それをベッドの真ん中に置き、自分は端に座って「くるみちゃんもこっちおいで」と言って膝を広げた。



膝の間に座れって意味じゃないよね?
メールでは今日のことをデートと称していたけど、青先輩のことだからわざとだと思っていたのに。



「ここで大丈夫です……。暖かいし」
「親が3月に離婚するんだ。リビングすっからかんだったでしょ?」
「り、りこん?え、離婚?」



いきなりの話題に、私は少し青先輩に近づいた。
彼は後ろに手をついて、「うん、離婚」と明るく言った。




「そんな……」

「前にくるみちゃんが来たとき、リビングは掃除しやすいように母さんが物を置かないって俺言ったけど、実は引っ越しするせいだったみたい。俺が高校卒業するまで待ってたらしいけど、着々と引っ越し準備は進めてて、母さんだけ家を出るんだ」

「青先輩は?先輩はここから大学に通うんですか?」

「うん。都心まで電車一本だしね。そこから大学までバス。でさ、親のどっちもほぼ料理しない家庭だったから、外食とか冷食が多くて……。くるみちゃんの手作りお菓子はいつも嬉しかったよ」

「……よく撮ってましたよね」

「食べ終わったらなくなっちゃうからね。家ですごく見返してたんだよ」

「嬉しい……。あの、お母さんが出ていっちゃうのは大丈夫なんですか?」

「大丈夫じゃないって言ったら、どうしてくれる?」

「ど、どうって……。どうしてほしいんですか?」

「そばにいてほしい」

「そばに……」

「そんな顔しないで。ごめん。困らせたいわけじゃないんだ。ごめん」




うつむいた私の頭に手をポンとのせて、青先輩は手櫛で髪をとくように撫でた。



やっぱり青先輩は今日ふられることをわかっているんだ。
彼の薄幸そうな笑顔が眩しい……。
この後にふるなんて、血も涙もない女じゃないか。



「ほら、ジュース飲んで!ポテチ食べるでしょ?机出すね」



折り畳み式の机をクローゼットから出した。
立てた脚にも台にもキラキラのシールがたくさん貼られている。



「このシール懐かしいですね。私も小さい頃にこのアニメ見てました」
「お菓子のおまけシールだったのは覚えてる?俺はお菓子が欲しくて買ってたから本当はシールなんていらなかったんだ。でも、シール集めたいから欲しいって言わないと親が買ってくれなかったんだよ。食べ過ぎだって」
「昔からお菓子が大好きなんですね」
「肥満児になるからって、よくお菓子の制限されたなぁ」



私が少し笑うと、青先輩も安心したように笑ってくれた。
さっきの気まずい雰囲気に戻さないようにか、先輩は「おまけって、英語でthe cherry on the cakeって言うんだよ」と続けた。
「えー!かわいい言い方!」と私もノリノリで答えて、「チェリーといえばこの前、桜味のチョコを食べたんです。桜といえば、」と保冷バッグを開けた。



いい感じだ。
この流れでバレンタインチョコを出してしまえ。
ひんやりした空気を身にまとったそれを机の上に出した。



「受け取ってください」
「ありがとう!」



青先輩はとびっきりの笑顔を見せてくれた。
さすがお菓子の王国に住む甘党王子様だ。



「あけまーす」
「はーい」
「……くるみちゃん。さっきのthe cherry on the cakeはさくらんぼの意味だよ。さくらんぼのチョコかと思った。桜はチェリーブロッサムね」
「えへ」


ノリにノリすぎたようだ。



「食べるのもったいないけど、食べない方がもったいないから、まず写真に収めるね」



手作りプレゼントを撮ってくれるのは嬉しい。
桜の形をしたチョコをカシャ。
次に私の首に青先輩の腕が回ってきて、カシャ。



「撮るなら先に言ってくだい。絶対に変な顔してました」
「してない。かわいいよ」



チュッチュっと頬と鼻の上に口づけされてしまった。



「いただきまーす!…………ふまひっ」
「うまい?ビター味です」



二口めに掴んだのはしょうが味だ。
どーお?
青先輩が食べたがってたやつだよ。



「しょうがでしょ、これ。色んな味が堪能できるってわけだ!」
「せいかーい!」



味の当てっこゲームをして楽しんでいると、すぐに最後の一個になった。



「ラストは何味かな?桜の形だから、桜味?」
「いいえ」
「桜なのに?ああ、俺が卒業するから?」
「……」
「くるみちゃん?」
「……お別れにぴったりかなって」



切り出すなら今しかないと思った。
散るなら今だ。
ハートのように割れた花びらが特徴の桜。
そう思って選んだお別れの花。



「本命チョコじゃないんだね」
「義理チョコです……」
「ハートじゃないわけだ.。……この日にもらえるってことは、愛の誓いをし直してくれるって意味だと思ったよ」
「ごめんなさい」
「赤星が好きなの?」
「へっ?」



思いがけない質問に驚きつつも、それは違うと思った。
自分でもよくわからないし、今は青先輩のことでいっぱいいっぱいだ。
たとえ赤星くんという存在がいなくても、先輩のことはふったはず。



ここ数日、色々と理屈をこねて考えてきたけど、たぶん付き合うとは相手を独占できる権利だと思っているから、それができないなら合わないってことだと思った。
好きな人の体も心も独り占めして、私も独り占めされる。
束縛じみた恋愛を好むか、自由な恋愛を好むかの違いだ。



「赤星くんは無関係です。単に価値観に賛成できないってだけです。青先輩には私だけを見ていて欲しいんです……。青先輩に私以外の相手がいるなんて耐えられません……」
「くるみちゃんしか見てないんだよ。役割は人によって違うって話はしたよね?」
「それはその通りだと思いましたよ。でも、見ていてほしいのは……心だけじゃないんです」
「……」
「役割でいうなら私は……青先輩の彼女よりも……友達になりたいです」
「……」
「一緒に甘いものを食べに行く友達になりませんか……?」
「友達にはなれないよ……」
「……」
「と言いたいところだけど、ふられちゃったらそうなるしかないね……」



沈黙を破るように残りの一個を食べた青先輩が、「ん!クランベリー入ってるよね?」と渋い顔をした。



「苦手でしたか?」
「少し。ごめんね」
「ぜんぜんいいですよ。出してくさい」



少し遠くのティッシュに手を伸ばすとそのまま体を倒されて、青先輩が「口直しさせて」と覆いかぶさってキスをした。
上から乗られたら抵抗できるわけもなく、肋骨が少し痛むなぁと感じながら、今までで一番長いキスをした。



深く深く舌を絡ませていると、唾液が溜まってゴクリと飲んでしまった。
さっきまでのチョコ味は消えて、唾液はスイカっぽい味に変わっていた。
友達だからこいうことはもうやめたい、と考える理性的な自分と、赤くて瑞々しくて少しだけザラつく舌の感触がスイカに似ていて、「あと少しだけ食べていたい」と感じる自分がいた。



……これ以上流されちゃだめだ。



喉を鳴らし、ぺっと種を出すように舌を追い返すと、やっと唇を放してくれた。



「セフレなんか、体の関係なんか愛がなければ大したことないよ。経験すれば、くるみちゃんもわかってくるから……」



それは経験のない私でも少し理解できた。
青先輩への気持ちが離れていってる今このときでさえも、あともう少ししていたい、と感じるんだから。



「どいてください」
「……俺の目を見ながら、もう先輩なんか嫌いだって言ってみて」



上から見下ろす丸い瞳。
見ていられなくて、視線を跳ね返されたように目をそらした。



言えないよ。
嫌いにはなれない。
恋してたんだもん。
それは撮り魔に嫉妬もできないほどの小さな恋だけど、恋は恋だったから……。



どうして私が泣かなきゃいけないんだ。
目尻から流れていく涙を青先輩の手が追いかけた。



「おいで……」



そう囁かれると、その言葉を一身に受けていた頃のように甘くて優しい気持ちになれた。
これ以上深く求めないけれど、これ以上に離れるのもいやだ、というように舌が絡み合ってしまう……。



こういうことはもっと下品で派手なことだと思っていたけど、そうじゃないんだね。
慈しむように触れ合っていたこの時間も…………好きだったよ。





「私、青先輩のこと、好きじゃありません。ごめんなさい」





起き上がってこちらを見ている、見開かれたまん丸の目が潤んだ。
涙が落ちてくる前に、青先輩の胸を優しく押し返した。