出勤後、朝から黙々と取り組んだ仕事も12時になると周囲にホッとした空気が流れる。
雑談が混じるなか、私もパソコンから目を離して小さく肩を回した。

「柚ちゃん、ご飯行く?」

斜め前の席に座る西藤さくら先輩が笑顔で声をかけてきた。
さくら先輩は私が唯一親しくさせてもらっている人だ。美人で優しくて、さくら先輩が結婚したときは多くの男性社員が涙を飲んだと聞いた。

「私、社食だから良かったら一緒に下で食べようよ」
「はい」

さくら先輩の誘いに頷き、朝コンビニで買ったお握りと水筒を持ってついていく。
食堂は混雑していたけれど席が確保できてホッとした。

「ご飯それだけ?」

お握りひとつを大切に頬張る私にさくら先輩が気の毒そうに聞いてきた。

いつもはお弁当なのを知っている先輩は、「何かあった?」と、自分のおかずである卵焼きを分けてくれながら心配そうに尋ねた。

さくら先輩には詳しいことは話してないけど、家計的に苦しいことは話してあったから気にしてくれたのだろう。

「ちょっと色々あって」

苦笑いするとその綺麗な眉をひそめる。

「困ったことがあったら遠慮なく言うのよ?」
「ありがとうございます」

さくら先輩がこうして気にかけてくれるのはありがたいが、さすがに昨日のことは話せない。

きっとさくら先輩なら自分の家に来いとでもいい出しそうだ。でもさすがに新婚家庭にお邪魔する勇気も度胸もない。

それこそ馬に蹴られて死んでしまう。

さくら先輩に誤魔化しつつ、ふと食堂の入口を見ると三雲君が同僚たちと入ってきたところだった。食堂にいた女性社員が少し色めき立つのがわかる。

横目で姿を追いながら、相変わらず人気だなと感心する。

やっぱり朝別々に出勤して正解だったな。一緒にいるところを誰かに見られでもしたら大変なことになるところだった。

自分の判断を誉めながら、恵んでもらった卵焼きを有り難く口の中へ入れる。ほんのり甘い卵焼きにじーんとしてしまった。

「三雲って人気よね。柚ちゃんと同期だっけ?」
「あぁ、はい」

三雲君の話題にドキッとしてしまう。

さくら先輩は興味なさそうな目で三雲君を見ていた。

確かに先輩の好みではなさそうだ。先輩の旦那さんは小柄で丸い感じで常にニコニコして穏やかそうなタイプ。どちらかというと三雲君とは反対である。

なんでさくら先輩みたいな綺麗な人があんな人を、と周囲に言われていたけれど、包容力に引かれたって言っていた。
私も一度だけ会社に迎えに来た旦那さんを見たことがあるけれど、とても優しそうな温かな人で幸せそうな二人が素敵だなと思ったのだ。

そんなことを考えていると、さくら先輩が内緒話をするように私に身を乗り出す。

「この前、秘書課の本城ユリアが三雲に振られたらしいよ」
「本城さん……、あの美人秘書のですか?」

さくら先輩はニヤリと笑う。

本城ユリアさんは社内一とも言われるくらいの美女で、学生のころはミスコンに出て雑誌の読者モデルをしていたなど噂がある人だ。

男性社員から絶大な人気を誇るが、気位が高く女性社員からはあまりいい顔をされていない。

「相手にもされなかったらしいよ。まさか断られるとは思わなかったんじゃない? いい気味ね~」

あの本城さんを断ったなんて……、好みじゃなかったのかな? 
本城さんでも振られることがあるのね。

相手にすらされなかった本城さんに少し同情していると、机に置いたスマホが震動した。
表示された名前に「あっ」と声が出そうになり慌てて飲み込む。
 
メッセージは三雲君からだった。

念のために朝、連絡先を交換しておいたのだ。たった今、噂していた相手からのメッセージに焦りながら内容を開く。

『残業にはならないと思うから、部屋の前で待っていて』

メッセージを読んでチラリと三雲君を見ると、離れた席で同僚とご飯を食べていた。
荷物は三雲君の部屋だから、残業だったら何時間も待たなくてはならなかったのでホッとする。

『わかりました。待っています』

そう返信をすると、三雲君がスマホを手にするのが視界の端に写った。