ドキン……ドキン……と心臓が脈打つ。
このまま別れてはいけないような気がした。
何かもっと、彼との繋がりを探したい。

ソファから立ち上がり応接室の扉の前まで、ほんの数秒。陽茉莉は扉に手をかける前にくるりと振り向いた。

「あの、大変恐縮なのですが、水瀬さんのお誕生日を教えていただけませんか」

「誕生日?」

「はい。あー、えっと、私、誕生日収集癖があったみたいで。お会いした方の誕生日をカレンダーに書き込んで埋めるのが趣味なんです!」

どんな趣味だよ、と心の中でツッコむ。咄嗟の嘘は苦しいにも程があるが、陽茉莉は最後にどうしても亮平の誕生日を知っておきたかった。

「だ……ダメでしょうか?」

おずおずと懇願するように亮平を見れば、不思議そうに首を傾げつつも誕生日を教えてくれた。陽茉莉はそれを頭にしっかりとインプットする。

「ありがとうございます!」

大きく一礼をして陽茉莉は今度こそ応接室の扉を開けた。そこには長谷川が待っていて、陽茉莉にペコリとお辞儀をする。

「お帰りですか? エスコートいたしますね」

長谷川に連れられて陽茉莉は応接室を後にする。

陽茉莉の姿が見えなくなるまで、亮平はその後ろ姿を見送っていた。

応接室の扉をパタンと閉める。
はああ、と大きな息が漏れた。体が小刻みに震える。

本当は会いたくなかった。
陽茉莉に会ってしまえば愛おしい気持ちが溢れだす。
この手に掴み取りたくなる。

それをしないのは、陽茉莉に変な負担をかけさせたくないからだ。記憶のない陽茉莉に自分の存在を知ってもらおうなどと思わない。介助の必要な自分のことをもう一度好きになってもらおうなどと、おこがましい。

だけど――。

記憶がなくたって、陽茉莉は陽茉莉だった。
ありがとうございますと最後に見せた笑顔は、亮平が大好きで大切で誰よりも愛している、愛くるしい陽茉莉だった。

「うっ、……ううっ……くっ……」

誰もいなくなった応接室で、亮平はひとりむせび泣いた。
陽茉莉がいるのに陽茉莉は自分の手の中にいない。

そうしようと決めたのは自分なのに。
それが陽茉莉の幸せだと思うのに。
だから会わないと決めていたのに。

苦しい。
悲しい。
でも、嬉しい。

陽茉莉がこの世にいてくれて、そうして再び言葉を交わすことができて、嬉しい。

もう一度、陽茉莉に触れたい。

矛盾した亮平の気持ちはふわふわと宙を彷徨い行き場を見失う。
答えは見つからない。
見つけられない。

伸ばした手は(くう)を切った。