「──生理的に無理でしたの」
 
 わたくしこと悪女レオリナは、聖女セレスティアのことが大嫌いだった。
 
 その輝くような美貌をはじめて見た時。
 「あ、無理だな」と思ったことを今でも覚えている。
 後光のさす美貌はまさに天の創造物で、嫉妬するだけで己に天罰が降りそうなほどの「聖」を感じさせた。
 彼女が細い片腕を上げれば、それは宗教画となり。
 その甘く清潔な声が響けば、呪文など唱えなくても人々の傷は癒えるようだった。
 
 その一方で。
 牢獄に繋がれ乾いた喉で忌々しげに喋っているわたくしの声は……まさに悪女。
 いわゆる「綺麗だけどなんか強そう」「なんかキツそう」というやつで、女ウケはするけれど男からは苦笑いされたりする声だった。
 
「……ふふ。どうして人間は産まれてくる時の容姿を選べないのでしょう?」
 
 わたくしは、顔つきも体つきも声も色合いも、すべてが強そうだった。
 なにしろ、体は筋肉質かつグラマラス。
 白桃色のやわらかな髪をした聖女に対して、こちらは強くウェーブした豪奢な黒髪。
 強く気高いのの何が悪い。
 なにが不満だと、そう思ったりもするのだが。
 
 ただ……「淡く儚い聖女」と「気の強そうな黒髪女」のどちらに生まれ変わりたいかと言われれば、「本音」は……前者を選ぶ女がまぁまぁ多いだろうと、思う。
 その方がオンナの喧嘩には勝ちやすいと、女は知っているからだ。
 
 さて。
 鎖に繋がれたまま語るわたくしの前で、大きな黒い塊が小さく笑った。
 黒い塊──そう見えるほどに黒づくめの、長身巨躯な美丈夫だ。
 男は目を細め、カフェラテのような、低く甘みのある声を発した。
 
「ふぅん。じゃあ君は、その聖女に嫉妬してたから生理的に無理だったってこと?」
「いいえ。同じ女として透けて見えるものがあるから嫌いだったのですわ」
「透けて見える?」
「自分がどう見えるか分かって振る舞っている時点で、天然とは程遠いということですわ」

 聖女暗殺未遂の罪で投獄された女の話を面白がって聞きに来たこの男は、その名をディノと言う。
 世間を騒がせている巨悪、いわゆる「魔王」というやつらしい。
 ご多分にもれずイケメンである。
 人を誘惑するために作られたような甘い顔立ちをしているくせに、愉快そうに細めた目が絶妙に男っぽい。
 
「貴方のことも嫌いですわ。自分の見え方をよく分かっている人の表情をしてますもの」
「え。どんな顔してる?」
「イケメンは最終的に許されるって顔ですわ。デカイ体でぶりっ子しても許されると思ってますわね」
「んー……まぁ事実だしなぁ」
「そら見なさい」
 
 黒い魔王は「ひどー」とケラケラ笑った。
 楽しそうなのがまた不愉快で、軽く睨んで見上げてやる。
 両腕に繋がれた鎖がカチャカチャと耳障りな音を立てた。
 魔王がくすりと笑う。
 
「そんなにカリカリしないでよ。お話聞いてあげるって言ってるのに」
「話すことなんてございませんわ」
「どうして? 俺の同情を引けたら助かるかもよ?」
「別に助かりたくなんてありませんもの」
「どうせ理解して貰えないからって?呆れるほど幼いな」
「っ!」
 
 笑顔のまま突然突き出された鋭い毒に、不覚にも体が揺れた。
 辛うじて視線は外さなかった。
 愉快げな形をとった美しい瞳と、じりじり視線が合い続ける。
 
「聞いてあげるからさ、話してみてよ。どうして王国側の人間である君が聖女を殺そうとしたのか」
「……話す義理はございません」
「暇でしょ」
「いいえ、これでも忙しいんですのよ。次はどうやってあの女を殺してやろうかとたくさん考えてますの」
「わ、悪女の鏡だね。ここから脱獄するつもり? そこまで聖女が嫌いなの?」
「嫌いですけれど。でも脱獄はしませんわ。──次というのは来世の話です。わたくし“ループ”しておりますの」
「……」
「いつか必ずあの女を殺して、サッパリ大往生してやりますのよ」
 
 どうせ死ぬのだからと、取り繕わずにぶちまけてやった。
 信じてもらえなくても一向に構わない。

「ループ……って、おとぎ話に出てくるようなやつ?」
「ええ。わたくし、ある程度生きては死んで巻き戻り、また生きるのを繰り返しているのです」
 
 巻き戻っては死に、巻き戻っては死に。
 その度にあの女をどうにかしてやろうと足掻き、こちらが殺られる前にと、まるでタイムアタックのような試みを敢行してきたが……負けっぱなしだった。
 
 そんなループのきっかけは、一番最初の人生。
 その最期の日だった。
 
「最初の人生でわたくしは聖女一行と共に旅をしていました。魔王ディノ……そう、貴方を討伐するための旅です」
 
 500年前にこの世に現れた魔王ディノは有史以来最強の魔族だった。
 その力はあまりに強く、各地の龍脈に存在する古代遺跡の封印装置を全て使うことで、封じることが出来るほどだったと言われている。
 
 そんな伝説がいよいよ風化して消えそうだったこの世界で、とある日、封印装置の約半分が突然自壊した。
 恐らくは魔王の力に内側から負けたのだ。
 当然魔王は眠りから目覚め、この世界に表れいでた。
 急ぎ討伐隊が組まれた。
 防衛軍とは別の──少数精鋭の部隊だ。
 討伐隊の任務は聖女を隠して守り抜きつつ、各地の遺跡を最速で巡って魔王の封印を施し直すこと。
 そうして完全復活を阻止し、今度こそ滅するという計画が打ち立てられたのだ。
 
 そんな旅の途中で。
 私たち「聖女ご一行様」は伝説の装備が眠るという遺跡の罠にかかり、地下の石室に閉じ込められた。
 その部屋には祭壇があり、古代文字でこう書かれていた。
 
「“清らかなる乙女を古代の神に捧げよ、さすれば救われん。”……つまり処女を殺して捧げろというのが脱出の条件でしたわ。キモイですわよね。……まぁともかく、一旦は皆、悲壮な顔でセレスティアに目を向けたのですけれど」
「ですけれど?」
「結局わたくしが生贄になりまして。そうして皆が脱出したあと、遺跡の神から“自分にはもう愛する嫁がいるしなんか哀れだからやり直すチャンスをやる”と言われて……そうして雑なループが始まったのですわ」
 
 処女厨な古代神の力は絶大だった。
 古代神の力の及ぶ限り、わたくしが「不幸な死」を自覚するたびにループでやり直せるようにしてくれたのだ。
 ループ開始地点は、聖女パーティ出発の日の朝。
 全員で王城を出た、その一歩目から始まる。
 
「不幸な死を迎えるとループ、かぁ……」
「まったく、嫁ができていたのなら嫁募集の祭壇など撤去しておけと言いたいですが……ま、チャンスを与えてくれたのには感謝してますわ」
「ふうん」
「世の中には不思議なこともありますわね」
「そうだね。──ところでさ。何でその時君にお鉢が回ったの?」
「……」
「最初は聖女セレスティアに処女生贄の矛先が向かったんでしょ? つまり君は最初の人生からふしだらな悪女だと思われていた……。そう見られたまま生贄を嫌いな女に押し付ければよかったじゃない。どうして君が生贄になる羽目になったわけ?」
 
 ──面倒くさい。
 
 面倒くさいなぁ、この男。
 そう思いながらわたくしは説明した。
 
「そんなの決まってますでしょう。評判の悪かったわたくしとて、貞淑な貴族の娘だった。つまり生贄はわたくしでよかったという話です」
「うん。で、どうしてセレスティアじゃダメだったの?」
「……ですから、わたくしでもよかったわけで」
「聖女セレスティアではダメだった訳だ?」
 
 嫌な男だ、こいつは。
 ほんのりとそう思いながら、わたくしは嘘をつく必要もないとため息をついた。
 
「聖女の子孫が欲しい国は、この世界にどれだけあるでしょうね」
「そりゃ世界中のすべての国だろうね」
「ええ。そして世界中からありとあらゆる“良い男”が送り込まれても反応しない女がいたとしたら、それはむしろ歪でしょうね」
「あらまぁ」
 
 隣の奥さんみたいな驚き方をした魔王は、また目を細めてケラケラと笑った。
 
「聖女ってさ、君の王国の十一歳の皇太子と婚約してなかったっけ?」
「ええ、してますわね」
「皇太子はまだ戦闘能力がないとかで、旅に同行してなかったよね」
「ええ、そうですわね」
「うはは! あ、あと確か……聖女の究極の御業ってやつは、神の嫁でないと使えない。つまり処女じゃないと使えないよね」
「使えないですわね」
「アッハハハ! は~、凄いゴシップだな。それ他の誰も知らないの?」
「さぁ。知りませんわ」

 そのループがどうなっていたって別に興味は無い。
 魔王を滅することが出来なくて滅びたのだとしても。
 既に去った世界のことなど、知らない。

「はーおもしろ。やっぱり話を聞きに来てよかった」
「お気に召したなら何よりです。ではさようなら」
「え?まだ帰らないけど」
「……」
 
 こちらは残り少ない体力を振り絞って会話しているというのに。
 イラッとしたが、わたくしはなんとか貴族らしい言葉遣いを保った。
 ループでさまざまな旅をするうちに俗な語彙が増えてしまったのだが、誉れ高い貴族としては、どんな状況でも慎まねばならない。
 
「まだなにか御用ですの」
「御用あるある。二周目のループの君はどんな末路を辿ったの?」
「……」
「……」
「……」
「帰らないよ?」
「はぁ。溺死でしたわ」
「うわカワイソウ。聖女ご一行様と一緒じゃなかったの」
「一緒でしたわ。でも……前世知識で一ループ目の遺跡の罠を回避した後、今度はパーティが沼地の化け蛙に襲われましたの」
「化け蛙……あぁ、デグロックかな」
 
 デグロック。
 それは人の五倍は大きい化け物カエルのことだ。
 秘境と呼ばれる奥深い沼地に群れで住み、余程のことがない限り人前には出てこない。
 
「どうしてデグロックに溺死させられたの? あいつらは縄張りでも荒らされない限り温厚だけど」
「どうしてもメシアの蓮の花が必要だと、聖女が申しましたの」
「……あー……」
 
 “メシアの蓮の花”
 それは、古代の大聖女と呼ばれる存在が愛していた花の名前だ。
 神ですら自らの創造物であるその花に魅了されたと言われるほど美しい花で、あらゆる邪を退け、この世の罪や穢れを洗い流すと言い伝えられている。
 
「綺麗だから欲しいのかと思ったら、なんでも魔王討伐のためには必ず必要だとかで。要らないと思うと進言しましたけれど、結局沼地の奥まで採りに行くことになりましたの」
「なるほどねぇ。聖女サマは自分の罪に心当たりがありまくりだろうし、藁にもすがりたいか……。蓮の花を身につければなんとかなると思ったのかな。で、途中でデグロックの群れに襲われたと」
「ええ」
「あいつらよく食うくせに、弱かった頃の習性で、群れではなく個体で動いているものを優先して追いかけるんだよね。つまり、一人が囮になれば楽な訳だけど」
「……」
「なったんだ、たったひとりの囮に?」
 
 そう、わたくしが囮になることになった。
 なぜならパーティーメンバーから頼まれたから。
 
 そうため息を吐いた瞬間、魔王が小首を傾げた。
 
「どうしてそんな羽目になったの?」
「……嫌われ者の悪女だからですわ。なにか疑問でも?」
 
 そう吐き捨てると。
 魔王が──ひんやりと美しく微笑んだ。
 
「君が真に悪女であるわけが無い。危険しかない魔王討伐の旅に同行し、お嬢様の生活を捨てたんだ。義侠心があるじゃないか」
「権力欲にまみれた実家から、聖女に負けるな実績を作れと言われていただけですわ」
「責任感が強いんだね。逃げ出しても良かったのに」
「逃げてなんになりますの?わたくし、無様にコソコソ一人で逃げて貧民の暮らしをするなどまっぴらですわ」
「匿ってくれる男の一人や二人いなかったの」
「いませんわ。悪女と言えど貞淑でしたので」
「ふーん……悪女ってなんだろ。定義がわかんなくなってきたな。ね、君ってホントに悪女なの?」
「……そこはどうでもいいでしょう。とにかくわたくしはデグロックの群れの囮になって死にました。さて、お望みなら三週目のお話しをしましょうか」
「どうして囮に選ばれたのかが知りたいな」
 
 ……本当に。
 本当に、嫌な男だ。
 
 わたくしはそう思いながらも、しかたない、と推察を述べることにした。
 
 ──まず前提として。
 聖女ご一行様は以下のようなメンバーだった。
 
 筆頭、聖女セレスティア。
 戦士ラキアス。
 重戦士のドム。
 魔術師マーリン。
 賢者ダイム。
 錬金術師のシシ。
 
 そして、魔法剣士のわたくし。
 
 この中で最初からわたくしに激しい敵意を燃やしていたのは、戦士ラキアス、重戦士ドム、魔術師マーリンの三人だった。

 セレスティアに特に惚れている男たちだったし、おそらく、「魔法剣士」という良いとこ取りなわたくしの特性が専門職の癪にでも障ったのだろう。
 三人はパーティ内で最も結託しており、わたくしの排除に積極的だった。
 
「ああ、でも誤解しないでいただきたいですわ。囮になれと言われた時、わたくしは拒否しませんでしたの」
「……」
「女だてらに聖女ご一行様に入れるくらいですわ。 わたくしは強いのです。……ひとりでも逃げ切れると思った。ブーストの魔法も使えますし、追いつかれても銀の剣で切りつけることが出来る」
「そう」
「いくらでもやりようはありましたわ。ちょっと相手が強すぎて……沼に引きずり込まれて死んでしまいましたが、考えてみればあの下らないパーティとずるずる旅を続けるよりはマシでしたわね」
「なんて言われたの?」
「……」
「──たったひとりで囮になる時、どんな風に頼まれたの?」
 
 嫌な男。
 嫌な男、嫌な男、嫌な男、嫌な男!
 
 そう思うのに。

 それなのに……。
 
「……」
「教えて」
「…………っ」
「知りたいな」

 悪い魔法みたいだ。
 目を閉じて、震える息を吐く。
 
 言いたくない。
 
 本当に、言いたくない。
 自分の気持ちのために。
 ……嫌な気持ちを思い出すから言いたくない。
 
 惨めな気持ちを思い出すくらいならば。
 わたくしは「悪女 」でいたいのに。
 
 そう思うのに。
 
 真っ黒な大男が──目の前にうやうやしく膝をついた。
 
 重厚な布が擦れる音と共に、なびいたマントからふわりと良い匂いがする。
 男が、ビクリと震えたわたくしの頬に、大きな手を優しく添える。
 そうして深い声で、「教えて」と囁いた。
 乞い願うように。
 
「……言いたくありません」
「どうして?」
「どうしてどうしてって、子供じゃないんですから」
 
 拒否を示すが沈黙が返ってくる。真っ直ぐな目線が突き刺さる。
 「言って」という優しい圧力だ。
 最初は鋭く返していた視線を、今はもう合わせられない。
 なのに、下を向いたわたくしの顔を、男がぐいっとあげさせた。
 
「言え。ほら」
「っ」
「そうだなぁ。言わないとチューしちゃおうかな。てかするね」
「言うからおやめなさい!?」
 
 慌てたわたくしは叫んだ。
 
「ひ……“ひとりでも君は大丈夫だろう”って言われましたの! だからひとりで任されましたの!!」
「……」
「……っ」
 
 口に出して、やっぱり後悔した。
 
 だってこんなの。
 こんな言葉を言われて、嬉しい女など。
 
 ……。
 
 あるいは。
 「君ならひとりで任務をこなせる。信頼している」と心から言われたなら、わたくしは胸を張って戦っただろう。
 
 だが残念ながら、「君はひとりでも大丈夫だろう」という言葉の中には、そういった信頼や尊敬は含まれない。
 
 あるのは、気が強い女を可愛くないと思い遠ざける心。
 あいつならどうなってもいいと、面倒事を押し付ける適当さ。
 さらに「君“は”」という表現には、セレスティアはそうではない、守るべき女性だという比較のメッセージも含まれている。
 
 そんな言葉を吐き捨てられて、死地に向かわされて、平然と戦える人間は少ない。
 
 魔王が──笑みの形のままスゥーと目を細めた。
 感情が読みにくい。
 
「可哀想だね」
「──っ!」
 
 カッと怒りで血が登った。
 
 そういう侮辱をされたくないから黙っていたかったのに、わざと煽るだなんて。
 そう思ったのに。
 
 熱い手に、またひとつ頬を優しく撫でられる。
 ぶるりと体が震えた。
 頭の芯がジンとして、なんだか危険を感じる。
 恐怖からか、ひゅっと息をする。
 耳元で声がした。
 
「可哀想。君だってか弱い女の子なのに。その男を殺してあげようね」
「な……っ」
「三周目の話をしようか。次はどんな風に死んだの」
 
 わたくしはぎゅっと目を瞑って顔を背け、悪い毒のような声をなんとかシャットアウトしようとした。
 でも、声からも、熱くて大きな手の感触からも逃げられない。
 恐怖にか、あるいはなにかの期待にか、体が震える。震えてしまう。
 
 この男は、なぜ、わたくしを毒そうとするのだろう。
 なぜ甘い声を吹き込むのだろう。
 わからない。
 怖い。
 無様に怖がりたくは無いのに。
 
「い、嫌……。話したくない」
「話すんだよ。俺が望んでるんだから」
「なんて傲慢……っ」
「傲慢じゃない魔王って逆にキモくない?」
 
 言葉は軽いが、声は重い。
 
「ほら。三周目」
「……さ……。…………三周目、……は……」
 
 そうだ。
 ……嘘をついてしまおう。
 嫌な記憶を掘り起こす必要なんか無い。
 わたくしは口を開いた。
 
「強盗に襲われて、死にました。宿に忍び込まれましたの」
「そうなんだ」
「何度も繰り返していると、そういう事故もなかにはありますわね。まったく情けなかったし、ツイてなかったですわ」
「うん。それで、三周目は?」
「っ」
 
 ぞくりとするほど綺麗な声で、ゆっくりと続きを促された。
 これが一種の王というものの喋り方なのかもしれないと、漠然と思う。
 優しいのに怖い。
 怖くないのに、怖い。
 
「だ……から、宿で、死にましたの」
「どうして?」
「……賊に……」
 
 そう言いかけて。
 この男に嘘は通じないらしい、あるいは今の自分は冷静に嘘をつけないらしいと悟って、三周目の話はそのまま話すことにした。
 
「……錬金術師のシシがわたくしに盛った薬が。致死量、でしたの」
 
 三周目の世界にて、わたくしはとある理由から聖女を殺そうとした。
 最速で、だ。
 前回や前々回みたいに自分の方が死ぬかもしれないから、その前に殺しておこうと思った。
 しかし焦りが露呈して、暗殺未遂がバレてシシに捕まり。
 自白剤など諸々の薬を盛られ、あることないこと喋らされて。
 “うっかり”薬を使いすぎたと楽しそうに語るシシの顔を見ながら、なにもできずに死んでしまった。
 
 嫌な記憶だ。
 シシの加虐心丸出しの顔は気持ち悪かった。
 自白剤の他にも、幻覚剤や苦痛を与える薬、快楽を与える薬など、あらゆるものを試された。
 おそらく奴は、惚れてる聖女にやってみたいことをわたくしに全部やったのである。
 
「ふうん。そいつは…………いや、ところでさ」
「……?」
「どうして聖女を殺そうと思ったの」
 
 やはり来た。
 聞かれると思っていた。
 わたくしは仕方ないなと言うように首を横に振った。
 
「ですから、生理的に嫌いだからです。おまけに何かにつけてあの女といちいち比較されて、いい加減頭に来ていたのです」 
「へぇ」
「だから四周目も五周目も同じような流れでしたわ。六周目も、七周目も嫌いだから殺そうとして、結果こちらが死ぬのを繰り返して……今回も揚げ足を取られて投獄されてしまいましたわ」
 
 結局、何周したのだろう。
 ヤケになったこともあるし、無気力になり実家に引きこもってみたこともある。
 でも絶対に聖女関係で死ぬものだから、もう一度しぶしぶやる気を取り戻して。
 這う這うの体な気分で、あれこれ試して……。
 
「最後の方なんて、いかにあの女を早く殺せるかの一人タイムアタックをしていましたわ」
「ふーん。最速記録は?」
「ま、まぁ。まだ殺せていないのですけれど」
「ああ、ループが終わってないんだもんね。なるほど……君の死亡タイムアタックにはなっていた、と」
「もー……うるさい、ですわねぇ……」
 
 軽い口調の魔王につられてか、口は動く。
 しかし。
 
 実はもう、体力の限界が近かった。
 丸三日は何も食べていない。
 水も時折思い出したように掛けられたものが口に入るくらいで、魔王のやたら良い顔も霞んで見えてきていた。
 聖女に仇なす者に、信者と教会は容赦がないのだ。
 
 周囲が静かになった。
 
 ……と思ったら、一瞬、こてんと意識が飛んでいたらしい。
 全身を包む温かさでうっすらと目が覚めた。
 
「起きて」
「……」
「もう少しだけ頑張ろう? 俺とお喋りしてほしいな」
「……」
 
 抱きしめられていた。
 熱い腕が、手が、わたくしを優しく抱きしめている。
 体が大きい人だからだろうか。本当に包み込むようで、冷えきった体がジンと温められる。
 頭を上げるのも億劫になってきていて、顔なんか見えないのだけれど。
 どうしてだか、魔王ディノが、しっとりと目を閉じてわたくしに話しかけてきているのがわかった。
 
「ねえ。聞いた限りだと賢者ダイムはまだなにもしてないよね。そいつは何をしたの?」
「……ダイムは……」
 
 いろいろあるけれど。
 数え切れないループの中で、何が一番酷かったっけ。
 ああ、あれだ。
 
「ループ初日の昼頃……おそらくダイムが設置した地雷魔法を踏んで爆死させられました。あれが、ある意味一番酷かったですわ」
「……初日に?」
「ふ、ふふ……初日に。後で思い出して、ちょっとだけ笑っちゃいましたわ」
 
 ふふ、と乾いた笑いが出る。
 綺麗な町のど真ん中で、飛び散った自分の体を見る日が来るとは思わなかった。
 道化の演じるお芝居なみの、山なし落ちなし残酷劇。
 思えばループしてすぐ、ダイムから「良い旅にしよう」だなんて言葉を初めてかけられていた。だから後で、ダイムの仕業だったのだと気づいたのだが。
 あれが奴なりの宣言、あるいは皮肉かなにかのつもりだったのだろう。
 
 ふ、ふふ。
 開始してすぐ爆死。
 本当、ここまできたら笑ってしまう。
 
「なるほど、やっぱりね」
「……?」
「ループしてたんだ。君以外も」
 
 ……そう。
 賢者ダイム、あるいはダイムに進言できる立場の誰かも、途中からループしている。
 だからわたくしの聖女抹殺タイムアタックはことごとく失敗に終わっていたのだ。
 その事にやっと気づいたのは、初日爆死をしたその日だった。
 
 なにしろ「初日」だ。パーティメンバーはほぼ初対面同士。
 それに過去の世界の記憶では、戦士組と違い、初日にダイムやシシから露骨な悪意を向けられたことは無かった。
 わたくしの悪女としての評判を知っていたから良い顔はされなかったが、最低限の会話くらいはできるレベルだったのだ。
 だが──爆死した。
 相当な殺意がなければできない。
 それが初日に向けられたとなれば、過去改編、あるいは他のループ者の登場を疑うのが自然だ。
 
 処女厨の神が裏切ったとは考えにくい。
 私の死後、恐らくは他の遺跡で、他の古代の神に出会ってループ能力を手に入れた者がいたのだろう。
 それがダイムなのか、あるいは聖女セレスティアなのか、それはわからない。
 
 それ以来わたくしは、初日……長くても出発から三日以内にパーティーメンバーから暗殺されるループを続けてきたから。
 調べようがなかったのだ。
 
「──リナ。レオリナ。目を開けて」
 
 耳に優しい声が吹き込まれる。
 また、意識が飛んでいたらしい。
 力強いのに無理やりでは無い、宝物を扱うような手つきで抱きしめられている。
 とろんとするほど、あたたかい。
 目を開けられなくて、魔王がどんな顔をしているのか分からない。
 
「……な、に」
「レオリナ。俺は初めて君を見た時、凄く驚いたんだ」
「……」
「君が……今代の聖女が競うように仲間から殺されているのを見て、本当に驚いたんだよ」
 
 ──今代の聖女。
 
 それは。
 ……彼の言い間違いでは、無い。
 
「いいや聖女どころじゃない……君は大聖女の生まれ変わりなんだろう。メシアの蓮の花を愛好していたなんて、そんなどうでもいい細かいことは、並大抵の古文書には書かれていない」
「……」
「神の嫁でなければ聖女の秘技は使えない、なんてことだってね。想像しやすい条件とはいえ、普通は知らないことだ。君はまるで当然みたいに語ったけれど」
「……」
「なにより俺には見れば分かる。破魔の力が伝わってくるから」
 
 魔物ほど、魔族ほど、君を嫌うだろう。魔王はそう言った。
 
 それは確かにそうだった。
 セレスティアがちいさく愛らしい魔物を手懐けるのを見て、人々は「なんて慈悲深い」「魔物にすら慕われる」と褒めそやし、反対にわたくしが魔物から一番に狙われるほど嫌われているのを見て嗤ったものだったが、真実は反対だった。
 
 ではなぜ、セレスティアが偽聖女であることが発覚しなかったのか。
 わたくしが本物の聖女である事を言い出せなかったのか?
 
 それは──「破魔の力」というものは、数値では測れないからだ。
 
 別に光ったりもしないし、かっこいい固有魔法もない。
 聖属性の魔法は使えるから多少魔物相手に強くはなれるが。
 その本質は、「攻撃した魔の存在が輪廻転生で蘇らない」ということなのだ。
 つまり、現世の人間には確認できないものだった。
 古代の大聖女時代は戦争でバンバン敵を屠って減らしたから活躍を認められただけで、普通にコツコツやっていては、効果の実感は難しいだろう。
 
 唯一、「秘技」だけは違う。
 だがこれは、今のわたくしには、処女であっても使えないものだったから。
 
 ……ともかくわたくしには、自分が聖女だと証明するものが何も無かった。
 過去に大聖女であったという僅かな記憶はあれど、それだけ。
 覚えているのはせいぜい当時の風景や一部の知識、好きな花ぐらいだから、証明することすらできなかった。
 
 そんな役たたずの記憶が覚醒したのは十歳の時。
 己が聖女であること、成すべきことを成す旅に出なければならないことを悟ったのだが、その時既に「聖女」はセレスティアに決まって久しかった。
 
 セレスティアは、大聖女の血筋に生まれた娘だった。
 つまりはわたくしの遠い遠い子孫だ。
 縁というか、血の繋がりは感じられなかったから、実際は途中で断絶しているのだろうと思うが……それでも家門の影響力は強かった。
 
 おまけに、その容姿は天使のよう。
 甘い白桃色の髪、白く華奢な体、稀有な美貌……。
 いや、それだけでは「今代の聖女」とは言われなかったかもしれない。
 なにより瞳の色が特殊だったのだ。
 ──金の瞳だったのだ。
 それは大聖女以来と言われるほど貴重なもので、セレスティアは生まれた瞬間から大聖女の生まれ変わりであるとして、王城の奥で大切に育てられた。
 
 一方のわたくしは、黒髪に黒目。
 魔族に黒髪が多いことから、一部の層に酷く嫌われる色でもある。
 そこに加えて、聖女とは程遠いキツそうな猫目に気の強そうな顔立ち。
 
 つまりは──わたくしたちの違いのスタート地点は、「生まれと見た目」だった。
 
 特に見た目が、「本当は私が聖女なんです!」と主張するには、あまりに不適正だった。
 
 それでもわたくしは頑張った。
 聖女に見えるようにお行儀よくしたし、誰にも媚びず、気高さと優しさを重視した。
 勤勉さを表すために、貴族学校も主席で卒業した。
 その後は魔法剣士として騎士に混じって魔物討伐任務に参加し、目に見えない聖なる力で強い魔物を何度も退け、輪廻転生を防いできた。
 
 だがその結果、得た二つ名は。
 ──「獣殺しのレオリナ」。
 
 同時期にセレスティアが得ていた二つ名は、「王城図書館の白桃花」。
 セレスティアが読み聞かせる童話を聞くと、心に傷を負った子供が元気を取り戻す、という評判までできていた。
 
 おまけにわたくしは騎士たち……色好みの英雄たちと遠征任務などをよくこなしていたものだから。
 男女の仲を邪推するのが大好きな貴族たちから、いつの間にか「ふしだらな女」としての認定も受けてしまっていた。
 
 そう。
 頑張れば頑張るほど──評判は覆すことが不可能なレベルへと向かってしまった。
 
「それでも君は、聖女としての仕事を全うしようとしたんだね」
 
 あたたかく、優しい声が注がれる。
 蕩けそうなほどの声が、熱い腕とともに、疲れきった体に染み渡ってくる。
 
 ……誰かにねぎらわれたのは、いつぶりだろう。
 
 実の親ですら、わたくしをやり場に困った廃棄物のように見始めていたというのに。
 
「ええ。……聖女がセレスティアとされていても、その横にいれば……」
 
 役目を、果たせるかもしれないと思った。
 
 もはや己の名誉を回復できなくとも、報われなくとも。
 魔王討伐パーティに加わってさえいれば、聖女としての仕事を果たせると思ったのだ。
 だが──甘かった。
 
「もう一度聞くね。どうして三周目の旅で、セレスティアを殺そうと思ったの」
「……」
「君は根っからの善人だ。他者のために働くことを厭わない。……それなのに人を殺そうと決意したんだろう?」
 
 ああ。
 何もかも喋ってしまいたい。
 いいや……喋って、何か問題があるだろうか?
 ないような気がする。
 妙にフワフワとしだした意識がそう告げる。
 
「セレスティアが」
「うん」
「セレスティアが。……娼館に……」
 
 入っていくところを、見てしまった。
 それも、自分が春を売る方ではなく。
 
「男娼を買おうとしていたってこと?」
「ええ……」
 
 それだけなら良かったのだけれど。
 そうではなかった。
 ……旅を共にして知ったことだが、セレスティアには歪んだ性癖があった。
 
 自分の儚さや美貌に酔った男を骨抜きにして、それから破滅するまでこき使い、相手が堕ちていくことに快感を覚えるタイプだったのだ。

 パーティーメンバーの男たちに飽きたセレスティアは、立ち寄った街で偶然助けた年若い男娼たちを魅了した。
 そうして彼らがセレスティア会いたさに命懸けで脱走してきたり、「聖女の役目に必要なの」と嘯いたセレスティアのために、貴族から血まみれになって貴重なマジックアイテムを盗んでくるのを、ゲームのように楽しんでいた。
 そうして利用したあとで「さぁ、貴方は自由です。強く生きていくのですよ」と美しく微笑むのだ。
 外での生き方を知らない、年若い男娼たちに対して……。
 
 籠絡から利用、放棄までがあまりにも手馴れていて……一度や二度のことではないと、すぐに分かった。
 
 そのことを知って、初めてわたくしはセレスティアに激昂した。
 糾弾し、そんなことは絶対に止めるようにと求めた。
 それが──運命の三ループ目だった。
 
「セレスティアは首を傾げましたわ。なぜそんなに怒るのかと」
「……」
「自分は神に愛されている。だからどれだけ愛されているのか、その深度をもっと確かめたい。どこまでやっても大丈夫か知りたいだけだ、と……。神の愛を知ることの、なにが悪いのかと……そう言いましたわ」
 
 セレスティアは、聖女とは何かを知らないままに、自分自身のことを聖女だと思っていた。
 それもやむを得ないだろう。セレスティアは光を発する照明魔法や攻撃魔法が得意だったし、その瞳は大聖女以来の金色で、血も引いている。
 なにより生まれた時から聖女であると認定され、大切にされてきたのだ。
 
 だが、まぁ。
 もしかすると、違うということに、自分では勘づきかけていたのかもしれない。
 だからこそ神や他者の愛を異様に試したりしたのかもしれないが……ともかく、彼女は対話が不可能な状態にあった。
 
 だから彼女を殺さねばならなかった。
 朧気な記憶の中で、聖女とは、“神が集めた信仰心を破魔の力に変換できる存在である”ことを知っていたからだ。
 
 つまり。
 神と同一視すらされる「聖女のスキャンダル」は、「聖女の力の弱体化」に直結していた。
 
 聖女のスキャンダルは一切漏らしてはならない禁忌だった。
 だがセレスティアには、あまり隠そうという気が無かった。
 なにしろ「みんなの愛を確かめたい」というスタンスだ。下手したら自分から暴露しかねなかった。
 
 故にわたくしには、セレスティア抹殺という道しか残っていなかったのだ。
 
「は、ぁ……」
 
 少し、語りすぎた。
 疲れて……しまった。
 
「レオリナ。君は本当に頑張ったんだね」
「……」
「タイムアタックだなんてふざけて言っていたけどさ。逆だったんでしょ」
「……ええ」
  
 そう。
 
 「聖女抹殺RTA」されていたのは──わたくしの方だった。
 
 パーティメンバーは全員セレスティアの虜。
 私以外の誰かのループが始まってからは、明確な殺し合いだ。
 わたくしをいかに先に抹殺するか……つまりはセレスティアを守り、なんなら褒められるかで、彼らは競い合っていた。
 わたくしも負けじと、聖女のスキャンダルが広まる前にとやり返し続けたが、そもそも多勢に無勢だった。
 
 どうすれば良かったのだろう。
 ループが加速する前に、もっと上手く、なんとかする方法があったのだろうか。
 彼らと助け合う道もあったのだろうか。
 あるいは……これこそが神の定めた運命だったのだろうか。
 それとも。
 
 実は聖女に力を与えてくださるはずの主神は、もう人間に飽きて……見てくださってすらいなかったりするのだろうか。
 
 嫁募集祭壇を撤去し忘れていた古代神だっているくらいだ。
 管理する気がないのに、大昔に作った仕組みをうっかりそのままにしている神様が他にもいるかもしれない。
 聖女が輪廻転生していても、実は全然気づいていないのかもしれない。
 それが、我らが主神なのかもしれない。
 
 なら。
 この世界のために、神のために、人々の為にと頑張ってきたのはなんだったのだろう。
 
「無駄だった、てことだね」
 
 わたくしの心を読んだように、魔王が毒を囁いてきた。
 やさしくやさしく、わたくしを包み込むような声で。
 
「それにね。勘違いしちゃいけないよ」
「……?」
「君がやってきたのは、人々のための善行でも、神のための献身でもない」
「!」
 
 それを否定されてしまったら、わたくしはどうすればいいの。
 聖女として生まれたのにその役目を果たすことも出来ず、偽聖女の蛮行を止めることすらも出来ずに、犬死して逝くこのわたくしは──。
 
「君がしてきたのは、価値ある人生のための努力だ」
「……!」
「それはひとつも失敗していない。君はずっと全力だった」
 
 思いがけない言葉に息を呑む。
 霞んだ視界が、一瞬色を取り戻す。
 
「動機はなんでもいい。結果が出ていなくてもいい。ただ君はまっすぐだった。……俺はね、頑張り屋さんが一等好きなんだ」
「……っ」
「君の努力を美しいと思った。俺は、君を尊敬する」
 
 福音のような声が降り注ぐ。
 ふわりふわりとした死の直前の浮遊感の中で、わたくしを肯定する声が響く。
 
「聖女として生まれ、役目を全うしようと必死に生きた。例えもっと上手い方法があったのだとしても関係ない。君が必死に生きた事実はこの世に残る──俺が知っている」
 
 わたくしを抱きしめたまま、魔王が顔を覗き込んできた。
 頬を撫でて、ねぎらうように額にそっと口付けられる。
 それから魔王は、もう一度わたくしの瞳を見た。
 
 魔王の瞳は、透き通ったペリドットのように美しい緑色だということを、わたくしは初めて知った。
 
「本当に、わるい魔王……」
 
 この男はわたくしを殺そうとしている。
 
「酷いなぁ。褒めたのに。どうしてそんなこと言うの?」
 
 分かっているくせにブーたれた魔王に、くすりと笑ってしまう。 
 
「わたくし、教えてしまいましたものね……」
 
 わたくしのループは、「自分が不幸な死を遂げたと認識したら」発動する。
 
 つまり──幸せな気持ちで死んでしまったら、わたくしの人生はこれで本当に終わるのだ。
 
 流石は魔の者。
 人の心に忍び込み、操り、そして破滅させるのはお手の物らしい。
 恐れ入ると同時に、不思議な心地だった。
 
「ねぇ、教えてくださいな。……貴方は……ループしておりますの?」
 
 魔王は先程、「最初に君を見た時殺されていた」と語った。
 つまり、今回のループとは違う世界を知っているということだ。
 
「いいや。俺ができるのは、極々狭い範囲内での異層の覗き見だよ」
「異層……」
「君の言うところの“ループ世界”かな。それで俺は、何度も失敗する君を見てきたって訳」
 
 強大な魔力を持っているとは聞いていたが、そこまでだったとは。
 これは人類が勝てないわけである。
 
「神様は……貴方に恐れおののいて、諦めてしまわれたのかしら」
「勘違いされやすいけど、俺だって今の主神の創造物だよ」
「!」
「だからって訳じゃないけど、別に世界の崩壊も征服も狙ってないんだよね。つまんなそうだし」
 
 そうなのか。
 だとしたら……人類と魔族との戦いの歴史は、最初から神の采配だったということだ。
 増えすぎず、減りすぎず。牽制しあって生きろということなのかも。
 きっと大聖女を作ったのは、魔物が増えすぎたからとか……そんな所だったのだろう。
 
 そもそもディノに野望がないのなら……もう、無理する必要は無い、ということではないだろうか。
 なら、もう、本当に眠ってもいいのかもしれない。
 
 ふわふわとした気持ちよさもいよいよ強まり、眠気が勝ってきた。
 
「貴方の勝ちですわ、魔王ディノ」
 
 完敗だ。
 最後の最後で安心して、しかも、誰かに認められて、あたたかな腕の中で逝けるなんて思わなかった。
 
「わたくしのループを終わらせてくれて──ありがとう」
「……うん」
「これで、やっと終われますわ」
「え? 終わらないけど」
 
 ────?
 
「……ん?」
「や、だからまだ死なせないよ。体の調子、そろそろ良くなってきたんじゃない?」
「え、で、でもふわふわして」
「うん。抱きしめながらずっと強めの回復魔法かけてたから、酔ってふわふわするかもね。というか気持ちいいってことは魔力の相性が良いってことだね♡ やったー♡」
 
 ────?????????
 
 恐る恐る、手を動かしてみる。
 傷だらけだった腕はいつの間にかぴかぴかになって、普通に動かせた。
 
 恐る恐る、その手を伸ばしてみる。
 意識も感覚も朦朧としていたはずなのに、魔王の美しい頬の、シャープながらも柔らかな感触がはっきりわかった。
 思わずそれをムニ゛ッと摘む。
 
「いたいいたいいたい♡」
「な、なんですのこの茶番は!? わたくしもう普通に死ぬのかと……っ!」
「なんか死ぬ雰囲気出してるの面白いから見守ってたけど。死なせる訳ないよ」
「な、なんで」
「わからない?俺が君に惚れてること」
 
 ──?!!?!!?!???!?????
 
 全ループでも最大の衝撃が走り抜けた。
 ま……。
 
 魔王が。
 聖女に、惚れている??
 
「ほ、本気で言ってますの?」
「うん」
「うんって貴方……寝首を掻かれるとか思いませんの」
「出来ないでしょ。じゃあほら、秘技を使ってご覧」
「う……」
 
 できない。
 秘技とは、魂に宿る破魔の力をすべて使って相手を滅する技。
 なのだが……そんな自爆みたいな荒業を使って幸せな気持ちで死ねるわけが無いので、うっかり使えばまたループしてしまう。
 なにより、わたくしにはもうディノを殺す必要性が感じられない。
 
「ね? 君はもう俺を殺せないよ。ループするより俺といた方が良いって思ってるでしょ」
「……」
  
 ニコニコしながら「よいしょ」とか言ってわたくしを抱え直す大男。
 なんとなくもう一度頬をつねってやろうとしたが、その前に小首を傾げられた。
 
「俺は君を連れていくけど、君はどうしたい?」
「ど、どうしたいって」
「繰り返しになるけどさ。俺は魔王って言われてるけど、別に世界征服とか世界の崩壊とか狙ってないんだよね。快適に生活できる程度の部下を従えたいだけで」
「快適に……?」
 
 その割には大軍団を形成していたような。
 
 ただ確かに……魔物はこちらが縄張りに近寄らない限り、あまり攻撃を仕掛けてこない。
 無差別に襲ってくることもゼロではないが、よほど飢えている時か気が立っている時くらいだ。
 
 一方の人間は、魔物の縄張りの場所が人間にとって逐一不都合だから「退治」している訳だが。
 そうなってくると、魔物から見たら人間の方が野蛮、まであるかもしれない。
 
「魔物も魔族も国とか作ってこなかったからさ。なにするにも不便でしょうがなくて。まず知性化をうながしてやって、上位組織を作ってやって、規範を作って、それから居心地のいい本拠地を形成してみたって言うか」
「“してみた”ってレベルではありませんわ……」
「本拠地を守るために軍を編成して、頼ってくる奴らを守って、安全のために武器や防具をこしらえて。あと俺の好物を量産させるために農地とかも整備して」
「私利私欲の塊ですわ……」
「そうすると領地が必要で、拡大するうちに人間に目をつけられてさ。ナメられると面倒だから最初に示威行動を強めにしたら、魔王とか言われちゃって」
「歴史に残るレベルの示威行動をすればそりゃそうなりますわ……」
「まぁまぁ。ともかくそんなわけで。人間との縄張り争いは激しめけど、基本的には“暮らしてるだけ”なんだよね、俺たち」
 
 彼もまた主神の創造物だと言うのなら、この言葉もきっと本当なのだろう。
 ただ理由もなく、滅されるためだけに存在している“悪”など……この世には、そんな無駄な存在はいなかったのだ。
 
 半ばボーゼンとしながらも話を飲み込むと、魔王がわたくしの前髪を優しく直した。
 それで気づいたが、ドロドロだった髪がサラサラになっていた。
 回復魔法と共に洗浄魔法もかけられていたのか、髪からも肌からも良い匂いがする。
 ……なぜ魔王と同じ香水の匂いがかすかにするのかは、謎だけど。
 服も、虜囚のボロ着を着ていたのに、いつの間にか魔法で絹の美しいローブを着させられていた。
 
「俺に連れ去られても悪事に加担するとかないから。安心して欲しいっていうか~……」
「……」
「魔族はプライドが高いけど変な部分で賢いやつが多いから面白いし、魔物は慣れるとバカで可愛いし」
「……随分営業しますのね」
「だって不安でしょ? 君は今から無理やり連れ去られるんだよ」
 
 胸が、きゅうう、と不可思議な挙動をした。
 今から誘拐すると言われているのに、どうしてわたくしは。
 
「無理やり連れていくし、帰すことも決してない。君は親にも友達にも会えないところへ連れ去られる。もちろん偽聖女どもからは、万が一にも同じ空気を吸うことがないように遠ざける」
 
 どこかうっとりしていたのに。
 聖女という単語が聞こえた瞬間、ハッとした。
 
「──止めてッ!!」
 
 わたくしは魔王ディノの胸板を押しのけ顔を逸らした。
 
「出来ないことを……、言わないでくださいませ……!」
 
 そうだ。
 忘れかけていた。
 ──わたくしは、聖女抹殺RTAの対象だ。
 
 今しばらく、一瞬だけ幸せな気持ちになったとしても。
 
 死ねば……またセレスティア達と共に王城から出発する朝に逆戻りするというのに。
 
 そう思って突っぱねたのに。
 大きな手に、顎をぐっと持たれた。
 
「できるよ?」
「……!」
「できるから言ってる。信用して」
 
 やめて。やめてやめてやめて!
 脳内にそんな言葉が木霊する。
 もう、期待するのは嫌なのだ。
 期待して失望して死ぬのは、もう限界なのだ。
 そう思うのに。
 
「ループを続ける君の姿を追ううちに、アイツらの行動パターンは把握した。君を投獄した今、どこで誰とどんな宴をしてるのかも大体わかる」
「……」
「近寄らせない。そして、必ず君を幸福に殺してみせる」
「そんなこと……」
 
 熱い熱を帯びたペリドットが、少し苦しげに、乞い願うように、わたくしを見詰めた。
 
「決して君を一人にはしない」
「!!」
「俺を信じて。必ず殺してあげるから」
 
 やめて。
 ……やめて。
 
 熱い涙が、頬を伝った。
 恐ろしいその言葉が、わたくしの一番欲しい言葉だったのだ。
 
「……っ」
 
 あふれて、あふれて、止まらない。
 殺すだなんて怖いことを言われているのに、嬉しい気持ちが止まらない。
 
 おまけに遠慮がちに頬に口付けされれば、もう胸が焼けつきそうな程に熱くなった。
 たまらず、泣く。
 優しいキス。まだわたくしの気持ちを聞いていないから、唇にはしなかったのだろう。
 魔王のくせに、そこは傲慢じゃないらしい。
 
 涙で顔はぐしゃぐしゃで、とても見れるものでは無いだろうに。
 少し頬を染めた魔王が愛しげに微笑んでくる。
 わたくしのことなんて何も知らないくせにと、そう言いたくなるくらい熱烈な眼差し。
 そのくせわたくしの何もかもを知っているのだから堪らない。
 神にすら放置されたわたくしの頑張りを全部知っているなんて言うものだから、困るなんてものじゃない。
 
「なんなんですの……っ。ぅ、ひっく。うう。あなた、わけがわかりませんわ。……グスッ」
「泣き方下手くそだね」
「う゛ぅ゛ーッ」
「かわい。持って帰っちゃお」
 
 そう言った魔王が。
 わたくしを抱えたまま、巨大な翼を広げるように黒いマントを翻した。
 空間転移だ。夜空を渡り、星々の光を通り抜けて連れ去られる。
 蕩けそうなほど嬉しそうな魔王に抱かれて──。
 
 こうして、聖女抹殺RTAは完遂されたのだった。