どうやらパティシエとしての技術は忘れていなかったようで、長峰に教えられればすぐにこなすことができた。道具や材料の置き場も、「そうだった」とすぐに思い出せた。

「これはこう、ですよね?」

「……なんか調子狂う」

「えっ? 間違えちゃいましたか?」

「いや、矢田さんは俺の先輩だからタメ口でいいですし、いつも俺が教えてもらう立場だったから、変な感じですね」

「そう……だったんだ」

「そうなんですよ」

陽茉莉は無性に嬉しくなった。

以前の陽茉莉のことを教えてくれる人は誰もいない。みんな気を遣っているのか、話してくれないのだ。だからこうして断片的にでも自分のことが知れるのがとても嬉しくてわくわくする。やはり自分は過去のことを思い出したいようだ。

「じゃあ、前みたいにタメ口で話してもいい?」

「いいですよ。ちなみに名前は長峰さんじゃなく、遥人くんって呼ばれてました」

「遥人くん」

ごくり、と遥人は息をのんだ。
遥人くんと呼ばれていたなんて嘘だ。本当は長峰くんと呼ばれていた。まさかそんな素直に名前を呼んでくれるとは、やはり陽茉莉には記憶がないのかとガックリすると共に、少しの罪悪感と少しの悦びが遥人の心を複雑に締めつける。

「あ、……あー、すみません、冗談です」

「冗談?」

「本当は長峰くんって呼ばれてました」

「えっ?」

「すみません……」

遥人は口元を押さえてふいと目をそらした。
自分の浅ましさに嫌気がさす。
けれど――。

「そっか。じゃあ今日から遥人くんって呼んでもいい?」

ふわりと微笑む陽茉莉は以前と何も変わらない。優しくてあったかくて、簡単に人の心を掴んでいく。

「岡島さんのことはなんて呼んでたんだろう?」

「結子さんっすね。仲良かったですよ」

「そうなんだ、嬉しい。私ね、自分のことが知りたいの。だからいろいろ教えてもらえると嬉しいな」

「あー、いいですけど。まあ別に記憶がなくたって、俺にとって矢田さんは前と変わらない大好きな人ですよ」

「…………」

「だから、気楽にやってください」

「あ、うん。ありがとう」

どうしたのか、なぜか鼓動がドキンドキンと速くなる。ふと思い出す、自分の部屋で見つけた高価な指輪。あの後いろいろ考えてみて、もしかして恋人がいたのでは……という結論に達した。

けれどそれは誰も教えてくれない。
だからますます気になってしまう。
自分はどんな人生を歩んできたのか、知りたい。
思い出したい。