教室に着くと、私は思い切って話しかけてみることにした。



「あ、赤星くん……。
さっきの口笛すごかったね」
「指笛な」
「どうやるの?」



赤星くんが右手の親指と人差し指で輪っかを作って口にくわえた。
ここではうるさいからか吹かないらしい。
私もそっとやってみたが、「フー」という息を吐いただけの音しか出なかった。



4限目の余った時間は、さっきの演劇の感想を書く時間だ。
配られた紙を目の前に、運命の赤い糸を回想してみよう。
この『運命の赤い糸』という成句は、実は中国の古典が発祥らしい。






物語の主人公は、縁談に失敗続きの男だ。
宿場先で奇跡的に縁結びの神様と出会い、
男は自分の運命の相手と、その相手と引き合わせてくれる赤い縄の話を教えてもらった。
でも、その男の相手はただの小娘だった。
男は自分に見合った女と結婚したがり、その小娘を使者に殺させた。
これで運命の相手は別の女へ変更され、14年後に見事結婚することができた。
ある日のこと、男は妻の額にある刀傷について尋ねてみると、少女のころに殺されそうになった時にできたものだと言った。
それは、あのとき自分が命令した使者が殺し損ねた運命の相手だったのだ。






あまりいいお話だとは、私は思えなかったけれど、印象的だったシーンは、運命の赤い『縄』がずっと男と運命の相手とで繋がっていたことだ。
これは縁結びの神様にしか見えないものだけど、演出上、可視化してあった。
赤い『糸』ではなくて、もともと中国では赤い『縄』だったらしい。
そして、それを結ぶ先は運命の相手の小指ではなくて、足首に結ばれていたのだ。



運命の赤い糸というのは、運命の相手とは赤い糸で結ばれている、ということくらいしか知らなかった私には面白かった。



そして、赤い縄は二人の仲を永遠に結ぶだけではなくて、二人を必ず引き合わせる決して切れない縄だった。



中国の赤い縄と西洋の結婚指輪が折衷した結果、足首から指になり、指ならサイズ的に縄じゃなくて糸に変化したのかな?
よし、わからないけれど、これも空白を埋めるために書いておこう。



中野くんが書き終えたのか席を立って、浜崎先生に見せに行った。
浜崎先生は、「書き終えた人は自習してください。読書でもいいですよ」とみんなに言った。



私は感想を書くのが苦手だし、書くのも遅い。
授業中にノートをとるときもゆっくり書いてしまう癖がある。
だから、急いで書きたいのに、登場人物の名前が思い出せない。



私は前の席の中野さんに声をかけようとしたけど、「カッカッカッ」とものすごい勢いでシャーペンと机がぶつかる音を聞いてやめた。
斜め前の岩井さんは違う子と話している。



真横の人を見ると、両脚をガバッと広げてシャーペンも持たずに、堂々と目を閉じている。
座り方が不良というよりワンマン社長だ。



「赤星くん。主人公の名前なんだっけ?」
「イコ」
「ありがとう」



すごい。覚えてるんだ。
隣の席の人は頭のいい人に限るなぁ。



「赤星くん。神様の名前なんだっけ?」
「ユエラオ」



これまたすごい。
不良青年に見えるけど、実は真面目くんなんだろうか?



「赤星くん。妻の名前はなんだっけ?」
「ワイフ」
「それ英語だよ」



何回も質問をするうちに、私は赤星くんのことをもっと知りたいと思った。
あそうだ。良いもの持ってるんだった。



「赤星くん」
「うっせーな」



そう言いつつ、こっちを見てくれた。



「これ、もらってほしいの」



差し出したラムボールの包みに、赤星くんは眉根を寄せたが、鼻がピクっと反応して、受け取ってくれた。
関節がゴツゴツした指でつままれたラムボール。



昨日は断られたのに、どうしてだろう?
でも、とにかく嬉しい。



「酒入ってんな。うめぇ」



赤星くんが笑った。
少し上がりぎみの眉と目が優しく下がって、綺麗な前歯が見えた。



「……今の」
「あ?」
「すごくすごく素敵な笑顔だった」
「は?」
「赤星くんって笑うと可愛いね!」



このギャップを3組のみんなは知ってるのかな?
知ったらギャップ萌えするんじゃないかな?
なんて思っていると、目の前に真っ黒い指がきて、おでこに痛みが走った。



「いたっ」



赤星くんがココアパウダーのついた手でデコピンしたのだ。
なにするの?と文句を言おうとしたら、赤星くんが紙を持って立ち上がった。
紙はほぼ白紙で、一行『よかった』とだけしか書かれていないように見えた。



「待って。『よかった』だけじゃ、ほとんど情報ゼロじゃないかな。何がどうよかったのか書かないと」
「書く義理なんてねぇだろ」



そう言って提出しに行ってしまった。
赤星くんは八ッキリと物を言う人だけど、感想を人に説明するのは不得意らしい。



席に帰ってきた赤星くんの手には、紙が無かった。



「とおったの!?」



私が浜崎先生の方を見ると、ちょうど黒板に明日の予定を書いていて、教壇に提出されている紙は確認していないようだった。



「先生をいかに欺けるかってことに、俺はかけてんの」



そういって背もたれにもたれかかり、机に顔を伏せることなくそのまま目を閉じた。



私はあきれて何も言えなかったけど、同時に興味を持った。
『よかった』、たったこれだけで先生に提出するなんて、私にはできないよ(したくもないけれど)。
度胸があることは確かだ。



「とんねーの?」
「え?なにが?」
「なんも」



それから何をきいても、赤星くんは目をつむって寝たふりを続けた。
よくわからないけれど、赤星くんが隣だと、これから面白い毎日になりそうだ!という予感がした。