「・・・・・さっき、何飲ませたんだ」

じろり、と恭弥は私を睨んだ。
目はちょっと潤んでいる。いつもの意地悪な目からは想像できなかった。

私は手の中の瓶をぎゅっと握って、ゴクリ、と唾を飲み込んだ。
まさか、惚れ薬飲ませました、なんて、言えない。

(・・・・・私が恭弥を好きみたいになっちゃうよね)

今更だけど、惚れ薬を飲ませました、なんて聞いたら、自分のことが好きなんだと勘違いされてしまうだろう。
いや、全然、そんなことないんだけど!
と言い訳するのも苦しい。


「え〜〜〜っと・・・・・あれ、・・・・・スポーツドリンク・・・・みたいな?」
「なんで」


視線をあちこちにチラチラ向けて、私は黙った。
冷や汗がどっと出てくるのを感じる。



「あ〜〜〜〜、あれ・・・・・・・。恭弥の目を・・・・・・・・・見たくて」



・・・・・・・・何言ってるんだろう、私。

これならまだ、嫌がらせのために惚れ薬飲ませました、って言う方がマシ。
私はうつむいて、唇を噛み締めた。
絶対言葉を間違えた気がする。


恭弥は赤い顔のまま、ごくり、と唾を飲み込んだ。


「それって、どういう意味」


ぽつり、と恭弥が呟く。

・・・・・そんなの、私が聞きたいよ・・・・。
とも言えなくて、ただ、ううん、と唸った。

・・・・・これ、絶対、勘違いされてるよね。
私が、恭弥を、好きだって。


そして、めんどくさいことに、恭弥は今、私が好きなのだ。惚れ薬のせいで。
・・・・つまり、恭弥の中で、私たちは両思いになっちゃったのだ。


なんて返せばいいのかわからなくて、ただ黙っていた。気まずい沈黙が教室に落ちる。
ばくばくばく、なんて嫌な心臓の音が耳元で鳴ってるみたい。
ぎゅっと小瓶を握りしめて突っ立っていると、ガラリと教室の扉が開いた。


「あれ、お前らまだ残ってたの」


私たちはハッと扉の方に視線を向ける。ヤマセンだった。
気まずい空気がちょっと軽くなって、私は急いで机に引っ掛けていたリュックを掴んだ。


「もう帰ります、さよーなら」


急ぎ足で教室を出た。
これ以上恭弥と同じ空間にいると気まずくて気まずくて息ができない。

廊下にたくさんいた他のクラスの人たちはもういなくなって、学校全体が結構静まり返っていた。
パタパタパタ、なんて足音だけが響く。
階段を勢いよく降りて、もうすぐで下駄箱に辿り着く。


「待てよ、杏奈」


ぐいっと、いきなり手を引かれた。
わっと振り返ると、やっぱり手を引いたのは恭弥だった。


「・・・・・・さっきのって」


下駄箱の周りにはちらほらと他のクラスの子達がいる。
ちらり、私たちを見て興味深そうに見てきた。

・・・・そりゃ、学校一のモテ男の恭弥が、普通の女の子の私の手を掴んだら、気になるよね。
注目を浴びるのが恥ずかしい。

けど、恭弥の手は力強くて、振り解けなかった。廊下で立ち尽くして見つめ合う。
ただ黙っていると、恭弥は頭を掻いて、バツが悪そうに呟いた。


「・・・・・・帰ろうぜ、一緒に」


恭弥は自分の下駄箱から靴を取り出して履き替えた。
私もしぶしぶと靴を履き替えて、ちらりと恭弥を見た。


・・・帰り道はほぼ同じだ。
私たちの家は、歩いたら20分くらいの距離にある。自転車ならもっと早い。最寄駅は一緒だし。


だから、こうなった時点でもう私は詰んでる。

チラリと私の方に目配せをして、恭弥は歩き出した。



◇◇◇



学校から駅までの道を、恭弥と二人で歩いた。
恭弥の一歩後ろを、少し猫背になって歩いていた。

ひび割れたアスファルトをじっと見て、あんまり視線をあげないようにする。目を合わせたくない。
視界の端に恭弥の靴が映るようにして歩いていればぶつかることもないし。

学校から駅までの道は、車道も歩道も区別はない。田舎だから。
だから、急に後ろから車が来たりするし、自転車がくることもある。
スレスレの距離を黒い車がゆっくりと通り去った。
シャッターが閉まってもうすぐ潰れちゃいそうなお店の横を通って、私たちは歩いていた。

なんも会話が生まれない。
こんなこと、幼馴染歴10年でなかった。
だって、私たちの間に、色恋が入ることがなかったから。
なんでも気軽に喋れた気がするのに、なんも思い浮かばない。


「杏奈」


恭弥の声に、びくり、と肩を震わせてしまった。
視線だけを上げると、恭弥が振り返って私を見つめる。
ばちり、と視線が合う。さっき惚れ薬を飲ませた時の顔が思い返された。


「俺さ」


車がまた横を通る。ブレーキの音がうるさい。
避けるように退けて、視線がそらされた。ほっと息を吐いて、小さく歩き出す。
次の言葉を聞くのが、ちょっと怖い。


横断歩道で、赤信号になった。車が勢いよく走る音が響いた。
私たちは並んで足を止めた。
恭弥は私をじっと見て、強い声で言った。


「お前が好きなんだけど」


どくん、と、私の心臓が鳴った。

私はブワッと顔が熱くなる。どくどく、どくどくと、脈が早くなるのを感じた。
リュックの紐をぎゅっと握る。


恭弥は、真剣な目をしていた。
一生懸命というか、いつもの意地悪な顔は全くなくて、ただ必死な感じがした。
唇をぎゅっと結んで、ちょっと頬が赤くて、スポーツバッグをぎゅっと握りしめていた。



・・・・・・・告白、じゃん。

告白、なんて、人生で初めてされた。
・・・・・しかも、恭弥に、なんて、全然想像もしてなかった。

いつもはバカにしたように見下してくるのに、目の前の恭弥は、私に縋り付くように見つめてきた。
瞳の力が、強くて、熱い。

どくどくと、想いが伝わってくる。

『好き』という気持ちが。




(・・・・いや、これは惚れ薬のせいなんだけど。)


つい忘れてしまいそうになる事実を思い出した。
ぎゅっと胸の奥が少し痛んだ。



「付き合おうぜ、俺たち」


恥ずかしそうに、照れたように、でも、
恭弥が、どことなく私の目を、探るように見つめた。

どことなく、恭弥が不安を感じているように見える。
・・・・・あの、意地悪でムカつく恭弥も、勉強もスポーツもできる恭弥も、不安を感じるのだろうか。


私はぎゅっと唇を噛んだ。
恭弥が不安を感じるなんて、思いもしなかった。


・・・・・ここで、振ることもできる。

けど

いくら惚れ薬のせいとはいえ、今この瞬間の、じっと私を見つめる恭弥は、
私のことが、確かに好きだった。

それくらい、恭弥の表情は、真剣だった。




「・・・・・・・・一ヶ月!!!」


私は大きな声で叫んだ。



「一ヶ月、だけ、なら、いいよ」

はぁ、と息を切らすように続けた。


恭弥はポカン、とした顔になった。力が急に抜けたみたいに。


「なんで一ヶ月?」
「え・・・・と」


一ヶ月経てば、惚れ薬の効果も無くなるから、
なんて言えなかった。


「・・・・・・だって、好きじゃ、なくなるかもしれないし」


かも、って言うより、そうなるってわかってるからだし。

「・・・・とりあえず、一ヶ月、お試し期間みたいな。・・・・・・お互いを、知るのも大事でしょ」

私は小さく、続けた。ちょっとしどろもどろになる。


お試し期間、で終わってしまうのはわかっている。
本当は、付き合わない方がいいのかもしれない。


ーーーーーーーーーだけど。


真剣に告白してくれた恭弥を、あんまり傷つけたくなかった、というのが一番で。
あんなに嫌いだったしむかついてたけど、やっぱり幼馴染だったから。


(・・・・・惚れ薬なんか飲ませなきゃよかった)


後悔先たたず、とはこのことだ。
私は何も考えないで惚れ薬を飲ませたことを反省した。
人の好意を踏み躙ることは、できなかった。
私のせいなんだし。

惚れ薬の効果がある一ヶ月だけは、応えてあげようと思った。



恭弥は眉根を寄せて、少し機嫌が悪そうに言った。

「・・・・・・俺は、お前のことは昔から知ってるし。・・・・・・・好きじゃなくなることも、ない」


ぽつり、とこぼされた言葉は、無性に私の胸に刺さった。
すごく寂しそうな響きだった。


恭弥は、はあ、とため息をついた。
そのまま、頭に手を当てて、うん、と唸る。


「・・・・・でも、まあ、一ヶ月、か。わかった」


キッ、と、強い視線を私に向けた。
私はどきり、と心臓が痛んだ。ぎゅう、と胸が締め付けられる。


「一ヶ月でいい。付き合おう、杏奈」