前の女の子の顔に傷をつけるなんて。責任とって私のこと、もらってくださいね? ………んぎゃっ!」



上目遣いにイラついた桜陰は、彼女の尻を蹴飛ばした。

尻なら跡に残らないし、中身はツクヨミノミコトだ。

身体強化も綺麗に成功させているので、万が一はないだろう。

そのくらいの信頼はある。



「そろそろ本題に入ってくれ」



桜陰の真剣な眼差しに、ツクヨミノミコトはふざけるのをやめた。

ふたり並んで目的もなく歩く。

そして、しばらくしてからツクヨミノミコトは語り出した。



「………あれは、神水流家当主が巨大化した時のこと」