しばらくするとコンコンとノックがあり、一人の青年が入ってきた。彼は質の良さそうなスーツにきっちりとネクタイを締めており、そして車椅子に乗っている。

すっと通った鼻筋に切れ長の目、きゅっと結ばれた唇。男性なのに綺麗だなどと思うのは、彼が少し儚く見えたからだろうか。

「どうぞ座ってください」

「はい。ありがとうございま――」

「あ、そのソファ思ったよりも沈むから気をつけて」

「あ、はい。……ほんとだ、フカフカですね」

陽茉莉は手のひらでソファをぎゅっぎゅっと押す。

何だろうか、このデジャブのような光景は。亮平だけがそれを感じていて、陽茉莉は違う。以前の陽茉莉と重なるのに目の前にいるのは亮平のことを覚えていない陽茉莉。

その事実が亮平の胸に深く突き刺さる。

本当は会いたくなかった。
なのになぜ訪ねてきたんだ。
なぜここに通したんだ。

長谷川の計らいに文句を言いたい。苦しくて悲しくてもどかしい気持ちが亮平の頭の中に黒いモヤを作っていく。どうしようもなく泣きそうになる気持ちをグッと堪えた。

「……今日はどんなご用件で?」

「あの、私記憶がなくなってしまって、でも水瀬さんの名刺を持っていたのでどんな関係だったのか教えていただけませんか」

まっすぐな瞳は亮平をしっかりと捕らえた。
自分は亮平とどんな関係があったのか。名刺と共に大切に引き出しに入れられていた指輪は誰からもらったものなのか。指輪に刻まれていたRは亮平のRではないのか。

真実が知りたい。
失った記憶を取り戻したい。

亮平に会えばそれがわかるのではないかと思った。

亮平はつと視線を外す。ゆっくりと瞬きをした後、再び陽茉莉を見つめた。

「……仕事、ですよ」

「お仕事ですか? この会社とレトワールが関係あるということですか?」

「弊社はマーケティングを得意とする会社ですので、御社の案件を担当したこともあるのです。その際に名刺をお渡ししたかと」

「マーケティング?」

「ええ。市場動向を予測して客先のリスク管理や投資戦略をサポートする仕事です」

ああ、いつだったか。同じ事を陽茉莉に説明したことがあるなと亮平は思い出した。そのときは、こんな事になるなどと微塵も思わなかったのに。

陽茉莉はよくわからず首を傾げた。

だとしたら亮平の名刺は陽茉莉だけではなく店長や結子、遥人も持っていてもおかしくない。だけど陽茉莉の部屋の小さな引き出しの中に、指輪と共に入っていたのだ。関係がないなんて思えない。

それなのに目の前の亮平は事務的に淡々と述べた。それが事実なのか、信じて良いものなのか、陽茉莉は判断できなかった。ただ、妙な違和感がささくれ立った棘のように心に引っかかる。けれど記憶のない陽茉莉はどうすることもできない。

「……そう、でしたか。お時間いただきありがとうございました」

「いいえ、お会いできて……嬉しかったですよ」

事務的だった言葉の端に少しだけ柔らかさが含む。とても悲しい目をした亮平から、目が離せなくなった。